バイマンスリー/ ギャラリー・アドベンチャー
6月
23日水曜日

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 #12 アーティストの住む家

 

学生時代に暮らした下宿は、京都の碁盤の目のてっぺんを少し下がったあたりあって、その場所から、私はどこへでも自転車に乗ってでかけて行った。

食材の買い出しは、下宿の西側の堀川通りを渡ったところにある新大宮商店街ですませることが多かった。商店街の向こうには、大徳寺がある。いくつかの塔頭は観光客にも開放されていたので、シーズンには観光バスや人並みでごったがえしていた。けれど、拝観の時刻がそろそろ終わる夕方のその境内は昼間の喧噪が嘘のように静かで、私は入り口に自転車を置いてよく散策をしたものだ。

時には拝観料を払って塔頭の中へ入り、高桐院の苔の庭で何時間もひとりでぼおっとしたり、芳春院の庭のそこここに咲く桔梗の花を楽しんだりした。大徳寺の先の今宮神社の鳥居を過ぎ、北大路通りをさらに西に自転車を走らせる。裏方に西大文字のある仏教大学を越えると、碁盤の目のちょうど左上、そこから先は北山に続く道で、途中に本阿弥光悦の庵だった現在の光悦寺がある閑静なエリアになる。

ときおり、そのあたりまで、私は足を伸ばした。碁盤の目から抜けだし、北大路通りからさらに北へ上がると、道はゆるい上り坂になる。ちょうど自転車をこぐ足も疲れてきた頃、私は自転車を降りる。周辺はまだ住宅街だが、さきほどまでの密集した町並みは途切れ、木々の緑も徐々に深くなってゆく。そのあたりに、斜面の上にある建物に向かって急な階段が延びている一角があった。

階段の下の歩道からは、その奥にあるはずの建物は見えない。「なんて急な階段だろう。毎日ここを昇り降りするのは大変だな」、そんなことを考えながら、何度も、私はそのあたりを通り過ぎた。

数年後、私はふたたびその場所を、今度は仕事で訪れることになった。私が自転車を引いて通り過ぎた急階段のあるその家が、アーティスト、井田照一の住まいだ。

それは画廊に勤めて半年経った頃だった。遠方に住む作家の家を初めて訪れた私は、同行したボスが、その風景の中に車を止めた時、軽い興奮状態だった。見覚えのある長い階段の下に立って久しぶりにその場所を見上げてみる。道路からは、階段の上の門だけが見えた。一歩ずつ登ってゆくのは、なんだか妙な気分だった。ずっと知っていたこの場所を、自分が訪れるとは思ってもみなかったからかもしれない。

まっすぐに続く階段のちょうど真ん中あたりの右手に、小さな空間が設けられている。そこには白いテーブルと椅子が置かれていた。訪れたのは、たぶん初夏だったと思う。そのテーブルの隣には、大きな桜の木があって、瑞々しい緑の葉をいっぱいに広げていた。もし、今が春ならば、どんなにすてきだろう、私は立ち止まってその小さな場所を眺めた。それから、再び階段の頂上に向けて足を進めた。

井田照一は1941年京都に生まれた。京都市立美術大学(現在の京都市立芸術大学)の西洋画科を出て、20代の終わりにフランス政府の奨学金でフランスに留学している。海外の在住経験も多く、ニューヨークの近代美術館をはじめとした国内外の60もの美術館にその作品がパブリック・コレクションされている。

現在でも日本では、たとえば画家、彫刻家、版画家などと、アーティストが制作範囲を限定して活動していることが多い。けれども現代美術では、海外の影響もあって早くからひとりの作家がさまざまなメディアを使った表現を行っていて、井田照一は、そんなジャンルを越えた美術表現に挑んだアーティストの、ごく早い時期の代表といえる作家だ。

10年前のその日、井田邸を訪れるまで、私にとって井田照一はいつも美術雑誌や画集の中の遠い存在だった。その井田が、オープン間もない地方都市の小さな画廊で個展をするというのは、どきどきするような出来事だった。

