第3回ボイルドエッグズ新人賞発表!

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第3回ボイルドエッグズ新人賞受賞作

コスチューム! 将吉
(エントリーNo.7/Aフィクション部門)

作品内容: 生まれながらのコスプレイヤー聖香には、ひとつだけ致命的な弱点があった。なぜか「心霊写真が必ず撮れてしまう」レイヤーだったのだ。ある日のコスプレイベントで、一人のカメラ小僧にその秘密を知られたことから、物語は意外な方向へ……コスプレイヤーの「オタク世界」を笑いとグルーヴ感あふれる饒舌体で活写する新世代エンターテインメント小説の傑作。
著者紹介:将吉(しょうきち)1982年生まれ。22歳。東洋大学工学部在学中。さいたま市在住。

選考過程
1 第3回ボイルドエッグズ新人賞には、総数29作品のエントリーがありました。
2 各選考委員は、作品すべてに目を通し、それぞれ評価リストを作成しました。
3 その評価リストをもとに、2月下旬、選考会を催しました。
4 選考会では、新人賞の最終候補作として、三浦啓太『記憶の匣』、将吉『コスチューム!』、時里キサト『カーレルブラザー』、相馬武士『魔法少女がやってきた!』を選び、検討しました。
5 最終的に、将吉『コスチューム!』が、群をぬく面白さ、才能の将来性を評価され、受賞作と決まりました。受賞作は近く産業編集センター出版部より単行本として出版されます。刊行の詳細はあらためて告知します。

選考委員講評(到着順)

三浦しをん

 当然のことですが、文章を書きつらねれば自然と小説になる、というわけではありません。文章の重なりのあいだから、なんらかの形で物語が浮かびあがってこそ、それは小説になるのではないでしょうか。では、物語を物語たらしめるものはなんなのか。そこを考えつつ、最終選考に残った四作を中心に講評させていただきます。
『カーレルブラザー』
 前回応募の『彼女には自身がない』と同じように、いえそれ以上に、迫力のある文章でした。人称の混乱もなく、一人称表現のすごみと深さも増したと思います。しかし、やはりまだもう一歩、前進すべき点が残されているのではないでしょうか。語り手とその妹。上野綺麗とその兄。この二組にまったくの相似形を描かせるのではなく、もう少しバリエーションを持たせるべきです。そのことによって、登場人物に異なる個性が生まれ、そのぶん読者の共感できる余地も広がるからです。作者に、書きたいこと、書かずにはいられないことがあるのは、十二分に伝わってきます。それが文章の力になっています。あと必要なのは、それを読者に物語として伝える工夫です。そのために必要なのは、客観性と制御力だと思います。もちろん、最初は心のおもむくままに書いていいのです。しかし、作者はすでにそのレベルは越えているので、次は己れの心をよく見つめ、文章の手綱さばきを上達させてください。
『記憶の匣』
 記憶喪失の語り手が、失われた自分についての手がかりを求めて一人で考え、合間にテレビニュースが挿入される、という形式で物語が進んでいきます。極限まで少なくした登場人物、狭められた行動半径。作者の狙いと試みは非常におもしろいと思いますが、残念ながら充分に成功しているとは言いにくいです。この枚数で書くならば、挿入されるニュースに頼るのではなく、やはり物語の展開に絡めて「虚ろな人々」の事件を明らかにしていったほうがいいと思います。また、登場人物が少ないがゆえに、「マインドブレーカー」の正体に意外性がまったくなくなってしまっているのも弱点です。オチもやや弱い。こういうミニマムな形式で行くなら、いっそ短編にしたほうがキレがいいでしょう。アイディアに独創性があるし、文章も読みやすいので、今度は、どうすればお話をより効果的に読者に伝えられるかという点を、練ってみてください。
『魔法少女がやってきた!』
 タイトルどおり、魔法少女がやってきて、主人公の男の子はおおわらわ。でも異世界の不思議な女性たちにモテまくり、と要約すると身も蓋もないですが、テンポよく読むことができました。どこかで見たような設定、キャラだなあと、やや古いような気もするのですが、作者のひとのよさが表れている話でした。一番大きな問題は、「なんで主人公の男がこんなにモテるんだ」という点です。ここになんらかの説得力がないと、読者は共感できません。物語に説得力を持たせるためには、作者が客観性を保っていることがまず第一に必要です。主人公のまわりには異世界の住人しかいませんが、たとえば主人公の人間世界での生活や友人(女ともだちじゃなく、同性の友人)を登場させるだけで、話にもっとふくらみが出るでしょう。作品世界を小説的なリアリティのある堅固なものにするためにも、読者に無用なツッコミを入れさせないバランス感覚と客観性はとても重要です。
『コスチューム!』
 比喩のおもしろさ、文章のうまさが群を抜いていました。前回応募作ではやや説教くさすぎるかなと思えた部分がありましたが、今回の作品ではそれもほとんど感じられませんでした。コスプレやサイトの世界って、いろいろすごくて大変なんだなということも、物語を通して伝わってきますし、文章から情景や登場人物の心情が浮かびあがってきます。登場人物と一緒に六甲山に行きたくなりました。そういう思いを読むものに喚起させるというのは、とても大切だし、小説としての力があることの証です。ただ、問題点もあります。かぎりなく一人称に近い三人称で書かれていますが、地の文でたまに、妙な批判精神が炸裂するというか、オタクへの自己言及が見られる点です。しかもこれが、率直に言って浅い。小説に、作者の生の声(と読者にとられてしまうもの)はいりません。オタクを擁護したり、オタクな自分を卑下したりする(それが裏返って、たとえばイベント会場にいるテレビクルーを攻撃したりする)必要性があるなら、それはあくまで、物語の展開・登場人物の心情にそって、さりげなく提示すべきです。しかし、この点を手直しするのは簡単だと思うし、とてもおもしろい小説であることは間違いないので、バージョンアップ版『コスチューム!』を楽しみにしています。「どこを直せって言うんだコンコンチキめ」と思われるようでしたら、ボイルドエッグズ宛にメールください。私が気になった部分を、ご参考までに具体的に挙げさせていただきます。前作・今作と、オタク文化を題材にした小説でしたが、私はこの作者はきっと、それ以外の題材でも書けるかただと期待しています。
 
