第7回ボイルドエッグズ新人賞発表!(07.8.01)

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第7回ボイルドエッグズ新人賞

該当作なし

選考過程
1 第7回ボイルドエッグズ新人賞には、総数49作品のエントリーがありました。
2 各選考委員は、作品すべてに目を通し、それぞれ評価リストを作成しました。
3 その評価リストをもとに、7月下旬、選考会を催しました。
4 選考会では、新人賞の最終候補作として、池山新吾『新人さん、いらっしゃーい』、天神健太『兄と黒胡麻の輪廻』、木下寛之『蜘蛛の女』、松尾佑一『ロストワルツ』、三島征爾『電子の泡』の5作品を選び、検討しました。
5 慎重な討議の結果、今回は該当作なしとなりました。

選考委員講評(到着順)

三浦しをん

 残念ながら今回も、積極的に推したいと思う作品はありませんでした。以下、拝読した順に、気になった作品について触れさせていただきます。
『ロストワルツ』。文章は安定しており、夕子のキャラクターも嫌味がなくてよかったです。ただ、脳間通信というアイディア自体は昔からあるもので、小説内での理論や機材の迫真性がちょっと弱いのではないかなと思いました。また、野中のトラウマの扱いと、ラスト前で彼女がモンスターのように描写されることに、若干の違和感を覚えました。
『新人さん、いらっしゃーい』。短編集ですね。最初の話は、あまりにもアホらしくて(褒め言葉です)笑ってしまいました。どの話も、登場人物の会話がいきいきしていていいな、と思いました。しかし、登場人物名を実在の芸能人のもじりにするのは避けたほうが無難かと思います。それから、肝心な部分で登場人物の性格づけにブレが感じられたり、話の段取りに穴があったりしました。ブレがあるのが人間ですから、前者はまあいいとして、話の段取りに穴があるのはちょっとまずいです。たとえば、「夜想」のひき逃げ容疑者に聞き込みをする場面など、交通課の鬼・重三さんなら、もっと突っ込んで話を聞くべき局面ではないかなと思います。文章力はあるかたですので、丁寧な話づくりを心がけてみてください。
『蜘蛛の女』。文章はうまいし、ホラー風味に挑戦した意欲もとてもいいです。しかし惜しむらくは、明らかに異常な事態が起こっているのに、利雄がわりと平然としてる点です。読者を一緒になって怖がらせるような心理の起伏、理性で抑えようとしてもしてもこみあげる恐怖心などを緻密に描かないと、ホラーは成立しにくいのではないでしょうか。結果として、「利雄がやけにモテるなあ」「利雄は顔がよくて女でさえあれば、蜘蛛女でもなんでもいいのかなあ」と、どうしても思えてしまい、個人的にはキャラクターに共感しにくかったです。いろんなお話が書けるかただと思いましたので、またぜひチャレンジしていただきたいです。
『電子の泡』。力のこもった作品だと感じましたが、構成がわかりにくく、サッカーのエピソードと恋愛のエピソードがうまく絡んでいないように思います。サッカーの場面はとてもいいです。一番違和感を覚えたのは、レイプされた女の子の描きかた、彼女への千見寺くんの接しかたです。小説に倫理は必要ないと思いますが、作者には倫理が必要です。その意味で、レイプを題材にする際には慎重になるべきだと個人的には考えます。非常にいやな言いかたになりますが、この作品ではレイプが単なる「アイテム」にしか私には見えませんでした。レイプされて深く傷ついた女性を描くのなら、最低限の取材をする(サバイバーの書籍を読む)とか、レイプとはいかなるものかを社会学的に調べるとか、してみてください。意気は高く買います。あとは、作品に取り組むうえでの細心さ=「他者になってみよう」とする姿勢です。精進に期待します。

 今回で私が選考にかかわらせていただくのは最後です。いままでのすべての作品を楽しく拝読させていただきました。ありがとうございます。「おまえの読みはちがうんだよ!」とお思いのかたもいらっしゃることでしょう。その場合は、次回以降がチャンスです。今後もふるってご応募ください。

