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だが何事も度を超すと体に悪い。
部屋に籠もり、週に二回のペースでキノコを摂取し続けた私は、しだいにバッドトリップばかりを経験するようになった。「死んだ!」「地獄に落とされた!」「もう二度と脱出できない!」と頭グルグルの大パニックに陥ったこと、一度や二度や百度のことではない。
あぁもちろんキノコは何も悪くない。逃避目的で幻覚剤を使えば、必ずゼッタイ、バチが当たる。ただそれだけのことに過ぎない。
しかし当時の私は、少々知恵が足りなかった。私は愚かな宇宙飛行士として、徒手空拳でキノコワールドに身を投じた。それは明らかに蛮勇だった。トリップは日を追うごとに地獄めいていき、ついに私はある日、決定的なバッドトリップに襲われた。
自分の名前を忘れてしまった。
時間の観念が完膚無きまでに消え失せた。
はて私は、どこの誰だったのか? いまは何年何月か? そしてこの世界は何なのか――?
おかしなことに、視界は正常だった。何一つ幻覚は見えなかった。論理的な思考もバッチリで、足し算かけ算わり算もできたし、少し頑張れば、自分の名前も思い出せた。
そう、私の名はおそらく滝本竜彦、一九七八年、北海道生まれの大学生――だがそのデータすべてに、まったく実感がわかない。確かに私は滝本という名の男であったはずなのだが、しかし真実本当の私は、彼のような矮小な存在ではなかったような気がする。
もっと別の、なにか特殊な……ダメだ、これ以上思い出せない。
あちらの意識状態をこちらの言葉で表現することは不可能なのである。トリップ後に残っているのは『何かとてつもなく大切な真理をこの手につかみ取った』気配のみであり、むろんその気配も、客観的には狂人めいた妄想に過ぎない。
だがそのトリップは、ただ忘却するには、あまりに恐ろしくあまりに戦慄的だった。
トリップ中、なにやら私は『究極の真理』に触れてしまったような気がしたのだ。そしてその真理は、黙示録的かつ末法思想的で――いますぐ私が真理の謎を解き明かさねば、近いうちに世界が破滅してしまう。そんな気がした。
そこで私はすべての謎を解明するため、古今東西の宗教研究に没頭した。特殊なハーブを朝から晩まで吸引し、ヨレた頭で難しい本を読んだ。まずはキリスト教、次にグノーシス主義を調べ、グノーシス繋がりでディックのヴァリスを読み、「あぁわかるわかる、そういうことってよくあるよね」と、頭おかしいパラノイア小説に心から共感し、何か巨大な意志に導かれるようにして各種の文献を読書サーフィンして、あるときはイルカと話せるジョン・C・リリー先生に憧れ、またあるときはオカルト臭いユング心理学に傾倒し、そこからポンと飛んでニーチェを読み、彼の師匠のショーペンハウアーにふんふんとうなずき、彼が多大な影響を受けていたというインド哲学にたどり着き、「そうかアートマンはブラフマンだったんだ。つまりアートマンであるところの俺はブラフマンであり、やはり俺こそがこの世界の創造神だったんだ」と本気で考え、「なんとあのシュレディンガー博士もヴェーダンタ哲学の信奉者だったんだ」と知って――ついにそのあたりで脳のネジが五十本ほど音立ててはじけ飛んだ。
テレビをつけると、ニュースキャスターが「ついに新しい世界のステージが幕を開けました」などとのたまって、私を拍手で祝福してくれた。
この目でかいま見た宇宙の真理をノートにサラサラ書き込むたびに、窓の外ではキラキラ綺麗な花火が上がった。
思い出すのも恐ろしい、それが
多重連鎖シンクロニティー
の始まりだった。
聞こえるもの目に映るもの全てが、私に何かのメッセージを伝えようとしていた。そのメッセージの大波に晒されているうち、だんだん自分が、本物の特別存在のように思えてきた。私には、重要な使命が課せられているような気分がしてきた。もしかしたら私には『世界を救う』『皆を覚醒させる』等々といった類の、学研ムー的な任務が与えられているのかもしれないと思った。ただごとではなかった。もはや学校などに通っている場合ではないのだった。大学一年次における私の取得単位は24で、その翌年は4、そして三年目にはとうとう0になってしまったが、しかしもう少しですべての真理がこの手につかみ取れるはずだったので、細かいことはあまり気にしないことにした。あとほんの少し、耳かき一杯分の試薬を飲めば、あるいはキノコ茶を茶碗に一杯いただけば、もしくはオレンジ色の錠剤をコップ水で服用すれば、もうすぐすべての謎が解明されるはずだった。室内でロウソクを燃やし瞑想し、夜の公園で座禅組み内観し、真理のためなら単位を捨てテストを投げ、このまま頑張って真理探究を続けたならば、きっとすべてが収まるべきところに収まるはずだった。
