第6回ボイルドエッグズ新人賞発表!(06.12.01)

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第6回ボイルドエッグズ新人賞

該当作なし

選考過程
1 第6回ボイルドエッグズ新人賞には、総数33作品のエントリーがありました。
2 各選考委員は、作品すべてに目を通し、それぞれ評価リストを作成しました。
3 その評価リストをもとに、11月下旬、選考会を催しました。
4 選考会では、新人賞の最終候補作として、時里キサト『チキン』、藤井烈『ファイナル・D〜種の存続とその起源〜』、森野樹『冬の塔と十九』、木下寛之『浪人下宿始末』の4作品を選び、検討しました。
5 慎重な討議の結果、今回は該当作なしとなりました。

選考委員講評(到着順)

三浦しをん

 今回も残念ながら受賞作はなしということになりました。
 繰り返しになりますが、作品を書く際に気をつけたほうがいいと思われることを以下に挙げてみます。
 一、作者自身の生の声や姿は、できるだけ表に出さない。現実の世界に対して言いたいことや感じたことがあるとしても、それを物語の形で昇華させる。
 二、そのうえで、書きたい世界が読み手に十全に伝わるものになっているかどうかを、書きあげたときに作品から一歩引いた位置で確認する。
 三、人気のある先行作品の作風や設定に学ぶのは重要だが、それをなぞるのではなく、ずらしたり逆手に取ったりして、「自分ならこう書く」という独自性を見せる。「こういう作品は、この作者にしか書けない」と読者に思わせるのがベスト。
 ※
 今回拝読したなかで、私が一番いいと思ったのは『浪人下宿始末』です。登場人物がみんな魅力的でした。しかし、あまりにも事件が起こらなさすぎです。起こらないのが悪いのではなく、起こらないなら起こらないなりの、もう一工夫が必要ではないでしょうか。ただこの点は、書き慣れてテクニックがつけば、解消されてくる問題だと思われます。小説の構成、物語の展開に登場人物の心情をいかに有機的に結びつけるか、を一考してみてください。次作に期待しております。

滝本竜彦

 今回の選考会は、受賞作無しという残念な結果に終わりました。応募作も、小粒な作品、エネルギー不足な作品、技術不足な作品が多かったように思います。
 
 ところで、人生は短いものです。一日は二十四時間しかありません。時間は大切です。人様に小説を読ませるという行為は、読者の貴重な時間を奪うことに他なりません。
 ですから、もしも人様に自分の小説を読ませたいという欲望があるのならば、それに見合うだけのメリットを提供しなくてはなりません。文学作品であれば文学的感興を、娯楽作品であれば心躍る娯楽を、なんとしても読者に提供しなくてはなりません。
 私も小説家という肩書きを得るに当たり、それ相応の努力をしてきました。古今東西の小説を読み、それらに共通する構造を分析し、近年の小説シーンにおける流行を肉体的に体得するまで市場調査をし、尊敬する作家の文体を盗むために写経をし、いざ原稿を書くときは、すべてのシーンを完璧なものとするため、何十回、何百回と、同じ箇所を書き直し、修正し、書き直し、修正し、もちろん誤字脱字は一字でも許されぬものと心得、当然のことながらテーマの捻れや無駄な台詞が小説内に一カ所でも存在してはならぬと心に堅く誓い、私は処女作を全身全霊の力を使って書き上げました。自分の小説を最初から最後まで丸暗記してしまうぐらいの努力をして、私は処女作を書き上げました。(出だしの三十ページぐらいなら、今でもソラで暗唱できます)
 このように、小説を書くというのは、とても大変なことであり、とても恐ろしいことであり、とても努力を必要とする作業なのです。軽はずみな気持ちでやれるようなものではないのです。そのことを、どうか皆さんに理解していただきたいと思います。
 
 しかし。
 私にとっても皆様にとっても、小説を読むこと、書くことは、結局の所、つまるところ、ただの暇つぶしの遊びに他なりません。どれだけ「俺は小説に人生をかけている!」などと格好いい台詞をわめいても、それはただ、「俺はこの遊びが死ぬほど好きなんだ!」という己の趣味の表明に過ぎません。
 繰り返しますが小説は遊びです。
 作者も読者もその遊びのプレイヤーです。
 どうせ遊ぶなら真剣に遊びましょう。
 しょせん小説は、個人的な趣味、娯楽、遊びなのですから、遊ぶときぐらい、のびのびと、愉快に楽しく、精一杯、自分のスタイルで遊びましょう。
 
 と、いかにも抽象的な言葉をツラツラ並べてしまい、応募者の皆様にはたいへん申し訳なく思いますが、これで私の講評を終わらせていただきます。(面白い小説を書くに当たっての具体的な方法を知りたい方は、ぜひ小説執筆のためのハウツー本をご覧ください)

千木良悠子

 今回は、特に何も起こらない、起こったような気がしない作品が多く、全体的に低調な印象がありました。
「浪人下宿始末」は、コメディータッチのにぎやかな作品で、文章の運びも上手なのですが、けっきょく最初から最後まで主人公が受験勉強をしてるだけというお話。このままでは、読後感がよくありません。たとえ主人公はつねに机に向かっているだけだとしても、地球は絶えず回っているっていうし、裏では何かがきっと起こっているはず。他のキャラクターとの絡みで、グッと物語が立体的になるかと思います。
「冬の塔」は、メルヘンタッチのミステリーで、雰囲気があるのですが、いちばん肝心なはずの作中の「冬」というシステムが、物語にどう作用してくるのか、最初にもう少し考えないといけません。今のままだと、ちょっと寒そうな感じを出すためだけの一アイテムに堕してしまっているので、読んでいてもムナシイです。それから、人称の問題。語り手の一人称が「僕は」なのはいいとしても、初めて出会ったお手伝いさんや、出会ったこともない館の主人の娘などを「サチ子は」「雪子は」と全部名前呼び捨て、というのはなんだか変だなあと思いませんでしょうか。全員いきなり名前呼び捨て、は、作品世界をチャイルディッシュで、閉じた、未成熟な場所に見せます。雰囲気としては合っているのでしょうが、これも自覚がないまま書いているようではよくありません。
 他にも共通して言えることですが、作品のどのあたりが核心部分なのかを、頭の裏側で捕えつつ書いていくと、さらに良いのではないでしょうか。