滝本竜彦

 最終選考に残った五作品にそれぞれ短い感想を述べさせていただきます。
 
・新人さん、いらっしゃーい
 小粒で読みやすい短編集でしたが、ひとつひとつの話があまりに小粒すぎるように感じました。もう少し強いイメージやエピソードが欲しかったです。
 
・蜘蛛の女
 最終選考に残った作品の中では、もっとも面白く読むことができました。ですがこの分量、この深さのエピソードひとつでは、長編小説は成り立ちません。量的、質的、双方の意味でボリュームが足りません。より大きな物語の一部として使うべき作品なのかもしれません。
 
・兄と黒胡麻の輪廻
 ところどころ目を引くイメージがありましたが、作品に明確な構造が存在しないため、途中で読み疲れてしまいました。独特なセンスに満ちた作品ですが、読みにくさ、意味の分からなさがすべてを台無しにしています。リーダビリティを考慮して欲しかったです。
 
・ロストワルツ
 優しく素直な文章に好感が持てました。しかしSF設定の地味さ、甘さ、物語のピークの低さなど、さまざまな弱点があり、受賞作に推すことはできませんでした。それにしてもラストのイメージが醸し出すせつなさには感銘を受けました。
 
・電子の泡
 若々しいセンスに溢れた作品でした。サッカー描写からも強い意気込みが感じられました。残念ながら、作品のメインストーリーとサッカーの関連性がいまいち読者には理解できないなどの問題点があり受賞には至りませんでした。
 
 今回の応募作は全体的に漠然とした雰囲気の作品が多かったように思います。
 何のために小説を書くのか、自分はどのような小説を書きたいと思っているのか?
 そういった根本的な問いから逃げることなく、足場をしっかり踏み固めることが受賞への近道かもしれません。
 皆様の今後のご活躍に期待します。

千木良悠子

 今回はあんまり気に入ったのがなくて、残念でした。
 全体的に言えるのは、「分からないことは書かなくていい。無理すんな!」ってことです。でも、仕事してるうちに疑問を持ったらきちんと調べてみるのは、小説家でなくても、どんな職業でも普通にやんなきゃいけないことだと思うのです。
 
