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バイマンスリー/
ギャラリー・アドベンチャー ■1月25日月曜日 |
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#2 知られざる画廊のシステム
週末、買い物の人出で賑わう大通りから一歩入ると、街はその顔を少しだけ変える。さっき書店で手に入れたばかりの本を、静かな喫茶店で熱いコーヒーを飲みながらさっそく開いてみようか。あなたはそんなことを考えながら、通り過ぎる店々のウインドウをのんびりと覗き込む。骨董屋では、古伊万里の小さな花瓶に描かれた模様の青を、また輸入雑貨の店先ではかっちりしたドイツ製のコーヒーミルのデザインを楽しみながら。 晴れた午後、そぞろ歩きには絶好の時間だ。いい香りをさせるパン屋、古い看板のかかる印章店、それから、画廊。その大きな一枚ガラスの向こうの白い壁に、何点もの絵が並んでいる。思わず、足を止める。絵の具の赤い色があなたの視線をとらえる。けれど、画廊の閉じられたドアの前であなたは立ちすくむ。ほんの一枚の扉が、あなたと作品の間に大きくたちふさがる。 「ほら、入って来なさいってば」 画廊の入り口で覗き込むようにしている人影に気がつくと、私はいつもそのような念波を送っていた。 「なぜっ?」 良くも悪くも状況は循環する。最初のどきどき感をクリアして、自分の好みの画廊に出会えたら、その人にとって、そこは空き時間を過ごすにはもってこいの場所と化す。静かに作品を眺めて過ごすもよし、画廊のスタッフと世間話(稀に美術の話)に興じるもよしだ。本来、画廊という場所は、作品を展示し、それを売買して経済活動としている。デパートで買い物をするのと同じで、まず、見るのは無料だ。美術館ではないのだ。もし、作品を販売していて、なおかつ有料という画廊が存在するとしたら、それはちょっとおかしい。よほど敷居を高くして人を寄せ付けまいとしているとしか思えない。あるいは、転んでもタダで起きたくないというがめつい画廊だろう。 「通常の展覧会は無料」、これは世界共通の画廊の基礎知識だ。そして、欲しい物をほしいといい、欲しくないものはいらないという、客として当然の権利を主張できる全世界共通のお買い物のルールが、同様にして適応される場所、それも画廊である。 画廊。ギャラリー、時にフランス語でギャルリエ、などと名乗ったりするその場所。そこは展覧会によってがらりと様相が変わる、基本的には「箱」と呼べるシンプルな空間だ。けれど、その実体はかなり多様である。今回は日本における画廊のシステムについての話に耳をかたむけていただきたい。いくぶん説明的になるけれど、これを少しだけ理解してもらえば、今後、私の「画廊ばなし」のあれこれもぐんとわかりやすくなるはずだ。 私は10年間、画廊でアシスタントディレクターとして働いていた。その間、たびたびこんな会話を交わしたものだ。 海外で画廊と言えば、「商業画廊」と「企画画廊」のことを指す。しかし、この国で画廊と名の付く場所のたぶん9割以上は、日本独自の「貸し画廊」なのだ。一般にはあまり知られていないことだが、日本全国津々浦々の都市に必ず存在する「ある一定の期間、お金を払って画廊のスペースを借りて展覧会を開く」という貸し画廊のシステムは、なんと日本オリジナルの発明品なのである。そして、日本国内で「展覧会を開いたことのある人」の98パーセントは、この貸し画廊で発表していると考えてまず間違いない。 ただし初めに断っておくと、すべての画廊がこれら「貸し画廊」「商業画廊」「企画画廊」の三つにきれいに分類されるわけではない。後でも述べるが、「貸し」であると同時に「企画」をおこなう画廊がある。また「商業画廊」でありつつ「企画」を続けるところもある。なかにはこの三つ全部の機能を有する画廊もあるはずだ。三つ全部というのはどう考えても方向性を考えると無茶な話だと思うが、なんでもありの美術界、そういうことも日本のどこかでおこなわれているに違いない。恐ろしいことである。 もっとも、これらの名称については、機能を説明するために便宜的に考えられた名称ともいえる。通常はただ「画廊」もしくは「ギャラリー」と呼ばれるのであって、私だって勤め先の画廊にいちいち「企画画廊」なんて名前を付けて呼んだりはしなかった。だから美術の世界にそれほど詳しくない人たちが、「ギャラリーはギャラリーでしょ?」というのも無理からぬ話ある。業界用語というのはいつも不親切なものだ。 そんなわけでこれら三つの画廊のシステムだが、まず「貸し画廊」というのは読んで字の如し、「展示スペースをレンタルしている画廊」のことだ。もし、あなたが展覧会を行いたいと思えば、もよりの貸し画廊に問い合わせて予約すればよい。都市部の貸し画廊は「貸し」といえども取り扱いジャンルを限定している画廊もあるので、お金を払えば誰でも借りられるというわけにはいかない。