Boiled Eggs をめぐって
展開するあらぬウワサ…

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3月23日火曜日

昨日は、朝から晩まで、アカデミー賞授賞式のテレビ漬けだった。生中継を見た後で夜の番組まで見たのにはわけがある。生中継の同時通訳があまりにひどかったからだ。後で聞いたことだが、そのあまりのひどさは、13歳になるうちの娘が腹に据えかねて抗議の電話をNHKにしてしまったほどだ。

人名、組織名などの固有名詞を間違えるのなどは序の口、そもそもしどろもどろな日本語なので、画面を見ているうちはまだいいが、目をつぶると何をしゃべっているのかまったく意味がわからない。

ウーピー・ゴールドバーグの翻訳は特にひどく、さすがに途中で交代させられたようだが、ほかの通訳だって、エリア・カザンを「エリアとカザン」と訳すなど、醜態は目と耳を覆わんばかり。語学の問題ではないと思う。要するに、教養がない。

教養とは、映画を見ているかどうかというただそれだけのことである。見ていなければ、「エリアとカザン」などという日本語を平気で使える。ウーピー・ゴールドバーグの洒落を洒落と思わない。こういう通訳が時事問題やニュースの同時通訳をやっている。時事やニュースはこなせるというなら、それなら時事やニュースに教養はいらないのかといえば、そんなことはあるまい。きっと、時事やニュースでも「エリアとカザン」と訳しているのだ。

アカデミー賞授賞式そのものはすばらしいエンターテインメントだった。エンターテインメントと教養とは相容れないファクターと主張する向きもあるかもしれないが、だとしたらお金を払う人間にそんなたわごとが通用するのかと言っておきたい。

ものを知らない恐ろしさ。アカデミー賞の独占中継にどれだけのお金を使ったのかぼくは知らないが、使われたのはわれわれの受信料から賄われたお金であることは自明だろう。われわれが払ってわれわれが楽しむ番組に、同時通訳の料金をけちるとはどういう料簡だ。

けちった事実はないというなら、放送前から名誉賞受賞が決まりあれだけ話題になっていたエリア・カザンを「エリアとカザン」と訳した理由をちゃんと説明する義務がNHKにはあると思う。

憤りにまかせて、この文を書く。憤りの理由は、ふがいなさである。なぜ、万全の体制で臨めないのか。伝統を前にするとき、恥ずべきは無知と自覚すべきなのに。

アカデミー賞は「恋におちたシェイクスピア」が6部門を制覇した。次回「こずえの試写室」でとりあげてもらえることを願いつつ。

(murat)

 
 
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