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バイマンスリー/
ギャラリー・アドベンチャー ■2月25日木曜日 |
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#4 インターネットはアートを救う?
1995年。私にとってのインターネット元年。インターネットがなんなのか、知る由もないまま職場にコンピュータが導入され、同時にインターネットに接続できる環境も完備された、ある暑い夏の日のことであった。 それ以前にも個人的にコンピュータは利用していたものの、インターネットがどういう仕組みのものなのかまったく知らなかった私は、プロバイダーの人にとりあえずの利用方法を聞いた後も、なんとなく「それが何になるの?」とたいした期待も持てなかった。恐る恐る接続したのはそれから一月も後のことである。そして、検索エンジンを使って美術関係のウェブサイトを巡回するようになったのは、その年の暮れ頃だ。 1995年当時、日本語によるアート情報というのは実におそまつなものであった。絶対数が決定的に不足しており、現在もそうであるように、ネット上に漂う美術情報は、聞いたこともない自称作家たちの「私の作品を見て!」というのが大部分を占めていた。欲しい情報はどこにもない。 この「欲しい情報がどこにもない」という事実が私の野心を掻き立てた。インターネットはまだまだ美術関係者には普及していない。しかし、報道によるとどうやら今後はテレビのごとくに一般的なものになるというではないか。今、密度の高いものを作っておけば、近い将来きっとその努力は報われるに違いないという希望的観測が私を支配した。それに国内の現代美術専門画廊はまだどこも作っていないという現実も私を燃え上がらせた。 根が怠惰なくせに、好奇心だけは人一倍な私は、気分だけは「人類月面への第一歩」とか「初のチョモランマ登頂」とかいう響きが大好きなのである。しかも、これにはお金はかからない。労力さえいとわなければなんとかなるのだ。まさに私向き。そんなわけで構想3カ月、実制作1日の果ての、1996年4月。私は勤めていた画廊のウェブサイトを制作し、それを全世界――ただし、日本語の通じる――に向けて発信した。 電話回線に乗ってたくさんの情報が名も知らぬ誰かに気づいてもらえることに望みを託して送り出される。それはまるで、宇宙のどこかにいる異星人に向けて地球人の存在を知らせるメッセージを送る天文学者みたいな気分だった。言葉はとどくだろうか? 想いは、とどくだろうか? しかしながら、そのような私の努力を「情報を発信されている当事者であるところの作家たち」は、誰も気にも留めなかった。誰ひとりとしてインターネットなんてなんのことか知らなかったのである。特に、海外とのやりとりの多い作家には、E-mailの便利さも含めてあれこれその利用価値を強調しても聞く耳すら持たない。コンピュータだのインターネットだのという言葉に、まるで明治時代に初めて写真と言う技術に出会った日本人のように「たましいを吸い取られる」に近い反応すらみせるのだ。 ようやく2年後、作家のひとりに自宅でインターネットが利用できるようにコンピュータ一式を購入したと告げられると、私は小躍りして喜んだ。が、実際に接続に至るまでにさらに半年待つことになる。なんというか、とにかくアナログな人たちなのだ。そして1998年。元の職場となった画廊のオープニング・パーティーで、私は取り扱い作家のひとりからこんな言葉を聞くことになる。 「内藤さん、ありがとう。僕は内藤さんに命を助けられてん」 え? 命? こてこての関西弁でそう言われて私は首をかしげた。しかし、続く言葉に私は衝撃を受けた。 「そうやねん、命を助けられてん。インターネットで!」 その秋、彼はフランス人のキュレーターよって、海外の国際展に日本人作家のひとりとしてピックアップされていた。美術の世界で国際展のメンバーに選ばれる、ということは世界の美術界へ打って出る大きなチャンスのひとつである。代表的な国際展としては、ヴェネツィア・ビエンナーレ、ドクメンタ等があるが、他にも、数多くの国際展が毎年世界中のさまざまな都市で開催されている。 国際展の規模にもよるが、多数の国からの美術関係者(ギャラリスト、美術館のキュレーター、美術評論家、プレス関係者等)が集まるため、そこには次なる展開へのチャンスがある。国際展での評価の結果、海外で活躍することになった日本人作家は多い。今回、画廊の取り扱い作家である中川佳宣が選抜されたのは、なんと「天国にいちばん近い島」であるところのニューカレドニアで開催された国際展だったのである。 正直言って、ニューカレドニアでの国際美術展なんてはじめて聞いた。しかし、作家選考に関わっているフランス人キュレーターはポンピドゥ・センターの企画展にも関わっていた人だというし、日本からの参加作家は村上隆、ヤノベケンジなど、若手アーティストとして活躍中の作家たちなのだ。ニューカレドニアという、現代美術には一見無縁の国の国際展だとしても決してあなどれない。