 まとめ。
 ガラスの仮面をつけましょう。
 たしかに小説は、自分のなかから湧き出てくるものがなければ書けません。しかし、湧き出てくるものを文章にすれば小説になる、というわけでもないのです。文章はあくまで道具です。よりよく、より深く表現するために磨く技のひとつにすぎないのです。演劇人が腹筋を鍛え、河原で発声練習するようなもので、大切なのはその先、台本をいかに読みこみ、解釈し、役を自分に憑依させて、観客に本物らしく伝えるか、という部分です。
 湧き出てきたものを文章として映しとる際に、テーマを掘り下げ、どうしたら効果的に読者に見せられるかを考えつくしたうえで、自己を滅却させてください。むずかしいことではありますが。
 小説は、作者である「あなた」のことを書くものではないのです。登場人物の人生の一片を切り取るものなのです。自分自身のなかから生まれたものでありながら、自分とはちがう世界と時間と思考と感情を生きる人々。それを書く自由が、物語の楽しさであり喜びの本質なのではないでしょうか。だからこそ、読者は小説を読むのではないでしょうか。
 作者の生の声をストレートに出してはいけません。自己言及も自己批判も自己卑下も、「こうであったらいいな」と思う自分の理想のありかたも、すべて物語のなかで、登場人物を通して表現されるべきです。そのためには、客観性とバランス感覚を保つことが重要です。自分ではない人間である登場人物の生を、力のかぎりを尽くして想像してみることです。
 壊れやすく繊細なガラスの仮面をつけて、慎重に文章を紡いでください。物語のなかで、架空の人物を生かしてあげるために。
 

滝本竜彦

 どんなに隠そうとしても小説には作者の性格が表れます。作者が出るのを無理に隠そうとすると、作品全体に消化不良な感じ、あるいは読んでいて気恥ずかしい感じが漂います。それを回避するには、文章を書いていて不安や抵抗が生じても逃げない、逃げずに不安をよくよく見つめて言葉にする、そういった冷静さと粘り強さが必要かと思います。以下、面白かった作品の講評です。
 
