作家エージェントの一カ月

村上達朗

「本とコンピュータ」(トランスアート)
2000年秋号

 

 

 休暇先でも仕事はできる

 3月24日
 ハワイ・オアフ島に到着。これから一週間ほど、ワイキキのコンドミニアムに家族で滞在し、休暇を満喫する。二十二年間勤めた出版社を辞め、昨年一月に独立して以来、初めてのまとまった休みである。
 四月にはボイルドエッグズの手がけた新人作家たちがデビューする。そうなれば、また忙しくなるだろう。この時期にあえて休暇をとったのは、忙しくなる前に、すこしのんびりしようと思ったからだ。
 十三階の部屋に入り、さっそくバッグからパワーブックを取り出して、キッチンカウンターの上に置く。聞けば、このコンドミニアムでは島内通話が無料だという。 それなら、島内のアクセスポイントに接続するかぎり、インターネットの電話料金も無料、使い放題ということにならないか。
 事前に控えてきた番号にダイアルアップすると、すこし手間取ったが、問題なく接続できた。Boiled Eggs Onlineの連載の原稿が入ってきたら、こちらで編集し、アップする。休暇のもう一つの愉しみは、海外にいてもいまの仕事のやり方が機能するかどうかを試すことにあった。これならうまくいくだろう。むしろ電話がかかってくる心配がないぶん、原稿を読んだり編集したりの作業ははかどりそうな気がする。

 3月25日
 早朝五時。連載原稿が予定どおり入っているかどうかが気になり、ベッドから起き出す。ボイルドエッグズが手がけた作家第一号・三浦しをんのエッセイ「しをんのしおり」は毎週連載なので、こちらの都合で遅らせるわけにはいかないのだ。心配は杞憂だった。二、三カ所、言い回しのチェックがあり、そのやりとりをしたあと、アップする。休みにひっかかる更新が無事すんで、ほっとした。
 三浦しをんには、まもなく刷り上がる長篇小説『格闘する者に○』(草思社)のプロモーションの日程をメールする。
 前後して、加藤文から連絡のメールが入る。昨年一月、加藤文はBoiled Eggs Onlineに「食」をテーマとしたエッセイを書きたいと言って応募してきた。ぼくは小説の執筆をすすめた。それから半年かけてできた長篇作品『厨師流浪』が同じく四月に日本経済新聞社からの出版を待っている。メールによれば、その担当編集者から、本の推薦者の希望を出してほしいとのこと。自分なりに考えてリストを渡しておくので、心配せず休暇を楽しんでくれ、とある。
 今日は家族でビーチに行く予定だが、その前にパワーブックに入れてきた原稿をすこし読んでおこう。延江浩から渡された短篇が七篇ある。延江浩は「アタシはジュース」(集英社文庫)で小説現代新人賞を受賞した作家。某FM局のディレクターでもある。書き下ろし作品集にする企画だが、休暇前は時間がとれず、ハワイで読むからと預かった原稿をまるごと持ってきたのである。冷蔵庫から冷たい飲み物を出し、ゆっくりと読んだ。窓の外はすでに快晴だ。家人が起き出してくる。

 新人作家、いよいよデビュー

 4月3日
『格闘する者に○』の見本を受け取りに、三浦しをんと草思社に行く。この作品はボイルドエッグズの手がけた初めての単行本だ。いつかはこの日が来ると確信していたが、ついに来た。早かったのか遅かったのかはわからない。ともかく、作家もエージェントもようやくスタートラインについた。
 編集者時代、書籍は何百冊と作ったが、作家の発掘から刊行まで来た本はこれが初めてだ。日本の出版界における作家エージェントの役割に理解を示し、実績のない新人作品の出版を決断してくれた版元に感謝したい気持ちがこみ上げてくる。
 草思社で見本を受け取り、打ち合わせのあと、千駄ヶ谷から青山まで歩いた。見本を持って「日経WOMAN」の書評担当者に挨拶に行く。作家を紹介し、経緯を説明し、インタビュー書評欄にぜひ、とお願いする。
 次は地下鉄で、大手町へ。日本工業新聞社の記者谷口隆一氏に会いにゆく。谷口氏とは以前ボイルドエッグズの仕事を記事に取り上げてもらった縁で何度かメールのやりとりをしていた。今度の本は事前にゲラを渡していたので、見本を持参しがてら、新聞記事ほかのお礼を直接述べ、作家本人も紹介しておきたかった。
「レギュラーで持っている雑誌のどれかで、必ず取り上げますよ」と谷口氏。口ぶりから作家との波長も合う様子なので、どんなふうに書いてもらえるか本当に楽しみだ。
 本日の営業活動はこれにて終了。三浦しをんはこれから家族にお祝いをしてもらうのだと言って、見本の入った風呂敷包みを大事そうに抱え、地下鉄の通路を歩いて行った。

 4月7日
 永澤智美を紹介するために、初台のエニックスへ行く。永澤智美は今年一月にボイルドエッグズに応募してきた作家志望者で、三浦しをんと同い年の二十三歳。エニックスが今秋新雑誌を出す。そこに力のある新人の小説を載せたいのだがと、三月初めに編集長から相談を受け、永澤智美の小説の構想を話したところ、その場で書き下ろし連載が決まったのだ。応募者の中では最短時間のデビューである。
 午後からは麹町で延江浩と打ち合わせ。ハワイで読んだ原稿を整理し出力したものを本人に渡す。これをどの出版社に売り込むかの相談。ぼくの考えを話し、了承を得る。
 夜はまた初台に舞い戻り、オペラハウスで友人とクラシックを聴く。その前に腹ごしらえをしようとオペラシティをうろうろしていたら、午前中会っていたエニックスの編集者とばったり。こんな時刻までなにをしていたんだろうと不審に思われたかもしれない。
 オペラハウスの入口に並んでいると、携帯が鳴った。「日経WOMAN」の先の書評担当者からで、『格闘する者に○』がとても面白かったので、ぜひ取り上げたいとのこと。もちろん、OKの返事をする。帰ったら著者と取材日程の調整をしなければならない。

