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三年ほど前のことである。
私はエロゲーのシナリオを、部屋に籠もって執筆していた。金になるのかならぬのか、全くもって定かではない、最後まで書き上げられるのかも疑わしい原稿に、私はひたすらのめり込んでいた。(結局、私自身の無能と怠惰が原因で、そのシナリオはゴミ箱行きとなった)
しかしともかくそのひととき、私は全身全霊を持ってして、脇目もふらずエロゲーシナリオ執筆に励んでいた。古今東西の物語ヒロインを類型分析し、エロゲーシーンの趨勢を分析し、これが御家庭に一本あれば、もう他のゲームも小説もマンガもアニメもまったく購入する必要が無いという『完全エロゲー』『神のエロゲー』を作るため、かなり真面目に頑張った。
知恵もなく経験もない若造が究極で完璧なエロゲーシナリオを書き上げようとするその見通しの無さ、まったくもって思慮が足りないその行動、己の実力を知らないバカ男の無能な現実逃避と、いまでは鼻で笑うしかない。だが当時の私は、あまりに愚かな若者であった。ハードディスクの肥やしにもならないゲームシナリオを、リポビタンDをがぶ飲みしながら書きまくった。
視野が狭くなっていたのだろう。あのとき私の世界は、
エロゲー一色
に覆われていた。エディタの中に精神がとけ込んでいく感覚、文字と自分が混ざる感覚、そして自動的に構築されていくプロットと、そのプロットを文字にするだけで自動的にシナリオが完成していく夢のようなライターズハイ――もはや手本のフランス書院文庫は無用であった。ただ私は私の意志の赴くまま、自由にガチガチとキーボードを叩いた。昼もなく夜もなく、顔に満面の薄ら笑いを浮かべ、一日十六時間シナリオを書き、夢の中でもエロゲーで遊んだ。
重い食事を取ると思考が鈍るので、仕事中はチョコレートとコーヒーで血糖値を保ち、寝る前に一食だけ、コンビニ弁当を食べた。体重はどんどん減ったが、それにともない思考はますますヒートアップしていった。もはやシナリオの主人公と、それを書いた自分自身の区別さえもおぼつかない有様であった。主人公が苦しむたびに私も泣き、主人公が喜ぶたびに、私も部屋でひとり踊った。
……むろん、これほどまでに頭のネジが緩んでしまうと、どんな創作活動もおしまいである。客観性を失った人間が描くシナリオなど、産業廃棄物として裏山に埋めるしかない。
だが繰り返すが、あのとき私は愚かな若造だった。脳内麻薬の生み出す高揚感に溺れ、「エロゲーの神が降臨した!」などという頭の悪い勘違いに捕らわれてしまった。この天佑を逃してはならないとばかりに、私はさらなる食事制限を自らに課した。風呂トイレ掃除洗濯などという些末事項は、すべて行動リストの最下位に置いた。このような腐敗暗黒生活を半年ほども続けているうちに、とうとう一人目のヒロインのシナリオが完成した。
私は意気揚々と高校時代の友人宅に赴いた。
久しぶりに人間と会話してみようと思ったのである。
だが――
私の顔を見るなり、友人は言った。
「抗ガン剤でも飲んでるの?」
そしてつい先日のことである。実家の母から電話がかかってきた。
「もしもし竜彦? このまえ新聞に載ってた頭にふりかける黒い粉を買ってみたんだけど、これから宅急便で送るわね。人前に出る日は、ちゃんと頭にふりかけるのよ」
「…………」
そう――もはやこれ以上、隠し通すのは不可能らしかった。
いや、全国におよそ二十人いると噂されている私のファンならば、すでにとっくにお気づきのことだろう。
すなわち――
『現存するすべてのインタビュー写真において、滝本竜彦は帽子を目深にかぶっている』
という事実を、懸命なる読者の皆様は、先刻承知のことだろう。