 作品ごとに言うと、まずは「新人さん、いらっしゃーい」ですが、4つの短編のうち、どれも物語に大きく足りない要素がありました。アイドルの乳首が黒いってだけの話とか、「そりゃないよ!」っていう設定が多すぎです。書いてきてくれた中では「欲情専門〜」がいちばん形になってた気がします。若者がお金がなくて困ってる様子が、なかなか現実的でした。しかし、ヌードモデルが15分で10万円っていうのは、ちょっとありえない。美大や絵画スクールのヌードモデルは半日仕事で一、二万円らしいですよ。しかも超ハードワーク。動いちゃいけないんだから……。そういう現状を知ってますか? 知ったら、主人公のバイト代もちょっと下げようかなとか、思いますか? 空想の世界は空想のままでいいんですけど、現状に対してどういうふうに書くかで、意味が違ってきますです。
「黒胡麻と兄の輪廻」は、申し訳ないけどよく理解できなかった……わからないながらも、少年期に肉親を亡くして孤独の内にあり、進むべき道が分からず八方塞がりである状況にさまざまな妄想が現れる、という内容なのだと認識したのですが、毛穴から汁が出るとか、水が飲めないとかいうナンセンスな事態になっても主人公が全くなすがままで、行動起こそうとしないから共感しにくい。自己or社会批評性がないと、ナンセンス難しいです。妄想が高じて、猫のお兄さんとスープか何か飲むところは、多少同情させられた。だが、前衛風の妄想シーンが、おおむね単なる連想ゲームになってしまって、結果、「死ぬ」とか「自殺」とかネガティブ&ダーティ・ワードが頻出する事態になってるのはちょっと情けない事態です。
「蜘蛛の女」は途中まで楽しく読めましたが、学園コメディかと思ったのに、突然怪奇ファンタジーになってしまい、しかも主人公がゲゲゲの鬼太郎みたいに怪奇慣れした若者だと分かってびっくり。結局最後まで読んでも、情報が少なすぎて、蜘蛛女が何者なのか、この主人公がどういう子なのか、よく分からなかった。学校内でそんなに行方不明者が出たら、もう大事件ですよ! 警察だっていっぱい来るよ! 親も彼女も食われて、なぜこの主人公はここまで平静でいられるのか、はっきり言って超不審に思いました。作者は、これを主人公と蜘蛛女の恋だと説明しているけれど、三十路も近い女子の意見としては、「この男の子、ただよく分かってなくて流されてるだけじゃね?」みたいな。主人公は、「オレはゲスな男の子だから」との言い訳の下、自分の非力をニヒリズムに転じてるだけで、私がもし北斗晶だったら超殴ってるぞー。どっちが美貌だとか、そんなことで女を天秤にかけてないで、周りをよく見ろ! と声を大にして言いたい。体力がないから女も家族も守れなかったっていうキッツい負い目を一生背負って生きてかなきゃいけない立場なのに、さっぱりしてどうするの? ラストは耽美路線、「恐るべき子供たち」の方向でまとめようとしてるが、そう簡単に行くはずがあるか! もっと社会のことを勉強し、ニュースを見たり新聞を読んだりして、選挙に行きなさい、とババアの小言のようなことをネチネチと言ってみたい。
「ロストワルツ」は、大学院の実験のことをよく分かっててすごいなあ、と途中までは感心してたんだけど、脳のファイル共有っていうテーマが出てきてから、白けてしまった。野中美咲さんが妙なオカルト実験みたいなの始めてからは、アンテナ持ってグルグル屋上で回転してるとか「ダウジングかよ!?」ってかなり滑稽なシーンなのに、物語は深刻になる一方だし、科学ってそんなに簡単にオカルトに堕してしまうものなのでしょうか? せっかく丁寧に紆余曲折を書き込んであるのに、その向かうところがお花畑で手をつないで「人間は分かり合えるんだ!」じゃ、ちょっと。いっそのこと、野中さんに暗い過去なんか背負わせるのやめて、研究オタク同士の、平和な日常を描くラブストーリーとかどうかな。トラウマの話って多いから!
 そして「電子の泡」ですが、とにかくサッカーが好きそうなとこが、すごく良かった。「僕はサッカーがやりたいんだ……!」ってとこが異様に、グッと来た。試合の描写もとっても細かかった。こんなにサッカーを知ってる人が小説を書いてるってことに感動した。でも恋愛のシーンがいまいち。結局、百合子ってなんだったの? 昔ちょっと好きだった女の子ってだけ? サッカーと恋と復讐譚がまったく相容れないままに存在していて、飲み込みにくい。それから良くないと思ったのが表現が微妙に古いこと。「ぷりぷりと怒り」とか「百合子の白い肌……」とか。最後「ねえ、刺して」と女の子に言われて、じゃきんじゃきんと髪を切るって、いつの時代の話だ! いっそのこと刺しちゃえば良かったんじゃないの!? と、この作品については思いました。ラディカルでありたいという意識はあるんだろうけど、もう一度見つめ直してみて!! 形骸的になってないか、何かのまねっこ動物ではないか。レイプされた女の子とか、そんなに簡単に作品に出しちゃだめです。それから映像的な文章も、目線があっちこっち行くと読みづらくなってしまいます。いっそのことビデオカメラを手にして、全部映像で表現するというのも、ひとつの策です。

