昨夕、青山ホンダビルの前を通ったときに、はじめてアシモの実物を見た。体長120数cm、膝をやや折り曲げた格好で、後ろ向きに佇んでいた。食事を終え、帰りがけにまた覗くと、今度は正面入り口に移動し、こちらを向いていた。
はじめて見るのに、なぜかぼくは非常に懐かしい感じがした。その理由は、考えるまでもなく、すぐに思い当たる。ぼくは子どもの頃、漫画家になりたかった。手塚治虫に心酔し、鉄腕アトムの線を真似て一生懸命練習した。だからいまでもアトムなら空で描ける。
アシモはそのアトムに酷似しているのだ。顔は宇宙飛行士のようにお面をかぶっているのだが、体調に比して頭が大きい。子どものような体躯と五本の指が、ぼくの思い描くロボットのイメージに重なるのだ。
コンピュータ・ネットワークの発達とともに、コンピュータが作り出す「仮想現実」が小説ほかのモティーフに使わるようになった。ぼくは、しかし、この「仮想現実」にはなじめなかった。そこに未来を感じたことは一度もない。
ぼくにとって、コンピュータが面白いのは、それが脳の外在化を思わせるからだ。脳に手足をつけ、歩き出させる世界は、「仮想現実」なんかでなく、「アトム」なのだと、アシモを見て深く確信した。
一時期、心臓部に真空管が使われたアトムの世界はもはや時代遅れで、世界はアトムの方向には進んでいないと思ったこともある。でも、どうやらそうではなかったようだ。最先端テクノロジーがもたらす世界には、ぼくが少年の頃によく遊んだアトムが待っていたのだった。
アシモはアトムのように10万馬力で空を飛んだりはしないだろう。しかし、アトムのようにいつの日か、われわれ人間の友だちにはなるはずだ。それが重要なことなのだ。そこに世界の秘密が隠されている。
手塚治虫が生きていて、ホンダビルに遊びにきたら、必ずアシモに駆け寄ってゆくことだろう。そのときのアシモに語りかける先生の姿をぼくは想像する。