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これまで原稿用紙百枚に渡って痛々しいエッセイを書き綴ってきた私であるが、皆にバカにされることに快感を覚え始めたわけではない。
いかんともしがたい劣等感を消し去るためには、己の恥を衆目に晒す必要があったのである。
事実、『ハゲ』『ED』等々の恥を全世界に向けてカミングアウトした私は、もう誰になんと罵られようとも怖くない。いまも耳を澄ませば『キモい』『恥さらし』『死ね』等々の罵倒がどこからともなく聞こえてくるが、私はぜんぜん物怖じしない。
おお、なんという清々しさだろう、この自由闊達な我が精神!
もはやスッカリ「超人」一歩手前である。すでに私は78パーセントぐらい「超人」である。
だから徹夜でTVゲームに興じるのはもうやめて、そろそろアクションを起こしてみよう。
人間彼女作成に向けて、大きく足を踏み出してみよう。
「…………」
で、でも、このまま渋谷に繰り出したところで、結局途中で意気地が無くなって、マンガ喫茶に逃げ込むであろうことは目に見えているので、まずは地道なトレーニングで自信をつける必要がある。
たとえば私は数年前、長編小説を書き出す下準備として、ノートに日記をつけ始めた。日にわずか千字ほどの文章を書くことから事業を始めることにした。恋愛もそれと同じである。いきなり本番に立ち向かっていくのはあまりに無謀だ。急がば回れという諺もあるではないか。
日記から短編、そして最後に長編へと徐々にレベルアップしていった小説執筆作業のように、やはり恋愛も、最初は簡単なところから手をつけるべきなのである。人間以外の易しい相手からスタートするべきなのである。
だが、『人間以外の恋愛相手』とは、はたして――?
「…………」
私は腕を組んでモヤモヤとする頭を捻った。
しばしの沈思黙考ののち、二日徹夜の空転する脳が、ついに素晴らしい答えをはじき出した。
そう――まずは
無機物恋愛
だ!
鉄棒で逆上がりができない男に大車輪は不可能なように、無機物と交流できずして有機物と仲良くなることは叶わないのだ! このあまりにも自明な真理、どうしていままで気が付かなかったんだろう――?
「…………」
私はさっそく近所の公園に赴き、砂場に腰を下ろして瞑想を始めた。
公園中央部に存在するキリンをかたどった遊具を見つめ、座禅を組んで、腹式呼吸をした。
「いーち、にーい」と呼吸を数え、意識の働きを徐々に停止させてゆく。
禅定が深まれば、いずれプラスチック製のキリンオブジェとも心通じ合わせることが可能になるはずだった。主体と客体の合間に存在している乗り越えがたい障壁を、禅のパワーで突破して、アートマンはすなわちブラフマンであると悟ったならば、そのとき私は恋愛覚者となり、誰とでも心ふれあえる驚異のモテモテ人間になれるはずだった。
「…………」
しかし……やはり私はあまりに恋愛下手なのかもしれない。何時間公園でぼおっとしていても、一向にキリンの声は聞こえて来ない。だんだん眠くなってきた。しまいには「何を俺はくだらないことを」「いくらエッセイのネタといえ」「実家の父母がこの文章を読んだらどう思うか」などと、何ともいえない侘びしい想念が浮かんできた。
すでに時刻も深夜零時を回り、冷たい風に、木々が静かに揺れている。
座禅を組み半眼でキリンを見据える私の前を、ふいに野良猫が横切っていった。遙か彼方からは、暴走族の喧噪なども聞こえてきて――
「……うぅ」
寒い。
色々な意味でサムかった。
あまりに寒いが……しかし「あぁもうダメだ、これ以上こんなバカバカしいことはやってられない」と、座禅をほどいて立ち上がりかけたそのときである。
「――!」
ひときわ強い夜風が吹き、公園中の木々が一斉にその枝を揺らした。
徹夜と瞑想で心身共に疲れ切っていた私は、ふいに強力なデジャヴに捕らわれた。
あぁ――そうだった。
いつかの夜にも、私はキリンと向き合っていた。
夜風の冷たい夜――眩しいほどの月の夜――
あの夜、大学三年の私は、いつにもまして、錯乱していた。