村上達朗

 三回連続の該当作なしとなってしまった。応募数はふえたが、どれも内容的にいま一歩で、選考委員の絶対的な支持を得る作品がなかった。主催者としては残念至極な結果だが、レベルを下げてまで受賞作を出すことはできないので、いたしかたない。
 応募作全般に言えることだが、文章はそんなにわるくない。内容的にも面白いところはある。それのどこがいけないかと言えば、要は書きっぱなしなのである。「文章はそんなにわるくない。内容的にも面白いところはある」レベルでは、職業作家にはなれないのだ。何度か言っていることだが、応募者はまず「この文章、この内容で、読者にお金を払ってもらえるか。お金を払ってもらって、満足してもらえるか」と自問してほしい。受賞と落選の境目はここにある。自信作とは「この文章、この内容なら、読者にお金を払ってもらえる」と思える作品のことなのだ。
 もし「お金なんて」とバカにする応募者がいるとするなら、その応募者には作家になる資格がない。このことを骨の髄まで自覚してもらいたい。この自覚を持つことが作家への最短距離だということに、早く気づいてほしい。
 ぼくは三島征爾氏『電子の泡』を押したが、ほかの選考委員の支持を得られなかった。得られなかったわけははっきりしている。内容と構成がアンバランスで、作品として「お金を払ってもらえる」レベルになかったということだ。スタンガンの電流に強烈な快楽を得る感覚は面白く、新味もあり、それこそ三島由紀夫ばりにうまく書けていれば、とてつもない才能が現れたという評価につながったかもしれない。洗練度は低いが描写力もある。しかし、その描写力は人間を正確に深く描くところにまでは達していない。三島征爾氏はおのれの才能に耽溺しているのではないかと思う。そのことが人間をより深く描くことの障害になっているとぼくには思える。作品を客観視し、感覚と人間と物語が緊密に結びつく数段高いレベルの小説を目指してほしい。
『新人さん、いらっしゃーい』の池山新吾氏は、お話を作る力がある。しかも、わかりやすく、読みやすい。しかし、これも思いつきの域を出ず、書きっぱなしなのだ。詰めの甘さはいろいろなところに現れているが、たとえば、刑事がすぐに制服の警官になるなど、事実誤認もはなはだしい。刑事は刑事事件、民事は民事事件で、同じ警察官でも私服と制服とでは役まわりが違う。ちょっと調べればわかることなのに、それすらも怠るようでは、「お金を払ってもらえる」レベルの作品に仕上げるには道なお遠しと言わざるを得ない。
 天神健太氏『兄と黒胡麻の輪廻』は文章に独特の味、ユーモアがあり、得難い才能ではないかと思った。どことなく町田康を思わせる。あるいは、『アサッテの人』を。問題なのは、あまりにも独りよがりで、何を書いているのか、何が書きたいのか、よくわからないことだ。どうして体から黒胡麻が出てくるのか? どうして自分の兄が猫なのか? 読者をけむに巻こうとしているのかもしれないが、なぜわざわざけむに巻かなければならないのか、ぼくには理解できない。だったら小説など書かないほうがましとしか思えない。また、自分語りに終始する話だが、「自分語り」はもはや時代の興味からずれてきているということも指摘しておきたい。「自分語り」の小説がボイルドエッグズ新人賞を受賞することは今後もないと思う。
 木下寛之氏『蜘蛛の女』は、オフビートなホラー小説で、こういうゆるい、どこか人を食ったテイストはぼくは嫌いではない。文章も安定しており、内容的にもうひとひねり、ふたひねりあれば、それなりに面白みのある作品になったと思う。ただ、前回の応募作『浪人下宿始末』にも言えることだが、「小説」に求める基準が低いのだ。どこか、この程度でよいと思っているふしがある。それでは読者にお金は払ってもらえない。ゆるいなかに、驚きや深みなどをどう練り込めるか。これが木下寛之氏の課題だと思う。
 松尾佑一氏『ロストワルツ』にもぼくは好感を持った。内容的には、ほかの選考委員も指摘していることで、SF的アイディアが陳腐すぎて買えないのだが、文章に破綻がなく、情感もある。書きたいことを丁寧に、自己を裏切らずに書こうとする姿勢は好ましい。むずかしいのは、小説は正直なだけではだめで、ときにははったりや大嘘も必要だということだ。いやむしろ「はったりや大嘘」をいかにリアルに見せられるかが小説なのだと思う。つまり、飛躍が必要なのだが、設定にも展開にも、それが欠けている。真摯に小説家を志すなら、自分にその(「はったりや大嘘」をリアルに見せられる)資質があるかどうかを見極めてから取り組んでみてはどうだろうか。

 ボイルドエッグズ新人賞は、次回以降、内容を少しリニューアルして再スタートします。まだ見ぬ才能との出会いを、いまから心待ちにしています。

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