『カーレルブラザー』
 書きたいテーマが明確にあるのだと思いますが、その書きたいことの重さ、複雑さ、恐ろしさを作者が扱いかねているように感じました。良い小説を書くにはある種の強さが必要かと思います。自分を冷静に見つめ、書かねばならないことを感じ取る強さが必要です。その強さを得るには、リラックスして、自分を気楽に客観視するのが一番です。すなわち考えるな、感じるんだということです。こんなことを申しますのも、どうもこの物語は、最初から最後まで頭で考えて作られたもののように思えるからです。頭で考えて書かれたため、重いテーマが、ぱさぱさと軽くなっている。凶悪なはずのキャラクターもいまいち怖くない。生きてそこに存在している感じがしない。書かれている感情も頭ででっちあげたカラ感情のようだ。カラ泣き、カラ笑いが溢れている。そのために何もかもが作り物臭い。(この問題は本作だけではなく、僕も含めてその他大勢の方に当てはまります)
 こういった症状を治すには、とにかく頭で考えるのをやめ、リラックスして自分を見つめ、そのうち沸いてくる自分の衝動を、正直に感じ取ることが大事です。そして、「この感情を、衝動を、どうやって上手な物語にしようかな」と悩む段階になって初めて頭を使いましょう。最初から頭に頼っていたら、血肉の通った物語を書くのは難しいと思います。作者のポテンシャル(精神の特殊性)は、今回の応募作の中でも最上級のように思えましたので、その特殊性を生かすためにも、まずは無駄な思考を止め、考えずに感じていただきたい。自分を信じ、リラックスしてぼんやり空想していれば、いずれ沸いてくるはずの強い創造力を信じていただきたい。そう思います。
 
『コスチューム!』
 文章、物語、登場人物、どれもが上手に描かれており、今回の応募作の中では間違いなくトップクラスの実力の持ち主だと判断し、受賞作に推しました。面白かったです。前回の応募原稿もそうでしたが、最初の数枚を読んだだけで、「これはきっと最後まで安心して読めるだろうな」とわかりました。そして「この作者はまだまだ小説が上手になるな」とも思いました。いずれ天下を取っていただきたいと思います。そのためにはもう少し訓練が必要だと思います。訓練といっても特に難しいことではありません。読んでいていくつか気になる点がありました。妙な言い訳やつまらない一般論に文章が逃げているポイントが所々ありました。それはおそらく、直視すれば怖くなる事柄から目を逸らした結果です。書くのが怖いことを書かなくてもすむように、文章を無意識的に脇に逸らしてしまったのです。それはもったいないことです。書くのが怖いことは、ぜひとも逃げずに書くべきです。難しいことではありません。ただリラックスして、筆の流れを脇に逸らそうとする抵抗感を見つめるだけです。見つめているうちに抵抗は消え、なんでも書きたいことを書けるようになるはずです。そうすればもとから面白いこの原稿の面白さが、少なく見積もっても五倍はアップするに違いないのです。
 以上、つい抽象的であまり役に立ちそうにもないアドバイスを書いてしまいました。何かの参考になれば幸いです。本になるのを楽しみにしております。

千木良悠子
 
 三回目にしてようやく選考にも少し慣れてきました。前回、前々回に応募してくださった方がさらに良いものを送ってくださったり、楽しみも広がっています。前回の「奨励賞」である時里キサトさんの「カーレルブラザー」。相変わらずの奇妙に閉じた世界観、味のある文体。個人的にはたいへん好きなのですが、もう少し登場人物の関係性に厚みとふくらみがあれば、多くの読者を納得させることができると思います。惜しくも受賞を逃しました。
「コスチューム!」は、コスプレーヤーの少女やコミック・マーケットのカメラ小僧たちを中心に、ホラー・サスペンスの要素を織り交ぜながら、彼/彼女らの不確かな存在意義と繊細なこころ、フラジャイルな身体性を描くエンタテイメント作品で、読むうちにぐいぐい引き込まれる卓越した筆力が感じられました。この調子で、さらに色んなジャンルに貪婪に手を出していってほしいです。
 この新人賞特有のものなのか、最近の作家志望の方の間の流行なのかはわかりませんが、ライト・ノベル・テイストの文体というのでしょうか(ひらがなの擬音の多用、盛んな改行、自問自答型のモノローグ、etc……)、応募作に非常に多いような気がします。より、オリジナリティに溢れる作品を今後も期待しています。

