——ホッとした。
受賞の連絡を受けた時に、まっさきに浮かんだ感情です。自信過剰なやつだと思われますか?
——まだ生きることを許された気がした。
二番目に浮かんだ感情です。大げさな表現だと思われますか?
少し説明させてください。小説を書く人にとって、そのきっかけは様々あるとは思いますが、僕の場合は、もう文章を書く以外にできることがない、というものでした。
数年前まで漫画家として活動してきました。主に石岡ショウエイというペンネームで、週刊少年ジャンプで連載していたこともあります。
しかし年中無休24時間フルタイムの頭痛と強烈な倦怠感により、絵を描く姿勢を長時間保つことが困難となりました。それどころか、ただ身体を起こしていることすらつらく、一日中ベッドで横になって過ごす日も多々あるようになりました。
後にその原因は脳の血流障害から起こる諸症状であろうということが分かるのですが、原因は分かっても、対処法はいまだに見つかっていません。
僕は目が覚めてから寝るまで、すべての時間を仕事に費やしても本望な人間なのですが、漫画に限らず労働といえるものがほとんどできなくなり、この世に存在していること自体にも大きな苦痛、罪悪感を覚えるようになりました。
そんな中、キーボードを打つだけならどんな姿勢ででも可能、と思い文章を書き始めたのです。今この文面も、ベッドでうつぶせになって書いています。小説の神様がいるなら、なんとふざけたやつだと怒られてしまうかもしれません。
習作としての短編を一本経て、受賞作が初めての長編小説執筆でした。身体はぐったりしていても、指先だけはカタカタと休みなく文字を刻み続けてくれました。久々に味わった、生きている、という感覚でした。
さて、そんな僕が書いた小説は、生にしがみつく魂の叫び、といった重厚なテーマ性を持つものなのでしょうか?
いえいえ、僕は生来、とても陽気で能天気な性格です。読者が最初のページを開いてから最後のページに至るまでの間、登場人物たちと共にただただ楽しい時間を過ごしてほしいという思いで書きました。恋愛小説なので、切ないところもありますけど。
——人生捨てたもんじゃないのかも。
現在の気持ちです。今までに何度も捨てたような気になり、でもしばらくするとゴミ箱から拾い上げてしわくちゃになったそれを広げ、あきらめ悪くもがいて生きてきました。
はやくみなさんに届けたい。二人と一頭の、愉快で必死な二日間の恋物語です。