バイマンスリー/ ギャラリー・アドベンチャー
5月
5日水曜日

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 #9 センチメンタルじゃない旅

 

時間とお金に余裕のない旅、それはいきおい、早食い競争のような旅になる。特に私の場合、旅の目的はアート。国内だろうが国外だろうが、朝から晩まで美術館や画廊を駆けずり回るがつがつしたスケジュールになる。いわばアートの一気食い。だから、しばしば食べ物を喉に詰まらせるように、アートの摂取量が脳の許容範囲を超えて頭が真っ白になることすらある。

その土地に風光明媚な場所があろうが、歴史的な記念物があろうが、話題のテーマパークがあろうが、名物の食べ物があろうが、すべては二の次三の次で、メニューから選ばれるのはアートばかり。

写真家の荒木経惟は、亡き妻ヨーコとの新婚旅行の想い出を『センチメンタルな旅』という素晴らしい写真集として残しているが、私の旅はひとり旅、しかもあんまりセンチメンタルじゃない旅である。偏食の上に大食い行脚もいいところだ。

画廊に勤めていた頃は、特に時間の余裕がなかった。週休1日。盆と正月以外はまとまった休みなし。だから10年の間に3回しか海外に出られなかったが、今は違う。有り余る時間。まさに「腐るほどある時間」を私は手に入れた。それと引き替えに収入もなくしたわけで、世の中というのは本当に上手くいかないものだ。

美術業界に永くいると楽観主義と悲観主義が同時に身に付く。しかし、最終的に備わるのは、ある種の楽観主義だろう。いちいち落ち込んでいてはものごとひとつも成し遂げられないのだ。しからば、「今、そこにある危機」である経済問題はとりあえず置いておくとして、豊富な資源であるところの時間の活用について思いを巡らしてみるのもよいではないか。

目下私が回りたいと思っている場所はヨーロッパ。持ち前の貧乏根性から、どうせ現地に行けば美術館のはしごをするに決まっているのだけれど、本当の目的は別にある。私はヨーロッパで、ランドスケープや野外彫刻などのパブリックアートを見たいのだ。

その大規模なものは「都市計画」と呼んでもさしつかえないスケールだし、私の見たい作品のいくつかは、設置されている土地にちなんで制作されたいわばモニュメンタルな作品である。これらは、通常の美術作品と違って日本の美術館の企画展に出品されることはない。その土地に足を運ばないと見ることはできないのだ。

かねてより私が見たいと願いながら、ほとんどの作品がヨーロッパかアーティストの出身地であるイスラエルにしかないことから実物を見ることがまだかなわないのが、ダニ・カラヴァン(Dani Karavan, 1930〜)の作品だ。カラヴァンの作品は1994年から翌年にかけ、神奈川県立近代美術館を皮切りに国内数カ所の美術館で紹介された。

私は三重県立美術館でその展覧会を見たのだが、作品のマケット(縮小模型)や写真などほとんど資料の展示であったにもかかわらず、それは衝撃的なものだった。カラヴァンの作品のほとんどをその展覧会で知った私は、強く思った、「この作品の前に立ちたい」。

現代美術の作品をほとんど目にする機会のない人に、この私の「海を渡ってでもひとつの作品に会いにいきたい」という欲望をどのように説明したらよいのか、しばしば思いまどう。けれど、そういう突き上げるような情熱をことばにすると、案外ミーハーなものとなる。いわく「きゃーっ、かっこいいー!」。「いやーん、ステキ!」でも間違いではない。

私が黄色い声を出してしびれたのは、ダニ・カラヴァンがフランス国境に近いスペインのポルト・ボウという海沿いの場所に作ったひとつの作品、第二次世界大戦中にそこで自殺し埋葬されたドイツのユダヤ系哲学者、ヴァルター・ベンヤミン(Walter Benjamin, 1882-1940)の追悼記念碑『パサージュ(Passage)』であった。

私は手元にある地図帳を開き、そこで「ポルト・ボウ」というスペインの町を捜してみる。載っていない。地図にない町、というのは正確ではなく、この地図帳は中学時代に授業で使っていた簡単なものなので、主要都市くらいしか載っていないのだ。カラヴァンの『パサージュ』は、しかし、そんなスペインの片田舎にあると考えられる。外国人観光客が大挙して訪れるとも思えないその町に、私はたったひとつの作品に会うためにでかけて行くのだ。心の奥底のしびれるような憧れを抱いて。そんな想いを胸に秘めた私に、先日いきなりこんな言葉を投げかけた人がいた。

