ウィークリー体験エッセイ
2月17日月曜日

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我は人間に其存在の意義を教へむとす。 即ちそ
は超人なり、人間の黒き雲より來る電光なり。
『ツァラトゥストラ』
(フリイドリッヒ・ニイチェ/生田長江訳/新潮社)

 
 
第2話:輝ける明日へ
 
 
 
 

 すでに書き終えた原稿を何度も読み返し、輝ける明日への糧とするのが私の日課である。
 モーニングコーヒーを飲みつつ、私は脳内彼女に命令した。
「超人計画・第1話を最初から朗読してくれませんか」
 彼女はコクリとうなずき、私の肩越しに十九インチディスプレイを覗き込んだ。
「えー、ごほんごほん。『前回のエッセイ執筆で知恵熱を出した私(わたくし)は、あえなくダウンし寝込んでしまった。三十八度の高熱だった。どうやら流行のインフルエンザらしい』……」
 このようにして、彼女の声でエッセイを読み上げることにより、自分の原稿を客観的な目で再認識できるのだ。
 私はより立派な人間となるため、妥協を許さない苛烈な自己批判を始めた。
「人間彼女を作るためにニーチェを持ち出すなんて、ちょっと大げさすぎたかな?」
「なんだか全体的にウスラ寒くて気味が悪いわ」
「惨めさを売り物にして、読者の気を惹こうとしてるのも気にくわないね」
「そうよ、これからはもっと堂々と、立派な大人の洒脱なエッセイを書かなくちゃ」
 ……むろん。
 私は彼女に重々しくうなずいてみせた。
 すでに自己卑下の時代は終結したのである。だいたいにおいて、『俺はダメだダメだ』などという独り言ほどイヤらしいものはない。そのような自己卑下文を全世界に向け公開しようとする心性の陰には、世の価値を密かに転倒しようと試みる後ろ暗いルサンチマンが常に潜んでいる。つまり前回のエッセイにも、『ダメな俺こそ偉い』『恋愛経験ゼロの俺こそ尊い』『深刻な悩みに打ちのめされている俺こそが立派』などという

弱者の主張

が、筆者も知らぬうちに多々紛れ込んでいたのである。
 ――あぁまったく、ルサンチマンを打破しようとする運動そのものが、ルサンチマン発生源と化してしまうとは、人間精神の救いがたき虚弱さよ。
 そもそも今の私には、自分を卑下する要因など、もはや何一つとして残されていないではないか。
 事実、私は二十四年間ずっと人間彼女がいない。大学も中退し、将来も不安である。だがそれらのネガティブ要素など、この不況の新世紀においては、何ら目新しくも物珍しくもない。リストラされたオジサンの苦悩に比べれば、私のちっぽけな悩みなど、存在しないも同じである。
 そして――ああ、確かに私は背が低い。少年ジャンプに乗っている『身長のばし機』の広告を見るたびに、暗鬱とした気分になる。だが神奈川クリニックに駆け込もうかと迷っている少年の葛藤に比べれば、そんな私の劣等感など無に等しい。また、無職に等しい自堕落生活を送っている私ではあるが、代々木のクリエイター養成学校に通っている若者に比べれば、私の人生設計は石橋のごとく堅実である。
 ――おお、このようにして世の人々と私の立ち位置を比較してみたならば、まさに私こそが強者であるという事実がたちどころにして判明したではないか。そう、もはや私には、なんの負い目も劣等感も存在しない。運動会に出る必要もないので、皆から「死ねブタ!」とバカにされる可能性もない。音楽の時間もないので、皆の前で顔を赤らめ歌う必要もない。あの悪夢のような中学時代は、すでに遠くに過ぎ去った。私は立派に成長し、いまでは爽やかな好青年だ。角川の新年会にも出た。偉い人と名刺交換もした。もちろんスーツも持っている。まさに見事な企業戦士である。完璧である。私は彼女の手を取り叫んだ。

「なんだ俺って結構イケてるじゃん!」

「……そ、そうね滝本さん」
「よし、これからは明るいエッセイばかりを書くぞ! そして明日にも彼女をゲットするぞ! なんだか勇気が出てきたよ。出会い系サイトからのメールを待つまでもない、いますぐ渋谷に飛び出したい気分だよ。アマゾンで『モテる技術』って本も注文したし、君とのシャドー恋愛で実力もつけたし、もう準備は万全だよ!」
「……知ってるかしら滝本さん。人間彼女と恋愛するには、実際に『出会い』をしなくてはいけないのよ」
「はぁ? 何をイマサラ当たり前のことを」
「出会うということは、およそ一メートルぐらいの距離で、互いの容姿をマジマジと検分しあうことを意味するのよ」
「だ、大丈夫さ。このまえお母さんが買ってくれた暖かいセーターを着ていけば、ファッションもバッチリ完璧――」
「ここ数カ月、自分の顔を鏡で十秒以上、しっかり眺めてみたことがある?」
「ない」
 脳内彼女は私の手を引っ張って、洗面所に連れて行った。

    *

 そうして数刻が経過したのち――
 ふいに洗面所の奥から、獣のごとき雄叫びが轟いてきた。
 それはひとりの男の、なりふり構わぬ魂の絶叫であった。
「エリ・エリ・レマ・サバクタニ!(カミよ、カミよ、なんぞ我を見棄てたまうや!)」

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