第2回ボイルドエッグズ新人賞発表!

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第2回ボイルドエッグズ新人賞

該当作なし
(Aフィクション・Bノンフィクション部門とも)

奨励賞
彼女には自身がない 時里キサト
(エントリーNo.4/Aフィクション部門)
作品内容: 何でもかんでも自分に都合よく解釈する少年と、何でもかんでも自分に都合がわるく解釈する少女。その二人の出会いをそれぞれの一人称でユーモラスに描いた作品。
著者紹介:ときさときさと。1984年宮崎県生まれ。産能大学経営情報学部在学中。

選考過程
1 第2回ボイルドエッグズ新人賞には、総数20作品のエントリーがありました。
2 各選考委員は、作品すべてに目を通し、それぞれ評価リストを作成しました。
3 その評価リストをもとに、8月中旬、選考会を催しました。
4 選考会では、各作品について各自自由に意見を述べ合いました。新人賞の最終候補として、『彼女には自身がない』『グリーンマン・プロジェクト』『マネー、パワー、リスペクト、and...?』『第四ベイビー』を選び、検討しました。
5 最終的に、A・B部門とも新人賞該当作はなしと決まりました。時里キサト『彼女には自身がない』は、才能の将来性に期待し、奨励賞とすることとしました。

選考委員講評(到着順)

千木良悠子

新人賞選考会雑感
 
 四作品が絞られ、最終選考が行われた。
「マネー、パワー、リスペクト、and……?」は読みやすかったが、焦点の合わない眼鏡をかけているような不具合さがあった。マイケル・ジャクソンを「気持ち悪い」って言っちゃダメだよ!
「第4ベイビー」は物語世界の説明が長すぎて、けっきょく何も起こらないという印象。主人公が女と神社に行くシーンは映像的でとてもよかった。
「グリーンマン・プロジェクト」は文が巧みなのに構成が良くない。ラストのあまりの呆気なさに「真輪さんや司ちゃんが浮かばれないじゃないか」とこちらに遣る瀬ない怒りがこみ上げてきてしまう。
 三作品とも、小説世界を形成する精巧なパーツばかりを読者に与え、結局最後まで本体は登場しないという印象が残った。いくら国語的に間違いのない、精巧で詳細な文章を書き連ねても、それだけでは電化製品の取り扱い説明書と同じであり、しかも電化製品はついてこないのだから「トリセツ」のほうが一段も二段も上。実用性のない、あらかじめどこかが負けている文章として、小説たちはトリセツたちの文章に必ずコンプレックスを持っているはずだと思う。そこでどう書き表すかが問題となってくる。
「彼女には自身がない」は決してほめられたような作品ではないが、ヒーローとヒロインが心を通わせていくさまが伝わって、爽やかな読後感があった。第一回の応募作品より格段に上手になっていたので、良くなっていくのかもしれない。
 それにしても応募作品のこの、過剰なほど瑣末さにこだわり、全体が見えない傾向はどこから生まれているのだろう。これがオタク文化だというのか(オタクや疎外された人間、バーチャルリアリティなどを扱う小説が多かったのだ)。まさか。現代の若者は何を考えているのでしょうね、と言ったら三浦氏は柳の眉を上品にひそめ、滝本氏は曖昧に微笑んだ。坊主頭でアルカイック・スマイル。食えない先生方であった。
 

