第26回ボイルドエッグズ新人賞・結果発表
2023年5月10日

第26回ボイルドエッグズ新人賞
該当作なし


選考過程
1 第26回ボイルドエッグズ新人賞には、総数56作品のエントリーがありました。☞ 第26回ボイルドエッグズ新人賞エントリー作品
2 慎重な検討の結果、最終的に、今回は該当作なしとなりました。


第26回ボイルドエッグズ新人賞講評/村上達朗

 今回は残念な結果となりました。前回の受賞作・遠坂八重『ドールハウスの惨劇』(祥伝社)のような力作・面白作を期待して読み進めたのですが、前回を超える作品には巡り会えませんでした。総じて、文章はよいのに、物語や設定に弱さを感じる作品が多く、小説執筆のむずかしさを感じさせられました。具体的に、いくつか気になった作品について講評します。
 
 まず麻生知世氏『版と刷』ですが、これはいわゆる「転生もの」の小説で、文章はしっかりしており、既成作家の文章といっても通用するレベルでした。人生に絶望し飛び降り自殺を図った若い女性が、目覚めると20年前の世界で見ず知らずの女性の体に転生しており、そこで(20年後には失踪していて会いたくても会えなかった)若い時の父に出会うという物語です。問題は、若い時の父が転生後の世界にすぐに登場してくるので、主人公より先に読者は「ははあ、作者はこれが書きたかったんだな」とその手の内が容易にわかってしまうことです。父を登場させるなら、20年前の世界で誰が「若い時の父」なのか判然としない、あるいはそうとは知らせない書き方にすべきだったでしょう。また、この「転生もの」の小説には、佐藤正午の傑作『月の満ち欠け』(岩波書店)があり、「転生もの」でこれを超える作品を生み出すのは至難の業だし、それを承知で賞にチャレンジするのは無謀だということもわかってもらえればと思います。
 
 大和フレンチ氏『ガリガリ君戦記』は、書き慣れている人の文章で、表現に無駄がなく、描写にも迫力がありました。タイトルもちょっと気が利いており、「ガリガリ君」とはガリガリに痩せた男の意味でなく、アイスの「ガリガリ君」好きの、名古屋で最強とうたわれる喧嘩師のことなのです。ギャップ萌えですかね(笑)。物語は、ガリガリ君とその仲間が敵対する暴力団と渡り合うまでを描いた「戦記」で、仲間も敵のキャラもよく、終始面白く読めました。ただ、その面白さの質は、キャラも含め、小説というより、文字で劇画や漫画を読んでいる感じなのです。とくにガリガリ君がかっこ良すぎて陰影に欠けるところなどは、面白みがあると同時に、小説的感興とは違うという印象を受けました。
 
 懸上詠己氏『とるにたらない人』も文章はすこぶる良く、すらすらと登場人物の気持ちに入っていけます。女子高生の主人公と、町の自転車店で働く同い年の男子との交流を描いた児童文学のようなテイストの物語です。男子は中学の時の同級生でしたが、読み書きができないという障害があり、店で自転車の修理などをやっているのですが、この描写や二人のやりとりが生き生きとしていて、すばらしい。しかし、ここから先は小生の意見ですが、作者が登場人物たちに冷たすぎるのではないかと思いました。男子は読み書きができないことをなんとか克服しようとするのに(手紙の文章が泣かせる)、この結末での扱いは可哀想すぎる。女子高生の母親がまた、その娘を思う気持ちはわかるが、冷酷すぎる。小説は人物の葛藤を描くものですが、それゆえに救いや希望をも描かなければならないものではないでしょうか。小説のすべてに娯楽性を求めるつもりはありませんが、読者を明るい気持ちにする読み味は大切だと思います。文章や人物造形がよいだけに、もったいない。作者の思いをどう物語として昇華させればよいのか。小説にかぎらず、その匙加減はむずかしいという思いが残りました。
 
 内藤えん氏『あしたの祈り』にも同じような思いを抱きました。内藤氏は前回の『愛の稜線』の作者です。小生はそこで「より広がりを期待できる題材で勝負しては」と進言しました。今回はそれに応えての応募だと思い、心して読みました。内容は、大学の理学部を卒業し、大阪の中学校に赴任した女性の数学教師が、不登校の生徒の家庭でなにが起きているかを探っていく話ですが、文章やせりふは、ほぼ完璧で、誤字脱字や表現の間違いもなく、既成作家が書いているのかと錯覚するほどです。ただ、子供たちの置かれた状況に救いがなく、(描き方そのものは、決して暗くも湿ってもいないのですが)読み進むにつれ暗い気持ちになりました。悲惨な状況の子供たちを前にして、現実には、教師のやれることは限られるでしょう。子供たちをどうしたら救えるのかと考えても、簡単に答えは出ないでしょう。でも……それでも、小説には現実をなぞるだけではないなにかがあってしかるべきではないでしょうか。物語そのものに、救いや希望があってもよいではないか。それが小説の読み味のよさにもつながるのだと思います。新味や娯楽性に欠けるという点でも、本作を受賞作とするにはためらいがあったことを付け加えておきます。
 
 今回の応募作の中でもっとも面白く読んだのが、本堂正子氏『こけたところで火打ち石』です。タイトルからして興味を惹かれ、どんな話かとわくわくしながらテキストを開きました。すると、中身は自伝的ノンフィクションのようなのです。自伝的小説なのかもしれませんが、すくなくともその読み味はノンフィクションや長篇のエッセイでした。作者を思わせる元新聞記者の主婦が離婚を決意し、弁護士に調停を依頼し、やがて泥沼の離婚裁判に至る過程を無駄のない文章で、ときにユーモアを交えながら克明に綴っています。途中、「担当弁護士の自伝的エッセイ」が挟まる箇所にきて、「え? 誰の話?」と戸惑いましたが、それを除けば、冒頭から最後まで、読み手を飽きさせない読み物になっていました。しかし……やはり、これは「小説」の面白さというよりも、実際に起こった出来事をリポートしてくれている類の面白さなのではないでしょうか。できうることなら、この筆力で、より小説らしい語り口の物語を読ませてほしいと思った次第です。
 
 物語の強度を上げるにはどうすればよいのか。講評を書きながら考えました。答えはベタですが、たくさんの本、それも小説を読むしかないと思います。乱読でいいし、なるべく幅広いジャンルの小説を読んでください。そうすると、自分の中にいつのまにか「ものさし」ができてきます。その「ものさし」によって自分の書いた物語が評価してもらえるようになります。「ものさし」がこれならよいと言ってくれたら、応募してください。「ものさし」がこの程度なのかと言っているなら、書き直しです。作家デビューしたあとも、この「ものさし」のある人は書き続けられるし、ない人は迷走していきます。物語を作る力は物語を読むことによってしか培われないのだと肝に銘じて執筆に励んでいただきたいと思います。

 以上、第26回の講評とします。次回は晴れて受賞作が出ることを期待しています。なお、この4月から、本Boiled Eggs Onlineにて第22回受賞者・大石大の連載エッセイ『ぼくの小説作法』を始めました。月一の更新です。作家志望者にも参考になる内容だと思いますので、ぜひお読みください。

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