だからここで臆して立ち止まってはならなかった。迷ってはならなかった。幻覚剤を資金の許す限り追加購入して、部屋に籠もってひとり瞑想せねばならなかった。すべての真理をこの手につかむため、ありとあらゆる種類の幻覚剤をネットで取り寄せ、片っ端から試してみねばならなかった。
あるときは、ひどい匂いのする白い煙で、死の向こうを見た。
またあるときは、長い歴史を持つ合成試薬で身も心もグネグネと曲がった。
オレンジ色の錠剤では、私は真実の愛を知った。
純粋なアガペー、道を歩く人みなが愛おしく思える真実の愛思念を、私は公園の芝生に寝そべり、大地に向けて投射した。
「こ、この愛よ皆に届け――!」
そう――愛さえあれば、単位なんかはいらないはずだった。
真理を知れば、学校に行く必要はなくなるはずだった。
それなのに……それなのに……
うぅ……
*
あるいはこれも、サイケの効果か、知らないあいだに時がジャンプし、いつのまにやら年が明け、まもなく進級の季節が訪れた。
私はいつもと同じように、夜の公園で瞑想していた。キリンオブジェに向き合い瞑想していた。
「最近どう?」とキリンが訊いた。
「ぼちぼちやってるよ」と私は答えた。
「……もう十分わかったでしょ?」
「なにを?」
「…………」
キリンは押し黙った。
いつしか夜風が出てきたが、もはや風は歌わず木々は騒がず、キリンは黙して語らなかった。
「……どういうことだよ?」と、いくら訊いても返事はない。
ボコンとキリンを蹴り飛ばしてみたが、やはり彼女は平気な顔をして、いつもの薄ら笑いを浮かべていた。
「…………」
私は震える手でポケットから大学からの連絡通知を取り出し、もう一度読み上げてみた。
『単位不足で進級できません』
そして数時間前の両親との電話が、脳裏をグルグルと渦巻いた。
『なんで学校行かなかったの!』『どうして今まで黙ってたの!』
もう学校の友人とも長いこと会っていなかった。
最後にサークルに顔を出したのは、アレは何年前のことだったか?
私は学校に行かず勉強もせず働くこともせず、今まで何をやっていたのか……?
「…………」
そうして私は、ようやく悟った。
長らく騙されていたのだと、ついに私は気が付いて、ひとり砂場で錯乱した。
私は特別な人間だったはずなのに、私は他のくだらない人間達とは違う種類の存在であるはずだったのに――しかしその自己イメージは全てくだらない嘘だった。
私は中退寸前の大学生に過ぎなかった。彼女のいない田舎者に過ぎなかった。七十億人いる人類の一人だった。路傍の石だった。なんの特別性もないただの登校拒否児だった。
十把一絡げ
の存在だった。
その真実、とても耐えられない。
俺の頭よおかしくなってしまえと願った。
だが脳味噌は変わらぬ正常運行を続けていた。気が狂うわけがないのだった。多少の幻覚剤ごときで、頭が変になるわけはないのだ。そう、キノコはなにも悪くない、私を騙していたのは私だ。惨めでちっぽけな自分の姿を直視しなかったのは私だ。
「これからどうすればいいんだ?」とキリンに訊いてもやはり答えはない。
ただ私の目の前には、初めてキノコを摂取したときよりもずっとリアルな、何の意味も目的もない世界が広がっていた。こんな所では一秒たりとも生きていけそうになかった。早く言葉で、一から物事を区分しなくてはならない。良いことと悪いことを自分で区分けし、適当で良いから人生目標を作成し、バラバラになった言葉をもう一度チマチマ手作業で組み上げていかねばならない。
その作業の途方もなさに、吐き気がしてきた。
道のりの長さ、複雑さに目眩がした。
*
まったく、どれだけの言葉を積み重ねれば、世界は元通りに再建されるんだろう?