「僕ね、カラヴァンに会ったよ」

ここ数年、インターナショナルなびっくりを私にもたらすのは、7割方アーティストの土屋公雄だ。土屋は数年前にイスラエルで開催された国際展が縁でイスラエルの美術関係者と知り合い、当時日本に住んでいたその関係者の自宅でのパーティーに招かれ、たまたま来日していたカラヴァンと同席したというのだ。それは私にとって「たまたま知人の家に行ったらレオナルド・デカプリオがいてさぁ」というのの300倍くらい、「ブラッド・ピッドと同席して」の100倍くらいの衝撃だった。

こういう場合、その会話はアイドル歌手のファンの女の子のように「ねぇねぇ、カラヴァンってどんな人?」から始まり、ファン同士が「あの曲はステキ」というように、「あの作品はステキ」とか言っているのである。「あのコンサートはステキ」の代わりに「あの展覧会はステキ」となる。ファン心理なんてどんなジャンルだって同じだ。情熱の根っこの部分を支えているのは「かっこいい」とか「ステキ」とか「美しい」という素朴な感動だ。先日テレビで外国の高名らしい数学者がある公式について「まるで現代美術のように美しい」と語っていたのを聞いたのだが、えてして感動とはこのようにシンプルな感情なのだ。

さて、ダニ・カラヴァンである。スペイン、フランス、ドイツなどヨーロッパ各国にその作品は点在しているのだけれど、カラヴァンの出身であるイスラエルにも当然代表的な作品がある。実は私の友人が最近イスラエル勤務となり、「遊びにおいでよ」と言ってくれたこともあり、イスラエルにカラヴァンの作品を見に行くという夢は私にとってリアルな現実になろうとしている。

その話を土屋にすると、「イスラエルは素晴らしい国だよ。本当に美しいところだ」 と遠い目をして語るのだった。「砂漠も美しい、果物も美味しい、遺跡も素晴らしい。そしてなによりも地中海だ。あれは本当に美しいよ。見ていて、切なくなる。ひとり旅なんかたまらなくなるよ、誰かに、抱きしめてもらいたくなる」

そんなことを言われても困るのだが。東洋の果ての国から来た孤独な女のひとり旅――その切なさを癒すために、5分間だけでいいから抱きしめていてくれるようなオープン・マインドな男性がたまたまその場に居合わせる可能性は限りなくゼロに近いと思う。イタリアじゃないんだから、敬虔なユダヤ教徒の国なんだから。

「まぁ、それはそれとして、カラヴァンは『パサージュ』もぜひ訪れたいんです」
「あれは僕もまだ見てないんだよ。すごい作品だよね」
「フランス国境に近いスペインなんですよね?」
「そうそう。それだったらフランスのリモージュまで足を伸ばして、ヴァシヴィエール現代美術館にも行くといいよ」

このヴァシヴィエール現代美術館には、土屋公雄の作品もコレクションされている。それは湖の中にある島全体が美術館になっている、これまた素晴らしいロケーションのアート・スペースらしい。せっかくスペインまで出かけるのなら、リモージュを訪れるのもいいかもしれない。

またしても私は手元の地図帳を開いてみた。リモージュ、今度はちゃんと地図にある町だ。自転車競技で名高いツールーズから北上した場所である。大きな駅もあるようだ。そういえばリモージュの駅舎にも、アルテ・ポーヴェラの作家の作品が設置されているとか聞いたし……、アートをめぐる旅の楽しみは私の中で果てしなく広がってゆく。が、それに冷や水を浴びせかけるような土屋の言葉が突如私の頭のなかでこだまするのだ。

「ヴァシヴィエールはね、素晴らしいところだよ。本当に美しい。湖をみていると、本当に切なくなる。誰かに後ろからぎゅっと抱きしめてもらいたくなるような……」

「……」

いいんです。私はアートに出会いに行くんです。ほっといてください。

パブリックアートの素晴らしいところは、環境それ自体も含めて作品となっているところである。作品の前に立つ、その私もまた作品の一部となる。いわば私自身が作品を抱きしめ、また作品に抱きしめられるのだ。

でももし、切なくなったら、私も誰かに抱きしめてもらいたくなるのだろうか?

 
 
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