無類の酒好き、美食家、博識に加えて、ずっと独身であることから華やかな噂も多く、壮絶な毒舌家でもある……など、その作家としての経歴に加えてさまざまな事前情報を各方面から与えられ、まだまだギャラリストとして駆け出しだった20代半ばの私は、その作家にこれから会うという期待と緊張で、子鹿のように怯えていた。

精神的な高揚感もさることながら、その急な階段は昇りきると息もきれた。そこには、一口で「〜風」とは呼べない無国籍な印象の門があって、胸のあたりまでの高さの厚みのある木戸を押して入ると、ちょっとした広さの庭に出る。庭から建物をながめたその瞬間、私はそこがとても好きになった。じゃり石の敷き詰められた庭から建物に向かって、飛び石が続いていて、右手には「石舞台」とでも名付けたくなるような平たい大きな岩が寝ころがっていた。

庭のあちこちに植えられているのは、和風庭園に植えられるたぐいの、清楚な植物が多い。けれど、この庭もやはり和風というのではない。なんというのだろう、そこには作家の美意識が貫かれていて、もはや井田照一風、としかいいようのない特別な空間になっていた。その印象は、複雑な形をした建物の内にも外にも、一貫している。そんな場所を訪れたのは、はじめての経験だった。

井田邸の玄関は白いペンキで塗られた洒落た木のドアだが、実は、私はその時もまたその後も、この玄関を利用したことはほとんどない。玄関の続きの間にはレンガ敷きの一室があり、6、7人はかけられる大きな一枚板のテーブルがあって、庭に向かって開かれたような造りになっている。私たちは、庭から直接その部屋に入った。

そのテーブルの上座に当たる場所に、井田照一はいた。「わぁ、写真と同じだ」。ほとんどアイドルに会ったような無邪気な想いが頭をかすめた。黒のランニングに東南アジアの更紗を腰巻きのように巻き付けて、片耳にはピアス、腕にはトレードマークの銀のブレスレットをしていた。アーティストでなければ「何者っ?」と思うようないでたちだが、とても自然な印象だった。「いらっしゃい。よく来たね。まぁ、お掛け」と椅子を勧める井田照一の前には、これもトレードマークである小さなグラスとビール瓶が置かれていた。

その部屋がいわゆるリビングルーム(ダイニングと応接室も兼ねている)で、庭から土足で入る。なんだか外国の家のような感じだ。大きなテーブルが部屋の大部分をしめているので、決して広いということはない。そのテーブルにつくと私は室内をきょろきょろ見回した。部屋の壁はしっくいとレンガで覆われていて、井田自身の作品や、お気に入りのポストカード、アンティークの置物などが、絶妙のレイアウトで配置されている。部屋の隅には真っ黒いストーブがあって、たぶん、北欧製のものだろう。

リビングルームから一段上がった続き部屋がキッチン。つまりこの家の入り口は、玄関とリビングとキッチンが壁で仕切られることなく位置しているのだ。そんな空間は普通はちょっと考えられないのだけれど、井田邸では、それがまったく違和感なく存在している。

井田邸のキッチン。そこはやがて私の一番好きな場所となった。決して広くはないその空間に、けれど私はすべてがあるような気がした。黒を基調にしたシステムキッチンは、天板の部分が一枚板になっている。そこに置かれた美しいデザインのキッチン用品のすべてが、長い時間をかけて使い込まれたものだ。そこには、「飾り」という無駄がない。

食器類もそうだ。戸棚の中の皿や茶碗類、天井の近くに取り付けられた飾り棚の上に並ぶ大皿の数々。それを作った人も、それが作られた国も時代もばらばらなのに、すべてにそれを選んだ井田照一の視点を感じる。それらは、動かしがたい美意識に貫かれ、緊張をはらみながら、決してぴりぴりと硬直した感じがない。それは、井田照一や彼の作品にとても似ている。作品(料理もそうだ)の完成には、時に、偶然の何かがつきまとう。その思いがけない結果も、あらかじめ受け入れるだけの大らかな器。私は、その自然なありようがとても好きだ。