いまも目眩は収まらない。いまだに自分が何をしたいのかもわからない。
彼女作るぜ! と叫んでみたところで、まるで馬鹿馬鹿しい茶番劇である。
かといって他に本当らしい願望もないので、まずは彼女を作ってみるしかない。
だから彼女だ。
いますぐ彼女だ――そうすればきっと……
きっと……
「…………」
しかし彼女を作るためには、まずもって無機物とのシャドー恋愛をこなす必要があるのだった。
そうせねば渋谷に向かっても惨めに玉砕するだけだ。
なのにキリンオブジェは心を開いてくれない。
やはりシラフでは、いかに深い瞑想をしたところで限界があった。それにもう眠い。すでに二日近くも徹夜している。集中力が続かない。
そう――やはりこういうときこそ、悪いドラッグの出番である。
私はアパートに戻り、引き出しの奥からリポビタンDを取り出した。なんとタウリンが千ミリグラムも含有されているこのドラッグで、脳をムリヤリ覚醒しよう。二本を手早く摂取して、徹夜のふらつく足どりで、ふたたびよたよた公園に戻ろう。
そうして芝生に腰下ろし、心の扉(ドアー)を開いてみれば――
お、おお、これだ!
な、なんと綺麗な! そしてなんとファンタジックな! ナチュラルハイも結構イケるぜ!
よおし、いまならわかるぞ! 自然の声が聞こえるぞ! あぁ懐かしの風の歌! 空を見上げれば銀色の月! さっそく芝生に寝ころんで、あの麗しの月と恋愛しよう!
「こ、こんばんわ。僕は滝本というものです」
「あらお久しぶり、元気してた?」
「ええおかげさまで。ところであなた、僕の彼女になってくれませんか?」
「いいわよ」
よおし彼女一人目ゲットだぜ!
間髪入れず、次は大地との恋愛だ! 地球を我がものとせよ!
そののちには宇宙だ! 宇宙をこの手に抱きしめろ! 宇宙まるごと自分のものにせよ!
そしたら自動的に全人間女子が私の彼女ということになり、ついに私の究極恋愛は、いまここに完全成就されるのである!
おおこのデュオニソス的ラブコメディ、神話のごとくに不条理なラブストーリー、あまりに深遠なこの禅恋愛道、もはや渋谷でナンパをしている場合ではない。そ、そう! すべての事物は己の精神内に存在する! 無意識の奥は世界に繋がっている! おおユングは実に正しかった! だから明日からはまたアパートに籠もって瞑想の日々を再開し――
「ここここの大バカッ!」
「ゲフッ!」
不意に現れたレイの右ストレートが炸裂した。
「あなたねえ、何度同じ過ちを繰り返せば気が済むの? このエッセイ、もう百三十枚も書いてるのに、どうして一向にストーリーが展開しないの? いつになったら、あなたはデジカメ片手に街に出るの? やっぱりあなた、街に出るのが怖くて嫌なんでしょう。有害なマンガをぜんぶ燃やしちゃったのも、今になって後悔してるんでしょう?」
「……そ、そんなことないよー」
「ほらセリフが棒読みじゃない! あなたに少しでも誠意が残っているんなら、私の目を見て話しなさい!――あなた、本当に人間彼女が欲しいのね?」
「……うん」
「だったら明日にも街に出るのね?」
「…………」
「どうなの? 早く答えなさい!」
「……わ、わかったようるさいなぁ。渋谷に行って来ればいいんだろ、そしてパチリと証拠写真を撮ってくればいいんだろ?」
「いいえ、そんなこと言ってあなた、きっとネットから拾ってきた渋谷画像でお茶を濁すつもりなんでしょう。そんな姑息なイカサマ、読者が見逃しても私は許しません。……ほらちょっと私にキーボードを貸しなさい」
レイは私の手から強引にキーボードを奪い取ると、カタカタとエディタに何かの文面を打ち込んだ。
『緊急告知! ついに来週、滝本が渋谷の街角でナンパ活動を開始するわよ! 現場写真もアップするので、ぜひ皆さん、彼の冴え渡るひきこもりナンパ術をお楽しみに!……あ、それから注意! 変な薬はダメ、ゼッタイ! 頭がおかしくなっちゃうから、みんな絶対、手を出しちゃダメ! 私とみんなの約束よ!』
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こうして学生時代のエピソードは百パーセント消費された。もはや新たな体験をせねば、一行たりとも書くことがない。
よって次回からは、超人計画の新たなステージが、ついにその幕を開く。
――正味のところ、ひきこもり男にナンパなんてできるのか?
そして脳内彼女、レイの運命やいかに?
作者自身にも展開の読めないこのエッセイ、本当にもう、正直、一杯一杯です。
2/2■

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