第18回ボイルドエッグズ新人賞発表
2015年9月1日

第18回ボイルドエッグズ新人賞

該当作なし

選考過程
1 第18回ボイルドエッグズ新人賞には、総数50作品のエントリーがありました。⇒第18回ボイルドエッグズ新人賞エントリー作品
2 慎重な検討の結果、最終的に、今回は該当作なしとなりました。

第18回ボイルドエッグズ新人賞講評   村上達朗

 今回もたいへん残念な結果になりました。二回連続の「該当作なし」に気持ちも沈みがちですが、応募者のみなさんも同じ思いでしょう。でも、気を取り直して、講評を書きます。
 
 応募作すべてを読んで、今回非常に気になったのは、「自問自答」の小説が増えたということでした。自意識肥大のおしゃべりな一人称の文体で、他者の存在の希薄な、堂々めぐりの自問自答を繰り返します。一人称小説であっても、自分以外の他者がいてこそ、関係が生まれ物語が生じるので、他者の存在がなければ、小説にはなりません。なぜこうした、いびつとも言える自問自答小説が増えてきたのかについては、ぼくなりの解釈はありますが、ともかく作家志望者には小説とはどういうものなのかということを一度きちんと考えてほしいと思います。すくなくとも、書き手の「答えのない自問自答」に読者を延々と付き合わせるのが小説ではないということは、小説が好きな人であるならば、気づいて然るべきではないでしょうか。
 
 そんななか、野々上いり子氏『囚われ』は、自問自答とは無縁の、複数の人物が確かな観察眼と筆致で描かれた、きわめてまっとうな小説でした。野々上いり子氏にはこれまでにも何作か応募作がありますが、ぼくは今回の作品がいちばん完成度が高いと思います。三人称で語られる文章は堅実で、安定しており、最後まで安心して読めます。ぼくは二度読みました。タイトルは抽象的な『囚われ』よりも、作中で言及のある「シェルブールの雨傘」からとられた『シェルブール美容室』を使ったほうが面白みがあると思いましたが(以前の応募作『ナカムラ美容室』に似るのを避けたのかもしれません)、その美容室を経営する姉と、姉との関係に屈託をかかえた妹を中心に、ばらばらになっていく家族の話が語られています。
 
 物語としては、盛り上がりに欠けるのと、妹の心理や、妹の会社の同僚の人物像などへの掘り下げがどれも甘いのが物足りなかったのですが、いちばんの問題は、以前と同じ指摘になってしまいますが、全体に器用にまとまりすぎているせいか、話柄が小さく見えることです。下町の人情話はよいとして、そこにとどまらず、たとえばその人情話を根底から覆すような物語上の仕掛けや、向田邦子のようなキレのよい心情描写などの、読者を驚嘆させ、感情を揺さぶる何かがほしいと思いました。小説としては、美容室という設定と主人公たちの物語との結び付きがいまいち弱いのも気になる点でした。
 
 もう一作、柱薫氏『ラブレス・ストーリー〜非・恋愛小説〜』も二度読んだ作品です。女子中学生の一人称の文章に(ちょっと『逢沢りく』を思わせる)独特の雰囲気があり、出だしから引き込まれます。「涼子は自己紹介をするたびに心の中で半ば得意げに、半ば恥じ入りながら呟いてみる―――私はミミドシマです。(中略)だが涼子はその響きが嫌いではなかった。初めてその言葉を聞いた時の、「ミミド島」という誤読がいまだに拭えないせいでもあった。」こういう人を食った書き出しにぼくは弱く(笑)、しかもこのあと、同じアパートの別の部屋で暮らす叔父が「エイセクシャル」だと綴られるのです。エイセクシャルとは聞きなれない言葉ですが、意味は「無性愛者」、他人を愛したり結婚や子どもを作ったりすることにまったく興味がない人を指すとのことです。そうした人間を扱った小説は寡聞にして知りません。これはいきなり面白そうだと、身を乗り出すようにして読みはじめました。
 
