バイマンスリー/ ギャラリー・アドベンチャー
5月
18日火曜日

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 #10 再会

 

家の近所に一軒の本屋がある。そこはもともと畑と田んぼだった。いつも、そこで友達のおばあちゃんが野菜を作ったり稲を育てたりしていた。一年少し前、その一帯はすっかり整地され、やたら派手な喫茶店が建ち、続いて本屋がオープンした。その本屋は、現在全国展開している名古屋発の「ヴィレッジ・ヴァンガード」。

週末になると、あれは何というのか、ストリート系とでもいうのだろうか、この田舎町ではイケテル風体の若者が、少し前まで友達のおばあちゃんが田植えをしていたこの場所に、群れ集うようになったのである。いつ訪れても、その時に店内にいる一番の年寄りは私だ。あと数年もすれば(もしかしたら現在でもそうなのかもしれないが)、「おばさん、オレの母親と同じ年っすよ」とか言われるのだろう。彼らとコミュニケーションの機会があれば、の話だが。

この本屋がかなり偏った書籍の品揃えをしているのは、本好きの方ならご存じだろう。かつてまだ本店と2号店しかなかった頃、私はよくそんな偏ったタイプの本を探しに名古屋に出向いたものだ。

こんな田舎でも同じような品揃えをしているのだろうかとはやる心を抑えて書棚に向かうと、品数はさほど多くないものの、ディック、ヴォネガット、ブラッドベリ、キング、クーンツの文庫は出版社を越えて網羅されており、単行本のコーナーではバラード、ギブスン、バロウズなどがいけいけ状態で平積みである。山道を歩いていたらほかほかの「ほうらいの豚まん」(関西で肉まんと言えばこれ)が落ちていたような気分だ。狐につままれたような、そんな気分。

そういえば隣町に住む音楽好きの知人もここに出没しているらしいが、「俺が東京まで探しに行ったインディーズのCDがこんなとこにありやがんの! くそぉ」とむせび泣いていたっけ。彼もまた「いつ行っても俺が一番じいさんだぜ」と赤面していた。

さて、ある日、行きつけの銭湯の帰りに立ち寄った私は、何気なく目をやった日本人作家のコーナーに平積みされた本の前で、足を止めた。吉本ばなな『ハードボイルド/ハードラック』(ロッキング・オン)。

「奈良さんだ」

私がその本に惹かれたのは、表紙に描かれた額の広い目つきの悪い子どもの姿のせいだった。その絵を描いたのは奈良美智(なら・よしとも)。現代美術のアーティストだ。

奈良美智本人に最初に会ったのは、毎年名古屋で開催されている名古屋コンテンポラリーアートフェアー(通称NCAF)の打ち上げの時で、もう7年くらい前のことだったように記憶する。アートフェアーというのは、各地の画廊がそれぞれその時に一押しの作家の作品をブースごとに展示するいわば美術の見本市。

奈良美智は当時は名古屋のギャラリーユマニテだけが発表の場だったので、打ち上げ会場の居酒屋で同じテーブルについた時、大変控えめな感じで「たくさんの人に見てもらいたいから、あちこちの画廊で発表できたらいいですね」と青森弁なまりで話していた。私よりもいくつか年上だったが、まだ学生のような、いや、少年のような面差しの人だった。

二度目に会ったのは1994年、やはり同じアートフェアーの会場。今回はギャラリーユマニテから独立して新しく画廊を作った土崎正彦氏がディレクターをつとめる名古屋の『白土舎(はくとしゃ)』に移籍しての出品だった。数年の間に、メディアへの露出度も増え、彼を取り巻く状況は随分変わっていた。

何よりも驚いたのは彼には熱狂的なファンがたくさんいたということだ。彼女たちはまだ高校生で、一週間のアートフェアー会期中、平日は学校帰りの制服姿で駆けつけていた。そのうちの何人かは会場を毎日訪れ、憧れのまなざしをアーティストに向けている。

「まるでアイドルみたい」

私が見たのは、かつてそうなることを望んだひとつの光景だったのかもしれない。画廊関係者が集まってよくこんな話をしたものだ。「現代美術にもアイドルが必要だよね」と。狭い現代美術のマニアックなファン層を突破して広く世間一般に認知されること、そのことがこのいつまでたってもマイナーな現代美術の布教のためには一番手っ取り早いのではないか? ということ。