そして展覧会のオープニングに参加するため、はるばるニューカレドニアに渡った彼はこんな体験をしたという。 それは、オープニングセレモニーの後のこと。彼の作品に興味を持ったオーストラリアの美術館のキュレーターが彼に作品についての説明を求めてきた。会話は、もちろん英語による。その時彼は「まぁ、なんとかなるだろう」と思ったらしい。それを聞いて、私はちょっとのんきすぎるのではないか? と思った。なぜなら、彼の作品は母国語である日本語によってでもなかなか説明困難なものなのだ。案の定、話し始めてすぐに彼は英語による説明の困難さにフリーズする。冷や汗が流れ、頭はパニック状態になったそうだ。 海外の美術館のキュレーターに作品を知ってもらうのは作家にとっては大変なチャンスだ。しかし、肝心のことばが出てこない。その時の彼の気持ちは想像するだに恐ろしい。しかし、しどろもどろを通り越した状態の彼に、ひとりの東洋人女性が日本語で話しかけてきた。 「あなた、作家の中川さんですか?」 それどころではなかった彼は、それだけ言うのがやっとだったらしい。彼の名前を確認しただけで、その女性は彼の元を離れ、近くにいた彼女の連れの外国人女性と話を始めた。しかも、たいへんに流暢な英語で。 その時、苦境に立っていた作家の頭の中では次のような考えが駆けめぐった。「彼女は日本語が話せる。彼女は英語も話せる。彼女は僕を知っている」次の瞬間、彼は彼女の元へ駆け寄り懇願した。 「すみませんが、15分だけ通訳してもらえないでしょうか?」 その後45分間、彼女は彼の作品について、英語での通訳を続けてくれたそうである。長きに渡る通訳を終えた彼女に、心からの感謝の気持ちを述べた彼は、「ところで、僕のことをなにでお知りになったのですか?」と彼女に問いかけた。 ここは、天国にいちばん近い島、ニューカレドニアである。そんなところで、日本人に会うことも稀ならば、どうやら美術関係者でもないらしい彼女が、まだメジャーとは言えない自分の名前や作品、そして顔まで知っていた不思議を彼は問わずにはいられなかった。 「ええ。あなたのことはインターネットでね」あなたの作品を観て、顔も覚えていた、と彼女は言った。 「え? インターネットで?」 話がそこに及んで、私はぽかんとして言った。実は彼女はニューカレドニア在住25年の日本人であり、どうやら私の作った画廊のウェブページによって彼の作品や顔を記憶に留めていたらしい。 「インターネットで?」 私は馬鹿のようにおなじことばを繰り返した。「そうやねん」と彼は言った。それから、再び「インターネットで命を助けられてん。ほんまに、地獄に仏とはあのことやったわ、内藤さんありがとう!」と私をぎゅうっと抱きしめてくれた。 おお、久しぶりに若い男の抱擁だ。などと喜んでいる場合ではない。まったく狐につままれたような話だが、どうやら本当のことらしい。少しずつことのなりゆきが理解されていった。胸がいっぱいになった。私は感動したのだ。「苦節3年」とか、そんな言葉が浮かんでは消えたが、彼の顔をみているうちに、ただ「よかった」という思いで満ち足りた気分になった。 小規模ながら国際展に参加することが、作家としていかに重要な機会であるか、そのことを理解してもらうのはなかなか困難なことだろう。現在、国内で活躍する現代美術の作家のうち、かなり知名度の高い作家たちでも作品を売ることだけで生活していける数は驚くほど少ない。たいていは、美術系の大学や学部で教鞭を取りながら制作活動を続けている。日本にはまだ彼らの活動を経済的にささえるコレクター層が不足しているのだ。 けれど、マーケットが世界である時、彼らは制作活動に専念するという、作家として当たり前の環境をなんとか手に入れることができる。今回、紹介したエピソードに登場する作家はまだ若い。幸運にも作品に興味を持った海外の美術館のキュレーターと接触することができた。そして二重の幸運によって、その作品についての解説を通訳してくれる人と居合わせることができた。ここで、一気に彼の作品がなんらかのかたちでビジネスに結びつけば、素晴らしいサクセスストーリーになるだろう。世界の美術界にはもちろん、そんなシンデレラ・ストーリーはたくさんある。 一見華やかなアートの世界の基盤は、気の遠くなるような思索と制作の積み重ねによって築かれているのだが、インターネットというあたらしいメディアがそうやって生まれた作品をすくいあげるひとつの力になるのだとしたら、すばらしいことではないか。 太平洋上の遠い島で、インターネットの電話回線を通して日本のアート情報を拾い上げていたひとりの女性。彼女のような存在は世界中にまだまだたくさんいるはずだ。私も、コンピュータの向こうにいるはずの、そんなアートを愛する人たちと、いつか出会えればいいなと思う。 インターネットがアートを救うかどうかは、実のところわからない。「時に、インターネットがアーティストを救うこともある」ということだけは、深い感動とともに実証された気がしているのだが、いかがなものだろう。 ■ |
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