三浦しをん

 今回は残念ながら、受賞作はなしということになりました。奨励賞の『彼女には自身がない』を中心に講評します。
 この作品を受賞作にと推す声もあったのですが、私は賛同しませんでした。理由を以下に挙げます。
 1、苅野智子に、どうしても(小説的)リアリティが感じられない。
 2、単行本にして読むには、展開する世界がやや狭い。
 3、視点にブレがある。
 以上の三点は、最終的には一番目の「苅野智子のリアリティ」に集約される問題なのではないか、と思われました。
 この作品は、ヒーローとヒロイン(苅野智子)の視点から、徹底して交互に描かれるべき物語ではないでしょうか。「3」の視点のブレは、苅野智子の外見描写の際に顕著です(苅野智子の外見を、クラスメートの会話で説明する)。これは、物語の勢いを殺し、散漫にしてしまう、まずい方法だと思います。
「2」の、「世界がやや狭い」ように感じられるのも、語り手二人の内面についての掘り下げが、少し不十分だからではないでしょうか。基本的に学校へ行って帰るだけの日々の話だからこそ、人物造形と語りかたには、細心の注意が必要です。
 一人称で語る場合、その登場人物の視点と思考・感覚のみで話を進めねばならず、どうしても視野狭窄気味になってしまいます。そこに不自然でない程度に、作者(神の視点)の思惑を織りこんで、物語世界と登場人物の視野を少しずつ広げていくのが、一人称を使ううえでの技です。
 逆に、一人の人物の内面を深く深く掘り下げることによって、普遍的な感情の移ろいに読者を導きやすいのが、一人称の強みでもあります。
「3」の、苅野智子のリアリティを例に、私の考えを具体的に述べてみます。
 苅野智子は、物事をなんでも悪いほうへ悪いほうへ受け取ってしまう。その設定自体はとてもおもしろく、どうしても自信(自身)が持てない部分ってだれにでもあるよなあ、と共感できます。しかし、どうして悪いほうへ受け取ってしまうのか、の根拠が弱い。
 彼女が真実、ものすごい不細工なのならまだしも、美少女なのです。みんなが遠巻きにするほどの美少女が、自分の美貌にまったく気づかない。そんな美少女(しかも引っ込み思案)がクラスにいるのに、だれもいじめたりいやがらせしたりというちょっかいを出さない。そういうことが、はたしてあるでしょうか。いや、百歩譲ってあり得たとしても、小説的にここは、苅野智子に葛藤させるための、逃してはならない大変おいしいポイントだと思うのです。「高校生になるまで自分を不細工だと思いこんでいる」「近寄りがたい美少女だとみんな遠巻き」と、一面的に設定してしまうのはあまりにも惜しい。
 ここで、苅野智子を「葛藤しているようで葛藤と無縁な人物」「私なんて、と根拠のない自虐にグルグル陥っているだけの人物」にしてしまったために、ヒーローとの出会いによって彼女にもたらされた光の価値が半減しているのではないか、と私には思えます。
 つまりこのままでは、「世の中は悪意に満ちていると勝手に思いこんでいた少女が、好みの男に会って勝手に恋に落ち、勝手に『世の中そう悪くないわね』と立ち直る話」のように読めてしまうのです。「あんたが気づいてなかっただけで、最初から世の中そう悪くなかったわよ」と読者に思わせてしまってはいけません。苅野智子は、たしかに勝手に思いこんで勝手に恋に落ちて勝手に立ち直ったのかもしれないけれど、それを「勝手ではないように」描写するのが、物語の説得力であり、小説的リアリティです。
 それで、一人称を駆使しつつも、さりげなく、登場人物にある程度の客観性を持たせる(=視野狭窄にならないよう、物語世界を広げる)べきだ、と思うわけです。
 萩尾望都の『イグアナの娘』という短編漫画があります。これも、「不細工じゃないのに不細工だと思いこんでる女の子」物なので、未読でしたらぜひ読んでみてください。小説と漫画という手法の違いはありますが、一人称視点でどう客観性を盛りこんで説得力を持たせるか、もしかしたらヒントがあるかもしれません。
 こんなに長く書いたのは、私が女の子の美醜問題に非常に敏感だから、というのもありますが、もちろんそれだけじゃありません。
 時里さんの文章や切り口にすごく魅力があるからです。どんどん書いていっていただきたいと思います。多大な期待をこめての、奨励賞です。
 
 今回は「一人称のときの客観性」問題に焦点を当てました。小説を書くときに留意したい点(自戒をこめて)は、前回の講評で触れたとおりです。繰り返しになるかもしれませんが、今回の応募作を拝読してまた新たに述べるとしたら、
 1、テーマは前面に押しださない。
 2、枚数が内容に見合っているか注意する。
 3、導入部はできるだけ魅力的に。
 の三つです。
 これらはすべて、「過剰な説明を避ける」ということにつながるのではないでしょうか。

滝本竜彦
 
講評

完璧な作品は存在しません。どんな小説にも必ず欠点があります。
ですが欠点以上の長所がある作品には立派な価値が生まれます。
今回は薄味な作品の応募が多かったように思いました。自分の長所を見極め、自分の長所を伸ばしてください。それが人の記憶に残る作品を書くための近道だと思います。
以下、目についた作品の講評です。

『第四ベイビー』
あまり世界設定に必然性が感じられませんでした。SF的設定を用いずとも妖怪を登場させることは可能ではないかと思います。もっと設定をシンプルにわかりやすくすれば、登場人物や話の面白さがさらにクッキリ浮かびあがってくると思います。

『マネー、パワー、リスペクト、and...?』
オタクと黒人という取り合わせは面白いと思いますが、個々のネタが有機的に結びついていないように思えます。オタクと人種問題という、普段あまりくっつくことのない概念が結びついているのですから、そこから得られる結論も、オタクの視点によって導き出されたものであるべきです。今回の応募作の中では、一番面白く読むことができました。