 作家と二人三脚で走る

 4月12日
 小滝橋トオルからメール。ぼくに相談したいことがあるという。昨年夏に応募してきた小滝橋トオルは七月に新潮社から『Short Love』という短篇小説集でデビュー予定の新人だ。会社の仕事が猛烈に忙しくなりそうで、今後の進路をどうするか、アドヴァイスがほしいと書いてある。十五日にいつもの京王プラザで会うことにする。

 4月13、14日
 契約しているプロバイダーから三月の利用料金明細のメールが届く。通常の料金以外に、追加料金がある。
 ――ローミング・サービスご利用時間(一六一五・〇〇分) 四万八千四五〇円
 これはもしかして、ハワイの料金ではないか。が〜ん! 高すぎる。しかも、二十七時間も使った計算になっている。待て。そんなことより、ハワイはインターネット天国だったはずではないか。合点がいかず、プロバイダーにすぐ怒りの質問状を出す。
 翌日、丁寧な返信が届いた。要するに、ローミング・サービスは海外の別のプロバイダーにアクセスするサービスで、その接続料は日本のプロバイダーが肩代わりする。したがって、接続料は通常より割高な一分三十円。メール送受信などの最小限の使い方をしている人がほとんどだというのである。
 こう説明されてはぐうの音も出ない。自らの不明を恥じねばならんのだろう。ボイルドエッグズのハワイ事務所開設計画、早くも出鼻をくじかれる。

 4月15日
 京王プラザでお茶を飲みつつ小滝橋トオルの話を聞く。いまの仕事も続けたいし、執筆の時間も増やしたいしと、悩んでいる。会社を辞めたときのぼくの経験を話す。
 機が熟していれば、熟し柿がぽとりと落ちるようにどちらかを選べるはずだが、迷っているのだとすると、いまは時期ではないということだと思う。本が出たあとでもう一度考えても、遅くはないのではないか。「内なる声」に耳をすませ、従うべきだ。
 そんな話をした。こういう相談を受けるのは作家からの信頼の証でもあり、いやなことではない。作家と二人三脚で走っていると感じるのはむしろこんなときなのだ。気が重いのは、このあとに控えている仕事で、夜、品川のホテルで作家志望者に会い、食事をする。そこでどう話を切り出したものか、まだ考えがまとまらない。
 その志望者は昨年応募してきた二十代の女性で、原稿はコラム集だったが、応募の時点で本にはできそうにないと判断し、お断りした。しかし、どうしても登録させてほしいというので、会って話をした。
 ぼくが考えていたあるテーマを話すと、それを小説で書いてもいいかという。二カ月が経ち、原稿が送られてきた。小説は初めてなので、書き方のイロハから説明し、必要な朱を入れ、加筆修正をしてもらった。そんな作業を三、四回繰り返していたのである。
 文章の書けない人ではないし、推敲を重ねた作品はそれなりの出来にはなっている。だが、何かが足らない。特有の匂いがなく、固有の世界がまだできていない気がした。それをどう説明したらよいか。
 結局、ぼくは、食事をしながら、以上のことを志望者に包み隠さず話した。話を終えると、その女性は、「きっとそういうことだろうと思っていました」と言って、泣いた。
 別れ際に女性は、「村上さん、私、書きます。書いたら、また見てもらえますか」と言った。
「そのときは必ず読みます。がんばって」とぼくは応えた。

 4月19日
 京王プラザで、三浦しをんが朝日新聞社の取材を受けるのに同行する。『格闘する者に○』の文章は非常に新鮮だったと、記者氏が最大級の評価。月末の「潮流」に書くという。
 取材後、三浦しをんと別れて、日本経済新聞社に行く。そこで、中国の取材旅行から帰ったばかりの加藤文と合流し、『厨師流浪』の見本を受け取る。装幀は、菊地信義氏。重厚かつインパクトのある装幀に仕上がっていた。担当編集者によると、カバー絵は現代中国を代表する若手画家の作品。隣に座る加藤文が感激しているように見えた。今日は家で奥さんと祝杯をあげるのだという。
 ぼくは数カ月前、完成した原稿のクライマックスシーンを読みながら、思わず涙を流し、そのことを電話で加藤文の奥さんに報告した日のことを思い出していた。

 沸騰する卵たちとの日々

 ぼくの仕事は毎月ほぼこんな感じで慌ただしく過ぎてゆく。出版社への売り込みが書かれてないが、それはまた別の機会にしよう。
 ボイルドエッグズという社名はつねに沸き立っていたいという思いから付けた。個人事業で始めたが、今年から法人化した。作家エージェントという仕事は欧米では以前からある。わが国では初めてだ。あやぶむ人もいたが、始めてみれば、わが国の出版界にもわりとすんなりと受け入れられたと思う。
 一部の既刊作品にはその後、漫画化、テレビ化の申し出があった。そうした交渉もすべてボイルドエッグズが行う。第二、第三作、新企画の売り込みと交渉が今後は控えている。
 才能ある作家たち、情熱ある編集者たちとの仕事は純粋に楽しい。心さえ高揚するのであれば、休日はなくていい。そんな日々が当分は続いていくのだと思う。

 

 

 
 
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