バイマンスリー/ ギャラリー・アドベンチャー
2月
10日水曜日

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 #3 笑うリトグラフ

 

「僕も、ときどき絵を買うんだ」

 数年前、卒業後はじめて中学校の同窓会が開かれた。十数年ぶりに会う顔も多く、気乗りしないままになんとなく出席したものの、懐かしくてこれはこれで楽しいものだと思えた。参加していた元女子生徒たちは私を除いて全員既婚者だったのではないだろうか? なんだかみんな授業参観日のお母さんみたいなパステル調のスーツを申し合わせたように着込んでいて、私は完全に浮いてしまっていた(私はヨージ・ヤマモトを着ていたように記憶する)。

 話題にもあまり付いてゆけなかった。私には楽しく思い出すような学生時代の記憶もなければ、自慢や愚痴の対象となる夫も子供もいないからだ。仕方ないので、知った顔の元男子生徒のグループと話をした。私は尋ねられて「画廊に勤めている」と言った。それを聞いたかつてのクラスメートの一言が、冒頭の科白である。

 私の心の中の目は点になった。え? あなたが? 今日は一応パーティーというのに、仕事帰りという理由でジャージ姿でやって来たあなたが? 現在は公務員をしているらしいが、中学の頃は「左門豊作」(『巨人の星』の登場人物のひとり)とか渾名を付けられていたあなたが? 「うっそー」それが私の正直な気持ちであった。ジャージ姿の彼は、重ねてこう尋ねた。

「画廊に勤めてるなら、きみのとこにもリトグラフ置いてある?」
「え? リトグラフ?」

 一瞬、私の思考は停止した。リトグラフ、リトグラフ……。二秒後にそれは高速回転を始めた。彼は版画が好きなのだろうか、それともリトグラフという特定の版種が好きなのだろうか? 版画ファンがこだわる版種といえば、普通ならエッチングか木版というのが相場だが、なぜ、リトグラフなのか?

 私は平静を装い、彼の顔をちらりと見た。「いい人感」の溢れる笑顔を見て、なんとなく私はすべてを了解したのである。そうか、左門よ、あんたの言うリトグラフってのはいわゆるエスタンプ(複製版画)のことなのね。

 私はにっこり笑って、「リトグラフの作品もあるよ」とだけ答えた。

「リトグラフ」問題がはじめて私の前に提示された時のことはよく覚えている。それは、バブル経済のはじける直前、派手な外車に乗り、金のブレスレットとロレックスの腕時計を付け、たぶんアルマーニのスーツを着た、いかにもなバブル青年が画廊に飛び込んできた日のできごとだった。絵に描いたような、という陳腐な表現があれほど似つかわしい人も珍しいと思えるほどのその泡沫成金然とした青年は、今から考えるとずいぶんサイズも大きかったものの、当時はまだ今ほど普及していなかった携帯電話を片手にこう言った。

「○○・○○○の版画ある?」彼はある外国人の名前を私に告げた。
「○○・○○○、ですか?」
「なんだ、知らないの?」

 画廊の人間のくせにものを知らないやつだ。その青年の顔はあからさまに私を馬鹿にしていた。それから「しょうがねぇなぁ」とばかりに、一冊の雑誌を取り出してこれだよ、これ、と指さした。
「げっ」
 声には出さなかったが、目玉が飛び出しそうになる。「ないわよっ、んなもん」というのが偽りのないその時の気持ちだったが、個々人の美術の好みというのは、憲法で保証されていないものの美意識の自由なのであって、それを私がとやかくいうのは余計なお世話様である。したがって、私はただ「ございません」とだけ答えた。

「なんだ、○○・○○○も置いてないのかぁ」
 これだから田舎の画廊は、とかなんとか捨てぜりふを残しつつ、その泡沫成金青年の派手な外車はぶーんと走り去っていったのだった。その後バブル経済は崩壊し、その派手な外車は二度と戻らなかった……。

 と、それはともかく。そこで彼がとりだした雑誌の広告に掲載されていたのが、ある外国人作家のリトグラフ作品であった。当時(実は今も脈々と続いているのだが)、カラー図版満載の雑誌広告やテレビのコマーシャルでもっともよく目にするタイプの作品群、それらは版で押したように「リトグラフ」だったのである。そして、バブルがはじけた後、画廊に「引き取って欲しいのだが」とかかってくる問い合わせの電話で名指しされる作品のほとんどが、なぜか「リトグラフ」だったのである。画廊のコレクターの知り合いとかいう人物が60数回ローンを組んで買ったというのも「リトグラフ」だったのである。

「リトグラフ」って一体なんだろう?