村上達朗

 まずなによりも今回、将吉氏の『コスチューム!』が受賞したことを喜びたい。かつて詩人田村隆一は、ミステリの女王アガサ・クリスティーの朽ち果てない魅力の秘密を、「時代の典型」を描いていることと看破した。受賞作はまさしくその「時代の典型」を描いているのである。女はコスプレイヤー、男はカメラ小僧。しかも、コスプレイヤーには誰にも知られてはならないある秘密があり、その秘密を軸に物語が展開する。
 一見いかにもな「オタク世界」の話だが、それを圧倒的な筆力で、破綻なく描ききった才能は、本物だ。登場人物たちはじつに生き生きと物語世界を泳いでおり、それを語る饒舌体は、読んでいてときにうっとりするほどにすばらしい。時代の類型でなく典型を描くことに将吉氏は成功したと思う。物語と人物の設定に、やや深みに欠けるところがあるが、それらは改稿で、きれいに修復できるはずだ。応募2度目での快挙に、心からの拍手を贈りたい。
 三浦啓太氏『記憶の匣』もぼくは面白いと思った。こちらも現代風な一人ボケ&ツッコミの一人称文体で笑わせながら、奇妙な話が展開する。ほとんど全編、登場人物がたった一人(最後にその理由が明らかになるが)というのも、ある意味で現代的だが、平板に脱しがちな設定を飽きさせずに読ませる力がある。ミステリとしての種明かしにも意外性があり、充分面白い(ぼくは騙されました)。惜しむらくは、小説としてまだまだ未完成、生煮えだということだ。
 ボケ&ツッコミの一人称文体はブログの延長線上にあり、よほど自覚的に使わないと、読者にはまたかと思われてしまう。ミステリとしての設定も、犯人の扱いにリアリティがないなど、ほころびが目立つ。面白いアイディアが浮かんだら、それをどう作品に昇華させるか、すこし時間をかけて取り組んでみるとよいと思う。
 前回奨励賞を受賞した時里キサト氏の『カーレルブラザー』も最終候補に残った。これは力作である。自身が抱える問題(それがなにかはわからないが)に正面から向き合い、一気に描いた感がある。しかし、作品として成功していないのが残念だ。理由ははっきりしている。いじめの話なのだが、主人公や妹などの登場人物に共感しにくいのである。主人公を「不快なやつ」と書くばかりで、その理由が伝わらないのである。作者と登場人物たちとの距離が近すぎるのがいけないので、別の世代の人物を配すなどして、物語世界にふくらみを与えることが必要だと思う。ほかの選考委員の意見も参考にして、さらに精進し面白い小説を読ませてほしい。
 相馬武士氏『魔法少女がやってきた!』は読みながら何度か爆笑した。文章も読みやすく、登場人物の描き分けもうまい。小説を書き慣れている人だと思った。ただ……すべてが「何かに似ている」のである。既視感がある。ぼくはまず『うる星やつら』を思い浮かべた。その延長線上にある漫画、アニメ、ゲームを換骨奪胎したということなのだと思うが、それをするにもどこかに新鮮味、感覚の独自性がなければならないだろう。作品の持つ「面白み」が他人のものでなく、自分のものになってこそ、初めて「商品」になる。趣味や娯楽として小説を書くのであれば別だが、「プロの作家」を志すのであれば、このことは肝に銘じて創作に臨んでほしいと思う。
 
 常々言っていることだが、ぼくは、小説には「良い小説」と「悪い小説」の二種類しかないと思う。そして「良い小説」の中には、「面白い小説」と「つまらない小説」とがある。ぼくが読みたいのは、「良い小説で、面白い小説」である。これを成し遂げるのは至難の業だが、「プロの作家」になるとは「良い小説で、面白い小説」を書き上げることなのだ。ジャンル意識など無用、ひたすら「良い小説で、面白い小説」を目指し精進することだ。
  次回の応募作に期待しています。

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