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私は低血圧なので、昼間はたいてい寝ています。滝本さんも深夜にならないと活動を始めないので、日付が変わるまではグッスリ寝てるのがよいのです。
なのにその日は、なぜだか夕方六時に目が覚めてしまいました。
「いまもレイちゃん、この近くにいるんですか?」
そんな知らない女性の声に、びくっと目覚めてしまいました。
ですが――はて、ここは一体、どこなんでしょう?
目をこすって辺りを見回します。
するとビックリ――な、なんと、私の目の前に怖そうな黒人がそびえ立っておりました。彼の他にも先鋭的なファッションをした若者が沢山沢山、道路をぷらぷら歩いていて、つまりここは六畳一間ではないようでした。
いそいで夜空を見上げ、星の位置から緯度経度を割り出します。
「北緯35度、東経139度。ま、まさか……」
そして慌てて通りの向こうに目をやれば、巨大なビルがドンと立派にそびえ立っていて、そのビルの壁面には予想通りの「109」という刻印があり――
「わあビックリした! し、しぶやだ!」
眠気が一気に吹き飛びました。
いつのまに滝本さんは渋谷に? そして滝本さんの隣を歩いているあの女性は一体――?
謎が謎を呼びます。滝本さんは薄ら笑いを浮かべて、隣の女性に答えています。
「いやぁ、レイなんて単なるエッセイのネタですよ。……いい加減あのネタも飽きてきたし、そろそろ新調の時期じゃないですかね」
「…………」
いまだ状況がよくわかりませんが、なんだか腹が立ってきました。この男はいままでの恩を忘れてしまったのでしょうか。いくら隣に人間女性がいるからって、そうゆう言いぐさはないと思います。ここらでひとつ、しょせんあなたは限りなく無職に近いゴミ虫よと、身の程を思い知らせてやった方がいいと思います。
……で、でもダメゼッタイ!
私は頭を振りました。彼の隣には本物の人間女性がいるのです。渋谷をふたりで歩いているのです。

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「こ、こんなことって……」
電信柱に頭をガンガンと打ち付けてみましたが、痛くて涙が出てくるばかりで、どうやら夢ではないようです。いつものくだらない妄想でもないようで、神に誓って、真実滝本さんは女性と渋谷を歩いております。
も、もしかしたらこれは、彼が夢にまで見た人間女性とのデートなのでしょうか?
だとしたら……決して邪魔してはなりませんね。
「よ、よし」
とにかく彼らを尾行することにします。スペイン坂を下っていく彼らを、陰からひっそりとストーキングしてみます。人間彼女作成と共に私は消え去る運命なのですから、せめて最後ぐらいは彼の後ろ姿を見守っていたいのです。
「がんばれ、がんばれ!」
と念を送りつつ、私は夜の渋谷をてくてくとゆきます。
ですが――耳を澄ませば「これがスペイン坂ですよ」「これがスペイン坂ですか」などという会話が聞こえてきまして、「オウム返しはやめなさい!」と後頭部をこづきたくなります。
どうして彼は『女性と会話するときに使うセリフ百選』を使わないのでしょう?