 誰しもご存じだと思うが、美術作品には「版画」という表現がある。「版画」の他の美術表現と際だって違う特性とは、「複数制作が可能である」ということだ。けれど、これは版画という表現にとって二次的なことがらに過ぎない。そもそもの始まりは「複数制作が可能である」ことにウェイトが置かれて発達した技術であるが、現代のアーティストは「版画でなければできない表現」のためにあえて版画という手段を取る。

 版画には実に多くの手法がある。代表的な4つが、木版画、シルクスクリーン、銅版画(エッチング)、それから石版画。この石版画がリトグラフのことだ。もともとはとても目の細かい特別な石を版として使用していたが、現在は石の代わりにアルミ版が使われることが多い。リトグラフというのは、つまり版画の中のひとつの手法なのである。これがなぜ、旧友の発言を待つまでもなく、「リトグラフあります」などの怪しげな画廊の広告に代表されるような、まったく独立したひとつのジャンルのように扱われるようになったのだろうか?

 断っておくが、私はリトグラフという表現を否定するものではない。私も仕事でリトグラフの作品を取り扱ってきた。リトグラフは、シルクスクリーンやエッチング、木版画と比較して、表面はとてもフラットな質感を持つ。そのフラットな質感がほしい場合に、アーティストはリトグラフを選択する。これは、とても理にかなったことだ。

 しかし、リトグラフにはもうひとつ、他の版画にはない特性がある。木版画やエッチングが「複数制作が可能である」とはいえ、その数に限界があるのと違って、リトグラフの場合ははるかに大量の制作が技術的に可能ということだ。

 ほとんどの版画には、左下の部分に「5/30」とか「7/50」とかの数字が鉛筆で書き入れられている。それから右下に作家のサインと制作年、場合によってはそれらの中間部分に作品のタイトルが書かれていることもある。左下に書かれた「5/30」というのが、いわゆる「エディション(Edition)」だ。「5/30」の場合、その作品はエディション30、つまり30枚刷られているわけである。

 しかし、実はその作品が世の中に30枚しか存在しないということは滅多にない。エディションの他に「AP(アーティスト・プルーフ)」というものがたいがい存在する。これはエディションとは別に「作家の持ち分」として刷られるものを指す。質的にはなんら変わることはない。また「PP(プリンターズ・プルーフ)」というのもあり、これは刷り師の持ち分であるが、エディションや「AP」と比べて数はとても少ない。

 この「エディション」と「AP」と「PP」の割合に厳密な規則はない。エディションの数からしてどれだけ刷っても法律に触れることはないのだ。オフセット印刷のごとく何千枚刷ったとしても、誰からも文句を言われる筋合いはないのである。

 たくさんの枚数を刷ることが出来れば、それだけたくさんの人がその作品を持つことが出来る。同時に、たくさんのエディションがある、ということは、経済のしくみからして値段も当然安くならなければおかしい。実際、版画作品というのは美術品の中では比較的安価に購入することができるジャンルでもあるのだ。実はかなり有名な作家のものでも、思いの外安い。現代美術だったら世界の巨匠というような作家でも、作品によってはわれわれ一般市民でも実は購入可能な値段なのである。性能のいいコンピュータを買うような値段、そんな感じだろうか。それが50万の場合もあれば200万の場合もあるだろうが、まぁ、そんなものである。

 リトグラフという技法は「大量生産」に便利だという理由でまさに大量に制作されているという現実があるが、もうひとつの現実として「複製」の機能も果たしている。これは、少しわかりにくいかもしれない。版画はなにかの複製ではなく、本来は「版画でなければできない」表現のために存在するものだが、現実には、リトグラフ愛好者の購入する作品の多くが「エスタンプ」と言われる油絵や水彩画などのいわゆる「オリジナル」の複製なのだ。大量生産された複製画、ある種のリトグラフの作品はこのような側面も持っている。

 その事自体を非難することはできないが、それらの作品が売買される際に、ほとんどの購入者はそれが

大量生産された「複製版画=エスタンプ」

であることを知らされていないことは問題である。美術品の値段に関しては改めて書くつもりだが、リトグラフであることを強調して売られている作品を購入される方は、版画に関する基本的な知識を持つことが大切だ。それは図書館などで簡単に入手することが出来るし、まともな画廊ならばそのことに関して詳しい知識を伝えてくれる。

 もちろん、たとえどれだけたくさんのエディションが存在し、それがエスタンプであったとしても、あなたにとって素晴らしい作品であるならば、それが値段にかかわらず手元に置きたいという感動を与えてくれたならば、あなたはその作品を購入するべきである。それはひとつの出会いなのだから。しかし、その場合、作品の美術的価値に関しては売り手の言い分を鵜呑みにするべきではない。また、メディアへの露出度に信頼を置くべきではない。ただ、あなたはあなたの感動のみを頼りにすればよいのである。

 さて、ある日、私はとある有名な美術雑誌のアンケート葉書を読んで、再び目が点になってしまった。そこには、「あなたの好みの作品は?」という質問があり、「日本画」「洋画」「版画」「現代美術」「工芸」「骨董」などと並んで、「リトグラフ」の文字が……。

 まさに獅子身中の虫である。

 
 
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