「やっぱりあれでしょう、『違いのわかる男』として売り出すことでしょう」

という馬鹿な作戦を思いつくのはたいてい私である。

「すごく若者に人気のある芸能人とかミュージシャンがそのアーティストのファンだ、って公言するというのもいいんじゃない? すでに古典的名作とされていた『アルジャーノンに花束を』でもミュージシャンの誰かが同名の曲を書いて、ラジオでその小説が『好きだ』と言ったのがきっかけで、意外な層から再燃したという話も聞いたことあるし」

というような馬鹿なことを言ったのも私だったような気がする。しかし、芸能人なりミュージシャンの「誰が」「どのアーティスト」を好きだと公言すると最も効果的か? という詰めの部分になると、話題に参加している人間の意見は割れに割れ、結局収集がつかなくなってしまうのはいつものことだった。

一向に実現するあてもなかった「現代美術のアーティストがアイドルになれば」という、邪道な願いは、しかし、奈良美智によって実現されつつあったのである。

けれど、私は少女たちの熱狂が向けられているその場所に、スマートでハンサムな彼自身ではなく、その彼の作り上げた作品世界そのものがあることも同時に気づいた。彼女たちにとって、彼の作品そのものが自分たちのジェネレーションに強烈に訴えてくる「何か」だったのである。ともすれば知な部分に捕らわれがちの現代美術の作品群の波をくぐり抜け、少女たちは直感で奈良作品を「わたしたちのアート」として手に入れたのだろう。アーティストのルックスが良い、というのは、たぶん嬉しいおまけみたいなものなのだ。

アートフェアーの会場で、私の勤めていた画廊と奈良美智が出品していた白土舎は偶然にも隣合わせのブースだった。白土舎のブースにはいつも人がいっぱいで、女子高生だけでなくコレクターの紳士淑女の方々も多数訪れていた。他のブースとは格段のにぎわいで、特に私のいたブースとは雲泥の華やかさがあった。あんまり寂しいので同じく閑散としていたブースを受け持つアシスタント仲間とつれだって楽しげな奈良ワールドに顔を出し、かなりミーハーにも「奈良さ〜ん、いっしょに写真に入っていただけませんか?」とお願いして無理矢理スナップ写真に収まったりした。その写真は今も私の宝物だ。

何年ぶりかで会った奈良美智は、少しも変わっていなかった。「もっとたくさんの人に作品を見てもらえたら」と話していたあの頃と。暇にまかせて観察していると、彼は女子高生にもコレクターにも、また美術館の関係者にも、誰にでも同じような笑顔で誠実に対応していた。私はそんな様子を眺めながら、ああ、作品と作家は似ているなぁ、としみじみ思った。

画廊のディレクターやコレクターたちに誘われ、昼時になると奈良美智は昼食に出かけた。けれど彼は戻ってくるなり、「僕がかわりに見てますから、どうぞ食事に行って来てください」と、閑古鳥の鳴くブースにぽつねんと座っている私に親切に声をかけてくれたのである。

「ヴィレッジ・ヴァンガード」で、偶然にも彼の絵が表紙になっている本に出会った私は、その本を手に取り、レジに持って行った。

部屋に戻って机に本を置き、私はベッドの上に掛かっている一枚のドローイングを眺めた。そこに描かれているのは、雲の流れる青空を背景にした丘の上のひとつの建物。横に長く延びたその建物の白い壁には、たくさんの窓が並んでいる。草も木もなく、人も動物もいない。手前に大きく広がる丘は真っ黒に塗られ、ぽつんと建つ家の赤い屋根だけが、まるで道しるべのように通り過ぎようとする視線をひきとめる。

この家にはどんな人間が住んでいるのだろう?

それは買ってきたばかりの本の表紙に描かれた、意地悪な目をした子どもかもしれない。その家の絵を描いたアーティストもまた奈良美智である。



参考:現代美術情報のウェブマガジン「TOWN ART GALLERY」内に、今年に入ってから開催された奈良美智展 のことが紹介されています。

 
 
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