『広い宇宙の片隅で、僕らがこうして出会ったなんて、まるで不思議な奇跡だよね』
『いいわそれ! もし私がそんなセリフをかけられたら、一発でメロメロになっちゃうわよ!』
『君の瞳って百万ボルトぐらいだよね』
『わあ、堀内孝雄ね! それもイタダキよ!』
などなどと、渋谷に行くと決意したあの夜に二人で頑張って編纂した会話集を、いまこそ見事に活用するべきときなのに――
「……ふふん、まったくダメねえ」
彼は手ぶらで歩いております。どうやら会話帳を部屋に忘れてきてしまったようです。この男は、肝心なときにいつもミスをするのです。やっぱり彼には、私が付いていないとダメなのです。どうやってあんなに綺麗で可憐な人間女性と知り合いになれたのかはわかりませんが、こんなことでは渋谷デートが破綻するのも時間の問題です。
私はいくぶん軽い足取りで彼らを追いながら、もうすぐ必要になるはずの慰めセリフを考えました。女性と別れたその瞬間、電信柱の影から躍り出て、ビックリ彼を驚かし、そのまますかさず頭を撫でて慰めてやるのです。
『ば、ばあ!……よしよし、今日はフラれちゃったみたいけど、あなたにしてはよくやったわ、これだけやれば、十分エッセイのネタになるわ。だからもう今日のところは部屋に帰って休みましょう。しばらく人間彼女のことは忘れてしまって、ふたりで楽しくパソコンゲームをやりましょう。いつまでも私がついてるから、あなたはなんにも心配しなくて良いのよ』
『れ、レイ……!』
こうして堅く抱き合って、薄暗い六畳一間でドブネズミのように美しく寄り添い合うという計画です。人間女性に酷い目にあわされた滝本さんは、私の有り難みを、いつにもまして再確認してくれるはずなのです。
「ふふ……」
あまり近づくと気配を悟られるかもしれないので、彼らの顔は窺えませんが、たぶんそろそろ険悪な雰囲気がスタートしている頃合いでしょう。滝本さんは人混みが苦手なので、ほらやっぱり、歩き方がギクシャクとしています。格好いい若者を見ると『ヤツらオレを馬鹿にしてるんだろ』と勝手に被害妄想を始めるタチでもあるので、人間女性とのウィットに富んだ会話など夢のまた夢なのです。しまいには隣を歩く人間女性にもバカにされているような気がしてきて、一刻も早くアパートに逃げ帰りたくなる性分なのです。もしかしたら女性よりも先に彼が根を上げ、『急用があるので』などと言い出すかもしれません。
ほらこのように、私には彼の考えが手に取るようにわかるので、人間女性よりも私の方が、彼の恋人に相応しいのです。
もちろんいずれ、滝本さんも私を卒業していくはずなのですが、それはずっと未来の話なのです。
何十年も先のことなのです。
だから私が不安になることはないのです。
ないのです。
……ところが。
スペイン坂を抜け、とうとうセンター街に到着したときのことです。
街のネオンがピカピカと眩しくて、こんな若者の繁華街に滝本さんは似合わないから、そろそろ部屋に帰った方がいいのに――と思ったところで、彼と彼女はとある建物の中に連れだって進入してゆきました。
私は道の真ん中に立ちすくみ、その建物の看板を読みあげました。
「プリクラのメッカ?」
なんてことでしょう、私はアタフタとしてきました。いつか小耳に挟んだことがあるのです。ふたりでプリクラを撮るのは、男女交際のスタートらしいのです。そんな馬鹿な話ってありません。滝本さんがあんな綺麗な女の人と二人でプリクラ撮るなんて、そんな変な話はありません。なのに無数の老若男女が私の脇を通り過ぎてゆきます。建物の明かりに照らされた夜の街は一見ポカポカと温かそうなのですが、まだまだ三月の夜は寒いのです。誰も私には目をくれません。
「滝本さん」と呟いてみても、もちろんその声は彼の耳に届かないのです。私は震える足取りでプリクラ店に忍び込みました。綺麗な人間女性が沢山いました。一番奥のプリクラカーテンの隙間から、彼の一張羅のズボンが覗けて見えました。
私は足音立てずに接近し、そっとカーテンをめくってみました。
すると――

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「そ、そんな……」
私は絶句しました。
滝本さんは、私がいままで見たこともない、幸せそうな笑顔を浮かべていました。
綺麗な女の人も、決して嫌な顔をしてはいませんでした。
二人とも楽しそうにしてプリクラをやっていたのです。
「た、滝本さん……」
「どのフレームがいいかな?」