すでに三年前から、私の頭髪はかなりやばいことになっていた。エロゲーシナリオ執筆における不摂生が、最初のトリガーだった。わずか半年で人相が変わるほど毛が抜けた。まだヘアスタイルでごまかせないこともなかったが、いまにも地肌が透けて見えそうなぐらいであった。
そうこうするうちに最初の小説が出版されてしまった。何度か雑誌のインタビューを受けた。私は念には念を入れ、すべての写真撮影を帽子着用でやりすごした。女性ファンからの求愛メールが来なくなるといけない、ビジュアルは大事だった。だが決して希望を捨てたわけではなかった。陰でしっかり育毛に励めば、いずれ帽子を脱げる日も来るに違いないと思っていた。素晴らしい医薬品も多々開発されている。抜け毛の原因となる男性ホルモンを抑制するミノキシジル、そしてファイナステライド、これらの薬物をぺたぺたと塗り、そして飲み、つねに頭皮を清潔に保って、毎日三食、栄養のある食事を食べたのならば、一年もしないうちに再発毛するだろうとタカをくくっていた。
しかし鏡を見るのはイヤだった。マジマジと自分の頭を直視した瞬間、お腹が痛くなって、死にたくなって、それで結局ストレスが積み重なって、毛が抜ける――だから決して、己の姿を客観視してはいけなかった。己がハゲであることを忘却せねばならなかった。どうせひきこもり人間は、滅多なことでは人前に姿を現さないのだ。アパートに籠もっている限り、私はハゲであってハゲではない。年に数回の写真撮影だって、帽子をかぶれば誤魔化せる――
だがいま、再び、人間彼女を作るため、数カ月ぶりに鏡をとっくりと覗き込んでみれば、おお、なんということか……いつのまにこれほど……
おお……いま鏡の向こうに存在する二十四歳男子の頭は、ものの見事に、致命的に、修復不可能なほどに……おお、おお、神も仏も存在しないのか……こ、これは、酷い……そんな、まさか……こんな、こんな……
*
「こんなのってないよ! 彼女いないひきこもりハゲなんて、ヘレン・ケラーばりの三重苦じゃないか! こんな頭じゃ一生彼女ができないじゃないか!」私は地団駄を踏み、洗面所で絶叫した。
「落ち着いて滝本さん。ハゲにも人権はあるわ!」
「き、気休めを言うのはやめろ! これからみんなが俺のことをバカにする。ハゲひきこもり、彼女いないハゲ、ハゲ二十四歳、ネタ切れ小説家ハゲ、生きてる価値無いハゲ、長男ハゲ、田舎出身ハゲ、コンビニで店員にドモるハゲ、この年になってネットでエロ画像を集めるハゲ、海外からクスリを個人輸入したのになんの効果も現れなかったハゲ、友達の少ないハゲ、惨めなハゲ、足の遅いハゲ、音痴なハゲ、くだらないエッセイを書くハゲ、恥知らずなハゲ、よくもまぁそのナリでいけしゃあしゃあと人前に出るハゲ、お前はもう死ぬまで部屋に籠もってろこのハゲ、お前はもうおしまいだこのハゲ、いますぐ死ねこのハゲ等々と、みんなが俺をバカにして――」
だが彼女は、洗面所の床に崩れ落ちていた私の胸ぐらを掴みあげ、平手で頬を打った。
「バカっ! そんな滝本さん、私の滝本さんじゃないわ! あなたは何様のつもり? たかが毛が抜けたぐらいで、ヤケになるのはおやめなさい! 頭がスカスカだからって、それがどうしたというの? ワンスアポン・ア・タイム・イン・チャイナのリー・リンチェイをご覧なさい。頭を剃ってるのに、あんなに強くて格好良いでしょう? なのにあなたはハゲごときで、人生をゴミに出すつもり? 二人で超人ロードを歩こうよねって、この前一緒に決意したばかりなのに、その約束を、あなたは破るの?」
「……き、君にはわからないんだ。毛の少ない男の気持ちなんて、君にはわかりっこないんだ!」
「ええそうよ、わかるわけないわ! あなたの気持ちなんて、私には一生わからない! ……でも、それでも!」彼女は涙をぬぐうと、渾身の力で私を抱きしめた。
「あなたを愛しているという私の気持ちは本当よ! ……だからお願い、立ち直って。いつもの滝本さんに戻って!」
「レ、レイ……」
