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バイマンスリー/
ギャラリー・アドベンチャー ■12月8日水曜日 |
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#21 道標
1998年の夏の終わりに、10年勤めた画廊を退職した。その時は、もう自分が美術の仕事に戻ることはないと思っていた。バブル経済の恩恵を受けた画廊もそうでない画廊も、等しく不況の影響下にあって、作品の売上げは地を這うごとくの状態が数年来続いていた、まさにそんな時だった。 アートの仕事を続けたい人間ならば、展覧会を開催することができて、かつ毎月の給料が支払われる環境にあることを感謝しなければならないような状況である。辞めてしまえば次の就職先はまずない。目の覚めるような有能な人間か、素晴らしい幸運に恵まれでもしない限りは……。そして、私はそのどちらでもなかった。残念ながら。 画廊のアシスタントとして目の覚めるような有能さとは何かというと、専門的な美術の知識(知性と教養)を持ち、洗練された会話(社交技術)で顧客を魅了し、直感力と先見の明を備えている上に、あたりまえのように英語が話せることは、まぁ必須なんだろうなぁ。書いていて虚しくなるが。また容姿も魅力的であるにこしたことはない。服装などのセンスが良いことは当然である。これ、全部クリアした上にコネがあれば世界中のどんなビッグネームの画廊でも勤められることだろう。というより、そんな人間はいずれは独立するもんだ。 しかし、目の覚めるような有能さに恵まれない人間も、いや、だからこそかもしれないが、引く手のない人間もたまに独立したりする。それが私である。 アメリカのように、アートに関わる職業(キュレーターなんかに特に顕著なのだが)にかなりの社会的ステイタスがあったりなんかして、ある種のパワーエリート層が形成されていると、寝ぼけマナコの人間に割り込む余地はほとんど残されてはいない。しかし、相変わらず供給に比べて需要の極端に少ない日本の現代美術業界は、マイナーな世界であり風俗営業と同じ窓口であり公安の監視下なのである。まだまだ私のような人間が数人くらい無理やりに潜り込む隙間はなきにしもあらずなだ。いやはや、ギャラリストにとっての『アメリカン・ドリーム(的なもの)』をつかむチャンスは、案外日本にあるのかもしれない。 そんなわけで、私は相棒と出会ったのをいいことに、ちゃっかりと独立してしまった。ええい、夜明け前の日本の現代美術業界に我々ふたりがスリムな身体(やや誇張)をねじこむくらいの隙間はあるだろう! ってなものである。で、事務所を立ち上げて約2カ月、現在の状況がどんな感じかというと、断崖絶壁の岩のかすかな隙間に、両手の親指以外の指先の第二関節をかろうじてひっかけてぶらさがっているといえばなんとなく想像していただけるだろうか? 足場をもぞもぞと探している初心者のロッククライマー状態である。あ、親指がつりそう……。もっと隙間を! 隙間を広げるためのとっておきの呪文なんて知らない。だから、私はこの二カ月、わずかな隙間にあたらしい仕事用の名刺をぐいぐいとねじこんできた。その数約200 枚。半年はもつかと思ったのに、初刷り200枚はほとんどなくなった。ああ、これが版画作品かなんかだったら(エディション200完売)どんなにステキだろう! という妄想はやめよう。 さて、最初の名刺ができあがった時、私の名刺を見て相棒はこう言った。 「私たちの仕事のターゲットはどこですか?」 アート・コーディネーター? アート・プランナー? あるいは、アート・コンサルタント? こういう横文字の羅列はただでさえ怪しげなアートの仕事をますますうさんくさく感じさせるような気がする。けれど、もともと日本にはなかった職種なので、横文字になってしまうのはいたしかたない。というわけで、次の印刷分からは名刺の事務所名の上にちいさく『アート・コーディネート&プランニング』という文字を入れることにした。 たぶん、このようにして私の名刺は印刷するごとに微成長を遂げてゆくのだろう。仕事も負けずに微成長をしていきたいものである。たとえ一歩ずつでも。たくさんの人たちが、私の背中を押してくれる。ある時は、ばしっと。またある時はゆっくりと静かに。けれどその手はいつもあたたかい。 ギャラリストとしての10年のキャリアはとりあえずあるものの、「〜ギャラリーのアシスタント」というささやかな肩書きを取っ払った直後の私は、とても心細い気持ちがしたものだ。 「な〜んにもなくなった」 しばらくの間はそんな心持ちで日々を過ごした。けれど、もう一度私がアートの仕事を始めると宣言した時、私は実は何も失っていないばかりでなく、10年の間にかかわったたくさんの人たちの心からの励ましを受けることになった。思いもかけない人たちからも仕事への復帰を歓迎された。なんだか放浪の後に少し気まずい思いでわが家へ戻ると、昔と変わらない笑顔で迎え入れられたような、そんな気分だった。放蕩娘の帰還。 「おかえりなさい」 辞めたときとおなじように、美術業界に復帰したときにもあれこれと説明は求められなかった。アートの世界の人間というのは、そういうところがある。 先日、画廊時代の取り扱い作家である井田照一の展覧会のオープニングパーティーが名古屋であったので顔を出した。行くことは告げていなかった。会うのはかれこれ一年ぶりだろうか。作家は私の顔を見るなり立ち上がって私の手を握り、それからすべすべした柔らかい両手で私の頬をはさむようにして「よく来たね」と言った。 思わず抱きついてしまおうかと思ったが(いつもなら抱擁は挨拶代わりだ)、そうすると涙がでてきそうだったのでやめた。 ひろくて、あたたかい心がある。その心を持った人たちは、ときに戦闘的になり、たいへんに厳しい。辛辣で獰猛ですらある。飼いならされない人たち、それがアーティストであり、アートの世界に住む人たちでもある。猛獣のひそむ密林に、私はふたたび足を踏み入れようとしている。けれどまた、この場所は豊穰の地でもある。さらなる奥地を目指して、歩いてゆこう。 アートは、私にとっての道しるべだ。そしてそれは、ほんとうは私だけでない、誰にとっても道しるべになりえる。だから、私は枝を払い、草を引き抜く。見晴らしのよい場所をつくるのだ。それが密林の植物たちに埋もれてしまわないように。これまでも、いまも、これからも……。 ■
■内藤美和氏の新事務所「オフィス
マッチング・モウル」のウェブサイト: Office
Matching Mole on the Web ■本連載は、これにて最終回です。ご愛読ありがとうございました。
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