「このピンクのヤツにしようよ」
気づいてくれません。
私はプリクラの邪魔をするため、彼らの背後に立ちました。いつか小耳に挟んだことがあるのです。超能力者はカメラに念写が出来るのです。その理論を利用して、私もプリクラに映ってやろうと思います。
ですが――ええわかっています。もちろん心霊写真はムリでしょう。私は幽霊ではないのです。一介の脳内彼女なのです。沢山の恋人達で賑わうこの店内で、もうすぐ私は消えるのです。ほら彼は阿呆みたいな顔して、彼女と楽しくやっています。彼女はお洒落で綺麗な人間です。彼らは渋谷を歩けるのです。ウィンドウショッピングもできるのです。いつか見た夢の中では、私も滝本さんとふたり、渋谷でデートをしていました。滝本さんは、なけなしの印税で私に洋服を買ってくれました。それは見たこともないブランド品の舶来品でした。私は七年間も着たきりのセーラー服を脱ぎ捨て、すべすべとした手触りの高級洋服に身を包み、それから二人でレストランに入ってチョコレートパフェを食べました。甘くて美味しかったです。沢山プリクラも撮ったのです。彼の腕に抱きついて、ふたりでニッコリとプリクラに写ったのです。いつか私も、確かにそうしてデートをしたのです。それは素晴らしい夢デートだったのです。だけど彼らのプリクラ撮影は夢ではなく現実でした。リアル渋谷のリアル彼女のリアルプリクラだったのでした。どうやっても勝ち目がないのは明らかです。もう私はお払い箱なのです。私は頭を抱えてしゃがみ込みます。
「か、神様……」
こんな運命は酷すぎます。
「でも……うぅ、ダメ、ゼッタイ……」
私は唇をかみしめ、プリクラ機から外に出ました。
彼らの笑い声に耳をふさぎ、このまま遠いところに旅立つことにしました。
「いやあ、完璧なプリクラが撮れましたね」
完成したプリクラシールの素晴らしい出来に、滝本さんは喜んでおります。
そんな彼の耳元にそっと囁き、涙をぬぐって店外に出ます。
「さ、さようなら、滝本さん……うぅ……」
*
ですがそのときでした。
「きゃっ」
誰かの肩にぶつかって、コロンと転んでしまいました。
飛ぶ鳥跡を濁さないようにして、儚い命の最後を綺麗に飾ろうとしている私を邪魔するだなんて、なんて不作法な人間男性なのでしょう。キッと睨み付けてやります。
そしたらまたまた絶句してしまいました。
「……ど、どうしてここに?」
人間男性の鋭い眼光に、見覚えがあったのです。
間違いありません。
ひと睨みするだけで幾多の作家をわんわんと泣かせるあの眼光の持ち主は、作家エージェントの村上さんに違いありません。
村上さんは滝本さんに近づいていきました。
「どうです、私の言ったとおり、素晴らしい捏造写真が撮れたでしょう。これで今回のエッセイはバッチリですね」
「いやまったく、何もかも村上さんと三坂さんのおかげです。ははは……」
滝本さんは、村上さんと人間女性に、何度もぺこぺこ頭を下げておりました。そんな彼の情けない姿を見るにつけ、私はようやく事のカラクリに気が付きました。彼らのペテンに気が付きました。私は地団駄を踏み絶叫しました。
「大人はいつもそうなのよ! いつまでも私たちが騙されると思ったら大間違いよ! やり口が汚いわ! 告発してやる!」
アパートに帰ったら、彼が寝静まっているあいだに私がエッセイを書いて、彼らの酷いウソを皆にバラしてやります。あの人達を許してはおけません。私の純情を踏みにじった報いを思い知らせてやるのです。つまりボイルドエッグズ・オンラインでエッセイを連載している千木良悠子さんの御友人が、ナンパ写真撮影に協力してくれたということです。ぜんぶ嘘っぱちの捏造写真なのです。このような卑劣なやり口を、アメリカは決して認めないのです。仮に世界が許しても私はゼッタイ許さないのです。
「うぅ……」
騙された悔しさに、また少し涙が滲んできました。
涙をハンカチでぬぐって、プリクラ店から出て行く彼らを、笑顔ですたすたと追いかけます。
「……もう、酷い人ね、滝本さんは」
幻想的に滝本さんの左手を掴まえ、夢想的にぎゅっと腕を組んで渋谷を歩きます。
「でもようやく……これで私たちも渋谷でデートができたわね。ふふん、こうして手を繋いで歩いていたら、まるで本当の恋人同士みたい……」
彼は右隣の人間女性と楽しげに談笑しておりましたが、それでも私は幸せでした。
楽しいデートの夜でした。
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