村上達朗

 なんとしたことか、前回に続き、今回も該当作なしという結果になった。前回も低調だという意見が多かったのだが、今回は総体にさらに低調だったと思う。ぼくとしては非常に残念だし、2回連続のこの結果は正直悲しい。ボイルドエッグズ新人賞は埋もれている才能を発掘する目的で創設したものだ。うぬぼれでもよい。才能あると自負する者にはなんとしてでも奮起してもらい、「どうだ」と言える作品を読ませてほしい。
 そのなかで選んだ最終候補作も、例外ではないのだが、簡単に感想を述べる。
 まず時里キサト氏『チキン』だが、前回の応募作『つぶれていたので顔が無い』より文章はうまくなり、安定した。しかし、全編に作者がしゃしゃり出て来て、登場人物や読者にチャチャを入れ、知ったふうな口をきく文体は、メタフィクションのつもりかなんなのかわからないが、どうにかならないのだろうか。悪趣味ととる人もいるかもしれない。読者によってはバカにされたように感じ、嫌な気持ちにさせられるかもしれない。それでは商品にはならない。仮に商品になったとしても、読者にそっぽを向かれ作家としてやっていけない。また、この作品に限らず、小説世界そのもの(姉が弟を好きというだけの話が学校と家で展開する)が狭すぎて、広がりと情感に欠ける。「小説」とはもっと面白く、情操豊かで、読者を心から楽しませることができるものだ。小説を書くなら、そんな小説を目指すべきだということに気づいてほしい。
 藤井烈氏『ファイナル・D〜種の存続とその起源〜』は全体にばかばかしい話なのだが、作者はそれを完全に自覚し(ているとぼくは思う)、やや荒っぽいが、スピード感ある文章とずれたユーモアで最後まで読ませる。読中、読後感も悪くない。自覚的にばかばかしい話を書くというセンスには時代性があり、ぼくはよいと思う。では、なにがいけないのかと言えば、このような話と文章は、たとえばいまのライトノベル界にはどこにでも転がっているということなのだ。これからデビューしたいという新人が、それではいけない。それではデビューできない。内容も、文章も、さらに言えば、作者の小説への自覚の度合いも、数段レベルアップさせる必要がある。この程度でいいという姿勢が随所に感じられる。そのことにも作者が自覚的かどうかはわからないのだが、自分だけで楽しむのでなく、読者を心底楽しませようとするなら、そうであってはいけないのだ。志を高く。
 森野樹氏『冬の塔と十九』は、死にかけた人間を冬眠状態にして命を長らえさせる塔の中で、次々と人が刺される事件が起こるという、変な設定のミステリ。文章が簡潔で、余計な装飾がないことに、ぼくは好感を持った。こういう文章は教えてできるものでなく、自らのセンスで体得したものだと思う。そのセンスを大事にしてほしい。ただ、文章はよいのだが、残念なことに、内容がともなわない。まず、ミステリに変な(SFまがいの)設定を持ち込んではならない。持ち込み禁止ではないのだが、いちばん難しいことをやっているということなのだ。たぶん、そんな自覚はないのだろう。変な設定とミステリとが緊密に結びついていないし、肝心のミステリそのものにも意外性がなく、試みとして成功していない。ミステリを読めば読むほど、そういう変な設定に手を出すのは危険だと気づくはずだ。そこまでミステリを愛し、読み込んでいるとは、ぼくには到底思えなかった。次に、登場人物の描き分けがきちんとなされていないせいで、読みながらときどき人物を混同する。これは、小説では致命的な欠陥だ。いまの言葉で言えば、キャラが立っているかどうか――これを念頭に自作を検証してほしい。
 最後に木下寛之氏『浪人下宿始末』だが、ぼくは今回はこの作品がいちばん新人賞に近いと思った。受賞にいたらなかったわけは二つあり、一つは、「なにも起こらない」ために小説的感興が味わえないのだ。受験生の実態が受験が終わるまでのモラトリアム状態にあるということはわかるが、小説としては工夫が必要だ。周囲のどんちゃん騒ぎに主人公が最後までまったく影響を受けないのでは、読者を主人公に感情移入させ、物語に没入させることはできないだろう。二つめは、現代の話でありながら、主人公の高等遊民的言説がおもしろ可笑しいのだが、その「書生文学」(ぼくの造語)のようなテイストは、残念ながら『鴨川ホルモー』に前例があり、読み比べるとどうしても見劣りしてしまう。各人物のキャラも立っているし、高等遊民的言説もぼくは面白いと思うので、あとは小説の構造そのものを幾段にもパワーアップさせられるかどうかだ。文章力、描写力、知識、教養に安住せず、物語の面白さ、ダイナミズムで勝負できる作品を狙ってほしい。それが書けたとき、作家デビューは現実になると思う。
 
 3年前、「スタア誕生へ。」の看板を掲げて創設したボイルドエッグズ新人賞のこれまでの受賞者は、たった3名だ。しかし、そのなかには、確実に人気作家への道を歩んでいる受賞者もいる。いまはその仲間が一人でもふえることを願わずにいられない。埋もれている才能に出会えるときがぼくは待ち遠しい。

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