 読みながらこの面白みが最後まで続いてくれと願いましたが、後半になると、川の中州での殺し合いごっこやパイ投げ遊びなど、どうにもリアリティのない設定があり、感情移入が途切れてしまいました。もっとも違和感が残ったのが、エイセクシャルの青年の心情です。エイセクシャルであることを受け入れざるを得ないのだとしても、あまりにも葛藤がなさすぎではないでしょうか。人と深く関われない、人に愛情を持てないことになんの苦しみもない(だからこそエイセクシャルなのだといえばそれまでですが)ということでは、果たして物語として成立するのかという疑問がぬぐいきれませんでした。読者を驚かすだけでなく、感情移入させる入り口というのか、その仕掛けを物語のどこかに用意する必要があると思います。それから、先に耳年増を自称する女子中学生が面白いと書きましたが、読んでいくと必ずしも耳年増とは感じない。むしろ耳年増というわりに幼くストレートな性格であることが気になりました。キャラのぶれが最後まで尾を引いていると感じました。この作品でデビューするには、娯楽性や人物の作り込みにもっと意を払う必要があったように思います。題材に新味を感じただけに残念なことでした。
 
 中村貢三氏『田園デジタル・アワー』も好感をもって読んだ作品です。80年代初頭の琵琶湖周辺(?)地方のマイコン高校生たちをてらいのない文章で描いています。この「マイコン」というのが時代の郷愁を誘い、ついこの前のことのはずなのに、すでに懐かしい高校生群像になり得ているところがよいと思いました。誠実な文章で、書きたいことが明確であり、これはきっと作者の青春だったのだろうなと信じられます。惜しむらくは、タイトルにある「田園」の部分が意外に希薄だったことです。マイコンに夢中になる高校生には、舞台としてもっと田園(つまりは田舎)の生活描写が必要でした。そのディテールがマイコンをめぐる話題と同程度に描かれていたなら、小説は時代の典型を描くものだという観点からして、これは見事な青春小説になったのではないかと思います。もう一つは、ラスト近くの展開が調子が良すぎるというか、飛躍がすぎるというか、コンピュータ業界=成功の図式に頼りすぎたというか、せっかくの誠実な物語にステロタイプな展開を用意してしまったところがもったいないと思いました。ノンフィクションならそんな成功が待っていてもかまわないし、むしろそこが読ませどころとなるわけですが、(こうした自伝的要素のある)フィクションの場合には、現実の出来事より抑えめ・控えめに描くことが肝要ではないかとぼくは考えます。
 
 一方、岡智みみか氏『無職無双!!』は、リアリティやディテール描写を重視する物語とは正反対の小説で、そのぶっとんだ設定こそが面白いと思いました。主人公は大学院の理工学部を卒業したのに家に引きこもりパソコンばかりいじっているニート青年なのですが、公園で、ある男から国家機密の防衛システムへの侵入キーを受け取ります。その暗号を見事解読して公安特殊部隊に雇われることになるのですが、その特殊部隊のある場所とは、近くのコンビニの建物の地下という設定なのです(笑)。ある男はコンビニの店員であると同時に特殊部隊のエージェントであり、青年もコンビニでバイトしながら国家を揺るがす犯罪に立ち向かっていきます。物語の展開とともに、コンビニや自動販売機、電柱といった見慣れたものが別の色合いを持ってきます。クライマックスは、なんと都庁ビルが巨大な……これ以上は書きませんが、ともかく日常的な世界を壮大な(マンガチックな)ホラ話的世界に変えてしまう手腕とセンスには感心しました。
 
 つまりこの作者は、キャンベルのスープ缶やマリリン・モンローを描いたアンディ・ウォーホルのポップの手法で小説世界を作っているとも言えると思います。ただし、ホラ話であればあるほど、小説ではディテールの正確性も大事になってくるのですが、その点で突っ込みどころが多い(たとえば、電気の流れ方が異様に遅すぎないか? とか)のが残念でした。もう一つ問題なのは、三人称多視点で書かれており、一行アキや章変えもなしにいきなり視点が変わることです。頻繁すぎる視点の移動・転換は、読み手に非常な負荷をかけることになるので、小説の書き方としてはよくないと思います。この講評でも何度か書いていることですが、作家志望者や新人のうちは、三人称であってもなるべく一視点で書くべきというのがぼくの意見です。小説は勢いやアイディアが大事なことは言うまでもありませんが、同程度に技法も大事なので、そうした書き方の基本にも注意を向けつつ執筆してもらえたらと願います。
 
 以前、ボイルドエッグズのツイッターに「小説ってこんなに面白くてすごいんだというのを新しい感覚で見せてほしい。」と書きました。次回は、そんな作品がやってくることを期待して、第18回の講評とします。



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