井田は無類の食いしん坊だ。美食家としても名を馳せている。はじめて訪れたその日も、作家は知人の香港土産だというフカヒレを見せてくれた。内心、「こんな固まりを見せられてもなぁ……」と思わないでもなかったが、直後に「これを朝から5時間炊いたのを後で出すから」という言葉を聞いた時には感激した。そんなわけで、キッチンにあるたくさんの器は、これから井田本人によって盛られる料理のために選ばれているのがわかった。

初めての訪問で私が踏み込んだ井田邸の空間は、そのリビングルームとキッチン、そして玄関脇にある窓からの眺めの良い(ということは外からも見えるおそれのある)なんとも気持ちの良い化粧室だけだった。その後、幾度も繰り返し訪れる間に、邸はさらに増築され、摩訶不思議な空間はさらに増殖し、その空間で過ごす時間も、密度を濃くしていった。

井田照一の号令がかかるたびに、私たちは休日の早朝、名神高速道路をぶっ飛ばして京都に向かった。キッチンにも、リビングルームよりも小振りだがテーブルが置かれていて、季節によって、ハモだの河豚だの鮎だのがそこに並べられる。そんなテーブルの光景に私はいつも歓声をあげた。それを見て、井田は「あれ食べ、これも食べ、もっと食べ」といつもとても嬉しそうにしていた。器は、そんな作家の心を見事に映していた。

アシスタントの女性とキッチンに立って、テーブルの上にさまざまな料理が美しく盛りつけられた器を並べてゆく時、まるで宝物を取り出して並べるような、満ち足りた心持ちにさせられた。 その居心地の良い空間と、尽きることのない量のお酒と、井田照一との尽きることのない会話のために、滞在はいつも朝方までに及んだ。

そんな長時間滞在の場合、一日のうち、一度ならず二度までも私は井田邸のお風呂につかる。これは井田照一も自慢のお風呂で、いつも

「内藤くん、風呂に入っていきなさい」

とすすめられた。ここのお風呂はまだ陽の高い時間に入るのが正しい。なにしろ、外に向かって全面ガラスなのである。

そこは高台だし、隣地は空き地になっているので通行人や隣家の住人はいない。とはいえ、外から覗こうと思えば覗けないでもないという微妙な構造だった。家の主人もそこを訪れる客も、そんな細かいことは気にしないタイプの人間ばかりで、当然私もこれ幸いと入浴を楽しんだ。

浴室はまさに井田のインスタレーション作品の空間という趣で、風呂桶は風呂場の床に埋め込まれるように設置されているので、その空間はがらんとフラットになっている。そこにひとつ自然石が置かれ、その上に赤い蝋燭と双眼鏡が置かれている。どうやら浴室の外の低い塀の上に鳥がやってくるので、バードウォッチングができるらしい。

風呂場の一角には床の間のように低く一段あがったスペースがあって、そこに作家の飼育している小さな河豚が何尾か泳いでいる。ジャグジーで全身をぶくぶくとマッサージされながら、私は河豚が泳ぐのを見たり、双眼鏡片手にバードウォッチングしたりするのだ。至福のひととき。そんな風にしていつも時間は過ぎていった。

大量の料理(しかも美食)、大量の酒(それも美酒)、大量の会話(おおむね過激)のすべてが、その家をかたちづくるもうひとつの素材だった。時の過ぎるのを忘れ、しらじらと明るくなる頃、私たちは画廊のオープン時間をめざして、その居心地のよい家を後にする。

私にとって、そこはまるで夢の家だ。日本人でありながら日本人の家ではない。かといって外国人の家とも違う。あの場所こそが、アーティストの家なのだと思う。


 

参考:SSI Smart Set CO.,LTD. による井田照一のウェブ・ページ
Shoichi Ida Surface is the Between:
http://www.shoichi-ida.com/

 
 
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