*
つまり私は煮詰まっていた。
学校に行くのも面倒だし、かといって他にやるべきこともないし、ただ寝て起きてまた寝るだけの生活を延々繰り返していた学生時代、当時の私はこれ以上ないくらいに煮詰まっていた。
そうしてついつい私は、「もしかしたらこの
菌糸植物の強力パワー
で、立派な悟りを開けるかも。そしたら学校に行くだけの元気が沸いてくるかも」などという甘い考えに取り付かれ、当時ちまたで大流行していた『マジックマッシュルーム栽培キット』を、ネットで手軽に注文してしまった。
まもなく代引きで小包が届いたので、説明書通りに、ペットボトルに腐葉土を敷き詰め、穀物培地をセットし、アルミホイルで蓋をして、冷暗所に収納した。
そしたらわずか一週間たらずで、可愛らしいキノコが顔を出した。ワクワクドキドキと心が震え、『悟りを開いて真人間になろう!』という当初の目的を、私はあっさり忘却した。
そもそも私は幼少時より、抗精神薬物に強い興味を持っていた。
――ドラえもんの秘密道具に『ヘソリンガス』というものがある。ヘソにプシュッと注入するだけで、この世のものとは思えない超絶的な快楽を味わうことが出来るという、実に素晴らしい秘密道具である。あろうことかドラえもんは、このガスを使って近隣の小学生数百人を薬物中毒に仕立て上げる。のび太もスネ夫も、このドラッグなしでは生きていけない体にされてしまう。静香ちゃんなどはドラッグほしさに、男子にスカートをめくって見せるようになる。
しかしドラッグに溺れる彼らの表情は、どこまでも気分が良さそうで幸せそうで、小学生だった私は『よし僕も大きくなったら悪い薬を使って良い気分になるぞ!』と、強い決意を固めた。そんな小さいころの夢が、齢二十にしてついに叶うのだ。こんなに嬉しいことはない。
私は完全に学校のことを忘れ、朝から晩までキノコの成長を見守った。「大きくなれよ」と声をかけ、キノコの精霊に祈りを捧げた。その願いが聞き届けられたのか、数週間で見事な食べ頃キノコが完成した。私はペットボトルを開け、二十センチほども伸びたキノコをカッターナイフでスパスパと収穫し、細かく切り刻んでカップスープに投入して、そのまま温かいうちに美味しくいただいた。
自家製生キノコは強烈だった。わずか十分ほどで知覚が完璧に変化した。視覚のゆがみと共に、シニフィエとシニフィアンの繋がり、その恣意性、無底性が暴露された。
人は言葉によって、存在をカテゴライズする生き物である。たとえば椅子は『椅子』であり、机は『机』であるというように――
だが物と言葉の繋がりを、エンセオジェン、すなわちサイケデリクスの効用で断ち切ったならば、そのとき人は、赤子の目、詩人の目で世界を見る。
机から『机』という言葉がはぎ取られたとき、そこにあるのは、もはや机ではない。
それは『存在』である。もはやそれは、存在としか呼びようのないものである。そしてすべての存在は等しく美しい。ただそこにあるだけで、すべては一様に美しい。
さあ元気に腕を振って夜の公園に出てみたならば、まさしくそこは息をのむファンタジックワールドで、あぁなんという美か、なんという芸術か――気が付けば私の目の前に、坂口安吾の言う『芸術のふるさと』、中原中也言うところの『名辞以前の世界』が広がっていた。
あの空にぐんぐん伸びていく木が生命力に満ちあふれていて、公園の真ん中の青白い街灯が、みんなをキラキラ輝かせていて、風が吹くたびざわめき笑う木々とキリンのオブジェが私に微笑み、軽やかな声で優しく小さくささやきかけるのだ。
「滝本君、君、最近どう?」
「ぼ、ぼちぼちやってるよ」
「疲れたらここにおいでよ。私たちみなで待ってるから」
キリンがにこっと微笑んだ。ディズニーチックな造形のキリンさんは、睫毛の長い女性であった。私はこれ以上ないくらいの笑みを浮かべて彼女にまたがり、本格的なサイケワールドに旅だった。それは素晴らしい経験だった。私は地上に天国を見た。
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