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バイマンスリー/
ギャラリー・アドベンチャー ■3月22日月曜日 |
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#6 目を閉じて
彼は、その景色を前に歩をゆるめる。昏い灰色の空の下に広がる、スコットランドの漠とした草原で。海風が、波のように緑の大地を吹き渡ってゆく。ロンドンの下宿先から、彼は折に触れてケルトの遺跡を巡る旅を繰り返している。旅の途中で、気まぐれに足を伸ばして、さまざまなイギリスの風景を歩いてきた。この名もないスコットランドの村にも、そうしてたどり着いた。 ただ遠くまで見渡せるこのなにもない風景が、むしろ心地よい。それはまるでミニマルな絵画のように、静かに心に入ってくる。彼はそこに佇み、それからふと思い立ち、持っていたカメラで、茫漠とした景色に向けてシャッターを切った。 やがて、草原の遠くから、少しずつ羊の群が近づいてきた。風景にゆっくりとけ込んでくるように。羊の群のなかにひとりの男の姿を認めたのは、その男がかなり近くにきてからのことだ。 「まるで絵葉書のようだな」 彼はスコットランドの草原と羊飼いの男、という構図に思わず微笑んだ。羊飼いも、見知らぬ旅行者に気づき、思いのほか気さくな様子で近寄ってくる。互いに挨拶を交わす。 「旅行かい」 単調な羊の放牧のつかのまの気晴らしのように、羊飼いは親しげに彼に尋ねる。 「いいカメラ持ってるね。日本製か?」 彼はカメラを羊飼いに見せながら、どんな旅にも繰り返されるありふれた会話を続けた。見知らぬ人と偶然に出会い、言葉を交わし、別れを言う。彼らとは二度と会うことはない。いつもの旅の、小さなできごとだ。 やがて、羊飼いは先頭をゆく羊に目をやり、「じゃあ、これで」と言った。 「目を閉じてごらん」 Close your eyes……そのひとことを残し、羊飼いは立ち去った。目を閉じてごらん。彼はいわれるままに目を閉じた。瞬間、スコットランドの魅力的な風景は消え、代わりに風の音、草の匂い、空気の温度……足下から靴底を通して大地の柔らかさが伝わってきた。別の風景が、鮮やかに立ち上がり、彼を包みこんだ。 ※ 画廊のオフィスで、作家の土屋公雄から、私はこの話を聞いた。話が羊飼いの去り際のひとこと「目を閉じてごらん」に至ったとき、私は「土屋さん、話、作ってませんか?」とちょっぴり思ったことを正直に告白しておく。それにしても、この話はまるでファンタジーではないか。たとえば、ボロボロの年老いた旅人が本当は魔法使いだったとか、蛙の正体が本当は魔法にかけられた王様だったとかの。 発想が貧困かもしれないが、つまり、ありふれた日常のヴェールが一瞬のうちに取り払われ、真実の姿が明らかになる。さっきまで「おっ、いいカメラ持ってるねぇ」と日常会話を交わしていた人間の去り際に残したことばが、「目を閉じてごらん」だなんて。 「すっごく、哲学的……」 私はうっとりと、情景を頭の中に再現していた。草原に立つ羊飼いの男の、世界を見通す賢者のような表情が浮かぶ。話の途中までは単なる気さくなおじさんだったのに。まるで映画でも見るように、その情景が見えてくる。言語情報もほとんど一瞬にして脳内でビジュアル化してしまう人間の典型みたいな私の頭の中には、そのスコットランドの草原と、そこに立つふたりの男の服装の細部まで描き出されていた。 土屋公雄は話術の名手。おそらくは現存する日本人の現代美術作家の中では五指に入ると言ってさしつかえない。冬の雪国の囲炉裏端に一家にひとり土屋公雄を、というほどの語り部だ。だから、脳裡に浮かぶ風景のリアルさも尋常でないものがある。 美術作品は「視る」ことで体験できる。視覚障害者を含めて「触れる」ことを意識して制作された作品もないではないし、空間全体を使ったインスタレーション作品はまさに「全身で感じる」ものだし、作品の中には「ひどく匂う」ものもなくはない。それでもやはり、美術作品には視覚が優先される。大きさ、色、かたち、素材など、視覚によって集められた情報をカードのように並べて、整理し、理解する。 そんなふうに架空の机の上にカードを並べながら、不可解なもの、ときに理不尽なものに出くわすと、私は考えてしまう。カードの情報が少なすぎて、意味を見いだせないことも多々あり、カードのデータに捕らわれすぎて、かえって意味を見失うことも多い。 そんな時、私は思い出す。「目を閉じてごらん」、このことばを。頭で、力技でねじふせるように突き進もうとする自分に「待った」をかける。洪水のように押し寄せてくる情報をせき止める。頭の中の窓をいっぱいに開け、新しい空気を入れてみる。立ち止まって自分自身の姿を眺める。原初的な自分の心の動きをたどる。しばらく、そんなふうに自分自身とコミュニケートしてみる。 ああ、作品を分析するよりずっとややこしいではないか。もつれた視線がよじれながら世界を視ているのがわかる。だから、一度、目を閉じてみる。それから、もう一度視線を作品に戻す。 それで何が変わるのか? 何がわかるのだろうか? 私にはまだはっきりとはわからないが、目を閉じて、耳を澄ませ、感じてみたい。美術作品を見ることは、生きることに似ている。 土屋公雄からその話を聞いたあと、私は、ほかに誰もいない画廊の真っ白な壁にかけられた土屋のひとつの作品の前にたたずんでいた。自分の心を覗き込むように、その作品に向かい合う。作品にはこんなタイトルが付けられていた。「目を閉じて」 ■ |
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Copyright 1999 by Miwa Naitoh, Boiled
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