「滝本さん……」
こうして二人は堅く抱き合った。
愛であった。
愛ではあったが……しかし、しかし、現実問題、このままだと二度と人前に姿を晒せないという事実にはなんの変化もなく……
「いいえ大丈夫。ハゲ問題に限ってだけ、ルサンチマンの解放を許可するわ」
彼女はニッコリ微笑んだ。
「ハゲというマイナスの価値を、あなたの怨念パワーによって、プラスの価値に転換するのよ。妬み嫉みはあなたの得意技じゃない! あなたには出来るわ、ほら頑張って!」
「……そ、それは要するにこういう事かな? 『人生について真摯に思い悩んでいるからこそ俺はハゲたのであって、ハゲてない男は全員、もうどうしようもないノータリンか、あるいはとっくにカツラをかぶってるに違いない』なんていう独り言を、朝から晩までブツブツひとりで呟くってことかな?」
「そうよ、それでいいのよ! ほらわかるでしょう滝本さん、あいつらみたいなフサフサ男は、みんなクズでろくでなしよ! 女にモテるチャラチャラしてるヤツらもみんな、髪を茶色に染めて、長くサラサラ伸ばしてるじゃない。ああいった長髪男はみんな全員、どうしようもないダメ人間よ! 来世はムシケラよ! その点、滝本さんみたいな頭の薄い人は、見るからに理知的で、哲学的で、かなり格好がよく見えるわ! 見る目のある女の人なら全員、頭皮が透けて見える滝本さんの勇姿にメロメロよ!」
「……そ、そうかな?」
「あの知の巨人、フーコーだってハゲじゃない。一休さんも後白河法皇も瀬戸内寂聴も、松山千春もマイケル・ジョーダンも、ビスマルクもレーニンもネオナチも、みんな全員ハゲじゃない!」
「……そ、そうか! 偉大な人間にもハゲが沢山いるんだね!」
「いいえ違うわ! ハゲだからこそ偉大な人間なのよ。K−1選手の大半はハゲよ。もっとも「超人」に近い男と呼ばれているボブ・サップ選手もハゲよ。むしろハゲでなければ「超人」にはなれないのよ。――だからホラ、
楽天市場に注文したハゲアイテム
が、代金引換で届いたわ。ナショナルが誇る家庭用電動バリカン・スキカルを使って、さらなるハゲ道を歩みなさい」
「あ、ありがとう。さっそく風呂場で使ってみるよ。ええと……ムラにならないように前後左右に動かして、くまなく髪を刈り上げて……」
「それが終わったら、世界最高水準の切れ味を誇るジレットマッハシンスリーを使いなさい。千円もする高級カミソリで、頭をゾリゾリしてみなさい。おっと、剃る前にシェービングジェルをたっぷり塗りつけるのを忘れないでね。でないと頭が血みどろになるわ」
「わかったよ。気をつけて剃るよ」
「剃った者勝ちなのよ。完全にハゲる前に剃るのよ。剃ることによって、あなたはハゲからスキンヘッドに生まれ変わるのよ! ――だからリピート・アフター・ミー、ああハゲは美しい!」
「……ああハゲは美しい」
「スキンヘッド・イズ・ビューティフル!」
「す、スキンヘッド・イズ・ビューティフル!」
おおハゲ祭りが始まったぞ。スキンヘッドカーニバルが始まったぞ。みなさまの耳にも届くでしょうか、この全世界より木霊するハゲ賛美のシュプレヒコール、つるつる頭万歳の唱和、坊主もネオナチも疲れたサラリーマンも輪になって、みんなが叫ぶスキンヘッドコール――
「剃れ、剃るんだぁ!」
「今だやったれ、お前は男だ、そりあげろ!」
そうだ祭りだ祭りだカーニバルだ! 御神酒をぶっかけろ! カミソリで煩悩を裁ち切り歌え! このハゲ賛美の歌声、天にも届け! そして己の運命を受け入れハゲと共に生きろ! ハゲを肯定し「超人」へと至れ!
おお見よ、「超人」の到来は近いぞ!

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……もうやけくそです。
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