「期待するから裏切られる。期待しなければ悲しむこともない」
本作中の一節ですが、これはまさに自分に向けられた言葉であります。
私は裏切り続けました。そしていつしか誰もかまってくれなくなりました。
思い返すと妥協と逃避と言い訳の人生でした。学生時代から自分の才能を自ら誇大広告し、ちっぽけな井の中でふんぞり返る酔いどれ蛙でした。
どこぞの宗教家よろしく、壮大なロマンを自信満々に語る姿は魅力的に映るものです。実際に私の創作物を褒めそやし、その将来に期待をかけてくれた人もいたのです。
しかし、私には努力と覚悟が足りませんでした。本気の努力を才能の欠如と言い訳し、周囲を裏切り続けました。覚悟の決断に伴う責任が生じるのを恐れていたのです。
そうして歳月を経るごとに私の周りから人はいなくなり、気がつくと私の生息する狭小な井は居心地のいい個室へと変わっていました。
「お願いだから、また小説を書いてよ」
ある女性は宮沢賢治の「告別」という詩を置き手紙に、他の男性の手をとりました。
「あなたの作品には念がこもっていない。薄っぺらいのよ」
ある女性は私に真顔で訴え続けました。
時を違えたどちらの瞬間も、
「なーに、言ってやがんだ! オレが本気を出せばゴニョゴニョゴニョ」
と僕は一人、泣きながら強がっていたものです。
そうこうするうちに、いつの間にか結婚し、赤ん坊が腕の中で寝息をたてていました。すべては我が妻が半ば強引に進めてくれたおかげです。きっと妻は私の操縦法を把握してくれていたのだと思います。
妻のハンドリングはどんピシャリでした。自分と同じ顔した息子を抱いた時、私は本気になりました。あ〜、そりゃあ本気になりました。
「決断に伴う責任? ドンと来いやー!」
と思えるほどに。
それから「オレは小説家になる!」とあらゆる集まりで宣言したものの、道は遠く険しく、応募を繰り返しはするものの連敗街道を突き進みました。
いつしか私は「ミスター・理想論」「オンリーマウス(口だけ)」「嘘吐きクソ野郎」「ビデオデッキ大橋」などと陰口を叩かれるようになりました。
今までの私なら、
「なーに、言ってやがんだ! 結局、審査員なんてゴニョゴニョゴニョ」
と泣きながら逃げ出していたところですが、我が妻は時には叱咤し、時には激励し、うまく私を操ってくれました。
その結果、突然の受賞の知らせとあいなるわけです。実のところ、壮大なドッキリ企画ではないかとの疑念が拭えないのも確かです。それほどありがたく、信じがたいことなんですよ。まさかオレが受賞できるなんて!
かくして、こんな私もようやくスタートラインに立てました。飽きもせず、私に期待し続けてくれたごく少数の方々、すでに見限って忘却の彼方へ押しやってくれた大多数の方々へ、じらしたお詫びというわけではありませんが、本作を捧げたいと思います。