『グリーンマン・プロジェクト』
一番の問題点は、このゲームの目的が最後まで明かされていないことです。読者が一番知りたいのは、『コンタクト』的な方法で宇宙から送られてきたMMOGの正体です。その正体がまったくわからないために、このゲームに人類が取り組まねばならない動機が薄くなり、結果、登場人物への感情移入が難しくなっています。このゲームをクリアできねば何が失われ、クリアできたら何が得られるのか、闘争のリスクとリターンをはっきりさせる必要があると思います。

『彼女には自身がない』
前回の応募作よりも格段に文章が良くなり、それに比して作者のオリジナリティがよりいっそうはっきりと窺えるようになりました。あとはもう少しだけキャッチーな要素があれば、どこに出しても恥ずかしくない立派な作品になるのではないかと思いました。

村上達朗

 新人賞の最終候補として選んだ4作の中で、ぼくは『彼女には自身がない』をいちばんに押した。受賞作にしてもよいと思ったが、他の選考委員から「面白いが受賞作にするにはどうか」「作品として地味」「ヒロインにリアリティがない」などの意見が出て、見送った。
 この時里キサト氏は第1回の応募作(『この人はなぜ愛の話ばかりするのか』)も面白かったのだが、破綻があり、候補には残らなかった。それに比べると今回の作品は人物にも設定にもまとまりが出て、読んでいてニヤニヤ笑いが止まらなかった。文章にセンスがある。すっとぼけた味がある。小説の書き方がわかっている。ぼくはこれらは、持てと言われて持てるものでなく、天性のものであり才能だと思う。協議の上、その才能の将来性に期待し「奨励賞」とすることにした。
 次に『グリーンマン・プロジェクト』だが、これは原稿用紙に換算して1000枚を超える大作である。宇宙人から地球に届いたメッセージがゲームプログラムで、その意図を探るため地球規模のオンラインゲームが始まる、という話だが、とにかく長い。宇宙人の意図はどこかに押しやられ、延々とゲームアクションが続く。本来、小説にとって劇中劇ほどむずかしいものはないはずなのに、その自覚があるのかないのか、ただただ自分の書きたいことだけを書く。そういう作品を読み続けるのはかなり苦しかった。第1回応募作(『L・P・H』)より格段に文章がこなれているが、それも得意分野だからなのではないか。そんな疑念を払拭するためにも、作者として自分に溺れず、自分を制御し、削るべきを削る訓練をして、成果を見せてほしい。
『マネー、パワー、リスペクト、and...?』は惜しいと思った。冒頭、オタクの祭典(?)「夏コミ」のシーンがパワフルな筆致で描かれ、これは面白いと思ったのだが、早々に別な話になってゆく。オタクの世界を正面から面白おかしく描ければ、ぼくがまだ読んだことのない新しい小説が生まれたはずだが、オタク黒人の素性にひっぱられ、変な展開になってしまった。オタク黒人にまつわる話が作者の描きたいことなのだとしたら、それは間違いで、描くべきは「ぼくたち(つまり日本人)のオタク世界」である。そこから目をそらさず、面白おかしいエンターテインメントに仕上げるべきだった。「夏コミ」や主人公とそのガールフレンドの描き方が、オタクの世界を描いたある有名な漫画に似ている点と、タイトルのセンスのなさも、やや気になった。
『第四ベイビー』は世界に開いた「穴」から「超生物」が大量流出するというSFだが、冒頭から続く世界設定の説明がうるさい。またその設定が独りよがりで、頭に入りにくいために、ストーリーについていくことができない。小説は、世界設定をすべて舞台裏に隠した上で、卑近な話を舞台上で繰り広げてみせるものなのに、正反対の作りになってしまっている。文章にとぼけた味わいがある。そのせっかくの持ち味が生かされていない。
 
 今回は受賞作なしという残念な結果になった。面白いものを持ちながらも受賞に至らない理由は何か。必要なものが足りず、不必要なものが多すぎるということだろう。しかし、人物とその世界を誠実に過不足なく描こうとすれば、何が不足し何が過剰なのかはおのずとわかることだと思う。常日頃言っていることだが、作者に自由はないのである。作者は登場人物の欲するとおりに筆を進めることしかできないし、そうでないことをやってはいけないのだ。愛しい登場人物を裏切らず、精一杯誠実に物語を描き切ることができれば、その先に待っているものは、明らかだと思う。
 第3回の応募作に心から期待しています。

 

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