けれど、そのように方向性を強く打ち出した画廊は貸し画廊全体の中ではかなりの少数派である。どうしても、あそこでなければ、などと贅沢を言わなければ、誰だってすぐに展覧会を開くことが出来る。 作品の搬入、搬出、展覧会の案内状の制作、場合によっては会期中の接客なども借り手の責任においておこなわれる。都市部の貸し画廊は一週間借りても十数万はかかってしまうところが多いので、若い作家には金銭的な負担も多い。けれども現在、プロのアーティストとして活躍する作家たちのほとんどは貸し画廊からその画歴がスタートする。その意味では、この貸し画廊システムこそが日本の美術の底流をささえてきたと言っても過言ではない。アーティストたちの青春の日々がそこにある。 さて、次に企画画廊である。私もそんな画廊のひとつで働いてきた。そこでは、画廊のディレクターの指向によって作家が決定される。ディレクターが指向するアートの方向性があり、それに沿って作家を選んでゆくのである。それぞれの作家の作風が似ているということでなく、選ばれた作品の全体を眺めるとディレクターのもつ美術に対するある方向性がみえてくる。傍目から見て、その画廊で展覧会を開催する作家たちの選択の基準がてんでばらばらだとしたら、それもまたディレクターの指向のあらわれ、といえようか。 取り扱う作家を企画画廊がどうやって決めるかというと、すでに実績のある作家に画廊から展覧会を依頼する場合と、作家自身による画廊への作品の持ち込み、他の作家からの推薦、貸し画廊での発表を見て、とおおむね四つのパターンがある。作品の持ち込みで展覧会に至る、というのは個人的な経験からすると皆無であった。 これは私自身の例だが、「貸し画廊での発表を見て」依頼したことがある。才能を感じさせるが、まだ未熟感の漂う作品をせっせと貸し画廊で発表する作家がいて、新幹線に乗って、何度も遠方に足を運んだ。その作家にようやく企画展を依頼できた時の喜びは、今でも忘れられない。大阪の場末の中華料理屋で、私は彼に告げた。「展覧会をしよう。いっしょに仕事をしよう」 そんなふうに胸躍らせながら実現させた個展の開催であったが、最初は誰も彼の作品を買わなかった。それで、私がせっせと買っていたりした。今ではその作家にもコレクターが付き、いくつかの企画画廊から声がかかったり、国内外の美術展にピックアップされるようになった。作家がどんどん活躍の場を広げてゆくのを見るのは喜びだった。画廊をやめた今もその気持ちはかわらない。 展覧会会期中の会場費は、企画画廊が払う。まっとうな画廊ならば、費用を作家に払わせることはない。展覧会の案内状の制作、オープニング・パーティーの費用など、展覧会にかかる諸経費はおおむね画廊の負担となる。彼らはここではじめてプロフェッショナルらしい環境に出会うのだ。企画画廊で展覧会をすることが、イコール、プロの作家というわけではないが、少なくとも、作家が制作に専念できるいくぶんかの環境は用意される。 最後に「商業画廊」だが、「貸し画廊」や「企画画廊」と比べると「商業画廊」などという呼び方は実際はしない。ここでは、オークションや交換会(これも日本独自の、専門業者による絵画流通システム)で仕入れをした作品を売買する。売買される作品には物故作家や古い作品も多く、いわゆる真贋等についての鑑識眼などが問われる。世間一般で言うところの「画商」のイメージはこの「商業画廊」の人々がいちばん近いかもしれない。だいたい、このタイプの画廊には会場内に座り心地のよさそうなソファが置かれているのが目印だ。異論はあるかもしれないが。 洋画、日本画に関しては、「企画」「商業」の二本立てで運営する画廊が比較的多いように思われる。これらの画廊は大都市と呼べる場所なら何軒も存在する。現代美術では「貸し」「企画」の二本立てで運営している画廊が多い。ちなみに現代美術を専門に扱う企画画廊が複数存在するのは、首都圏と名古屋圏のみである。残念ながら数年来大阪では絶滅の危機に瀕している。人口比からすると、まず名古屋圏が圧倒的に恵まれた環境なのは不思議なことだ。そういう意味で、名古屋というのはなかなか大胆不敵な土地柄と言えるかもしれない。そんな名古屋のローカル画廊の逆襲については、また改めて書いてみたい。 以上、知られざる画廊のシステムについて概説してみた。あなたが足を止めたのはこんな場所の一つだったのだ。それぞれの画廊で、それぞれの美術への想いを持ってギャラリストたちは働いている。あなたがそこに通りがかったのは偶然かもしれない。その空間に足を踏み入れるのに、少しだけ勇気がいるかもしれない。あなたが黙って作品の前に立つ、その一瞬のために、今日も画廊は世界に向かって扉を開き続けている。 ■ |
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