小滝橋トオルのできるまで

村上達朗

「波」(新潮社)
2000年7月号

 

 

 一九九九年の秋の終わり、有楽町のとある静かな喫茶室で、ぼくは二つ年上の友人に会った。友人は翻訳家で、昔からときどき会っては仕事抜きで飲んだりしていた。このときは、ぼくが前年に出版社を辞め、年明けから日本では珍しい作家エージェントという仕事を始めていたので、自然とその話になった。順調なの、という誘い水に、ぼくはつい弱音を吐いた。
「なんというか、新人が多いでしょう。いい新人がいても、作品以外に判断材料がないので、出版社に売り込んだ後の検討にかなり時間がかかる。有能で、やる気のある編集者と出会えるかどうかが、今後の課題かなあ」
「小さい出版社のほうが早いということもあるんじゃないの」
「作品に合った出版社とやりたいんですよ。いま実は、掛け値なしにいいと思う新人が一人いる。小滝橋トオルというんですが、新宿の生まれで、女性の心理とレトリック、ストーリーテリングがほんとにすごい。どの短篇もみんな実話じゃないかと思えるくらい話にリアリティがある。本人は、ほら、しばらく前に出た『ゼロ・デシベル』という翻訳短篇集が好きと言っているので、新潮社に売り込めないかなあと考えてるところです」
「ふーん。それなら、Kさん、知ってる? 前に一緒に仕事をしたことのある編集者だけれど、彼女ならいいんじゃない。よければ話してみようか」
 その年の暮れ、友人の紹介でぼくは新潮社出版部のKさんに会った。検討結果を聞く日がやってきて、内心の不安を抑えつつ返事を待つぼくに、Kさんはこんなふうに答えた。
「短篇集だし、何かの賞をとっているわけでもないし、正直迷うところです。いまもパラパラと読み直していたんですが、文章がすごく気持ちいい。これを他社に取られたくないという気持ちが、だんだんこみ上げてきました。やりましょう。なんとかします」
 いま思い返しても、「他社に取られたくない」というあの一言は忘れられない。不遜な物言いになるかもしれないが、有能で、やる気のある編集者と巡り会えたと、このときぼくは思った。これがエージェント業の醍醐味のひとつでもあると。
 この時点では、ほかに三つほど、新人の小説とノンフィクション作品の出版が決まっていた。作家の発掘、原稿募集はインターネットを使って行う。ウェブマガジンを発行し、連載エッセイなどを掲載しながら、応募者には原稿をメールで送ってもらうのである。気に入れば、直接著者に会い、代理人契約を交わす。原稿を練り上げ、完成したら、各出版社に売り込んでゆく。
 日本の出版界ではあまり例のないこうした仕事のやりかたがときどき新聞や雑誌の記事になり、なかにはそれを読んで応募してくる人もいた。昨年七月にある女性誌に記事が出たときも、急に応募がふえた。小滝橋トオルはそのときの一人で、メールに添えて短篇を二篇送ってきた。短篇小説の募集が少なく、いままでどこにも発表したことはないが、生涯短篇を書いてゆきたいのだという。そのうちの一篇「彼は自分しか見えない」はこんなふうに始まっていた。

 置き去りにされて十五分。
 こんなことなら、通報しないほうがよかったと卓也は思った。ドラマのような特別な何かを期待していたわけではないが、何もかもがテレビや映画のシーンとは違っていた。
 タバコの臭いに包まれた空気の中、綴じヒモで括られた書類やファイルが、席に座る者を遮るかたちでデスクの上に積まれていて、学校の図書室ほどもある広い部屋なのに、申し合わせたように誰もいなかった。どういうわけか、不気味なほどに静まりかえっているのだ。

 読み出してすぐマウスを持つ手に震えが来た。この人は小説がわかっている、ぼくが小説家に望むある種のセンスを持っていると感じた。俄然本人に興味が湧き、会って話をすることにした。
 聞くと会社勤めをしていて、かなり忙しいらしい。先方の都合に合わせ、平日の夜、新宿のホテルで待ち合わせた。炎天下、原稿の売り込みで出版社をまわり、ぼくはバテ気味だった。
 村上さんですか、という声で、見上げると、細身の青年がひとり立っている。白っぽい帽子を目深にかぶり、そこからのぞく長髪は茶色で、顔はまっくろに日焼けしていた。ぼくは疲れた目をしばたたいた。サラリーマンというより、どこをどう見ても、湘南かどこかにいるサーファーのような出で立ち。
 これが小滝橋トオルだった。

 

 

 
 
Copyright 2000 by Boiled Eggs Ltd. All rights reserved.