卒業論文を書かねばならなかった。就職活動も差し迫っていた。
卒論といえば大学の卒業に必須の論文であり、就活といえば今後真っ当な人生を歩むためには避けて通れぬ人生の一大イベントである。しかしながら論文は遅々として進まず、会社説明会へ向かう足取りも重い。重いから、最初から向かわない。
「お前、就活もしないでどうすんの。あと、卒論進んでる?」
母を筆頭にさんざん言われ続け、それでも動く気配のない私を見て家族はついに何も言わなくなった。どんなに願っても、モラトリアム的時間はいつか尽きてしまう。海水のように無限に見えたモラトリアムは、飲み干してみればコップ一杯の水だったのだ。
そうして私は強く思った。
「……どうしよう」と。
言っておくが、家族より私の方が私の身を心配している自負はある。しかし何もしない。
そんな愚図の頭に日々降り積もる焦燥感。
「マズイマズイ、人生がマズイ」
ここ数か月、毎朝起きて最初に唱える呪文がこれだった。具体的に何がマズイのかわからないが、このままでは何かしらマズイことになるぞという雰囲気だけは人一倍敏感に感じ取っていたのである。感じ取りつつ、やれ銀行だ、やれ出版社だ、やれJRだなどと、いと恐ろしげなる就活ワードが飛び交う季節を、蚕のようなおとなしさで静観し続けた。
そんなマズイ生活の一方、不思議なもので、脳内の妄想世界だけはMicrosoft Word 2010の中で着々と進行していった。
誰に読ませるわけでもないのに、キーボードを叩く指の動きも軽やかに夜な夜な妙な物語が膨らんでいく。卒論は一ミリも膨らまない。
そうして莫大な犠牲の上に完成したお話たちのうちのひとつを、ボイルドエッグズ新人賞なるものに応募した。
その後も「マズイマズイ、人生がマズイ」を合言葉に、何を血迷ったか引き続き焦燥感の矛先を卒論、就活に向けず、小説の執筆に向け続けた。そんな現実逃避をはたらいて、まったくどうするつもりだったのか。
その現実逃避の果てに舞い込んできたのが、今回の受賞の知らせである。
私は喜び、家族も喜び、友人もお世辞程度に「あらま、めでたい」と言い、とある知人は「詐欺じゃないの?」と失礼かつ不吉なことを言った。
無論詐欺ではなかったから、今この原稿を書いている。
人間、血迷っているときには何が起こるかわからない。
就活もせずに小説ばかり書いていた私を、半ば諦め、放置し、そっと見守ってくれた家族に感謝感謝である。
しかし「マズイマズイ、人生がマズイ」という状況はいまもって変わらない。襲いかかる留年の二文字。さて、どうしたものか。
ともあれ物書きとしてのスタートラインに立たせていただいたことは、うれしいことに違いない。
このラインから一歩でも前進できるよう、精進あるのみである。
このたびは、素晴らしい賞を与えてくださったボイルドエッグズさんに、心より感謝を申し上げます。