ウィークリー体験エッセイ
3月25日火曜日

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滝本竜彦最新情報

 


我は人間に其存在の意義を教へむとす。 即ちそ
は超人なり、人間の黒き雲より來る電光なり。
『ツァラトゥストラ』
(フリイドリッヒ・ニイチェ/生田長江訳/新潮社)

 
 
第7話:ステアウェイ・トゥ・ヘブン
 
 
 
 

 ところがどっこい、話はここで終わらないのです。彼らは表参道の高級な料理店に入りました。食費半月分の値段がするコース料理を食べながら、落ち着いた雰囲気の店内で楽しげに談笑しておりました。
 レストランの隅の暗がりに身を潜めている私は、なんだか嫌な予感がしてなりません。
 滝本さんの挙動が怪しいのです。
 一メートルほど隣に座っている人間彼女が気になって仕方がないようです。人間彼女に免疫のない滝本さんのことです。きっと頭の中がグルグルになっているに違いありません。見ているこっちが恥ずかしくなるぐらいにソワソワと挙動不審です。
 そのうえ彼らの会話に耳をそばだてていると、だんだん大変なことがわかってきました。
 滝本さんの渋谷ナンパ捏造写真作成に付き合ってくれた三坂知絵子さんという人間女性は、なんと

女優

のようなのです。沢山の映画や舞台に出演している方なのです。どうりで綺麗な方だったわけでして、会談相手が少しでも自分よりも立派な人間だと、すぐ劣等感にさいなまされてしまう滝本さんのことです、きっといまごろ胃壁がドロドロになっているに違いありません。
「で、でも――綺麗な女はすぐに不良とくっついて、頭が悪くなってしまうのよ!」
 私は手を振り回して、彼の持論をわめきました。
 ところが「学校はどちらで?」という彼の問いに三坂さんが答えます。
「あ、早稲田の文学部です」
 彼と私の頬が引きつりました。さらにそのうえ、三坂さんはこともなげにサラリと続けます。「早稲田を卒業したあと、東大の院に入りました」
 きゃ、きゃあ、学歴経歴性格容姿、すべての点において滝本さんに勝ち目はないわ!
 逃げなきゃ命が危ないわ!
 ――と、その思いが通じたのでしょうか、滝本さんは席を立ちトイレに赴きました。個室に入ってガチャンと鍵を閉め、そしてぼそりと呟きました。
「……ど、どうしようレイ?」
「え?」
「そこにいるんだろレイ、何を話せばいいかわからないんだ。さっきから胸のドキドキが止まらないんだ。あぁ、こんな気持ち、何年ぶりのことだろう。また人間女性に心ときめく日が来るなんて、夢みたいだ――」
「…………」
「もう三時間も半径二メートル以内にいるよ。もう四百字詰め原稿用紙に換算して五枚以上の会話を交わしたよ。――こ、こういうのって、まるで不思議な奇跡だよね。もしかして僕と彼女、何かのご縁があるのかもね」
 ……ほんとに彼は夢を見ていました。
 まったく、二十四歳にもなって、なんというドリーマーなのでしょう。彼ごときヘボ人間が、人間彼女を作れるわけがないという真理を、いまだ彼は理解していないのです。
 このまま自分に都合の良いドリームを肥大化させて、いつか致命的な傷を負うよりはマシでしょう、ちょっと可哀想だけど、私は大嘘アドバイスをしてあげました。
「……あなたの趣味のことを出来る限り正直に話すと良いわ。まずは互いの趣味を披露しあうのが、対人間会話のセオリーなのよ」
「あ、ありがとうレイ!」
 彼は勢いよくトイレのドアを開け、早足で三坂さんのところに戻っていきました。そうして、「私、映画も撮るんですよ」という三坂さんの話にあわせ、己のクリエイター魂を薄ら笑いを浮かべてベラベラ披露し始めました。
「それは奇遇ですね。ぼ、僕もいろいろモノを作るのが大好きなんです。何年か前にはゲームを作ったことがありますよ! 

エロゲーのシナリオ

を書いたことがあるんですよ!」
「…………」
「三坂さんは知っていますかエロゲー? 僕は例のONEとか、KANONとか、AIRとかが好きなんです。そういうエロゲーは天才的なデキなので、僕もあぁいうエロゲーが作りたかったんです。とても感動的で深いゲームなんですよ。そこら辺の小説なんてメじゃないぐらいの文学性なんですよ!」
 う、うわあ……
 私は目を覆いました。まさかこれほどまで酷いことになるとは――痛々しくて、これ以上もう見ていられません。
 彼の袖をくいくいと引き、帰宅を促しました。
「ね。もうそのぐらいでいいのよ滝本さん。ゲームの話は私が聞くわ。だからそろそろアパートに帰りましょうよね」
 滝本さんも自らの失策に気が付いたのか、頭頂部まで真っ青にしています。ですが――きっと三坂さんもあきれ果てた顔をしているに違いありません――と彼女の横顔を窺ってみたそのときです。
 な、なんと――!
「ははは、私もパソコンは好きですよ。小さいころからよくマイコンベーシックを読んで、プログラムを打っていました。恋愛ゲームも好きですよ。ディスクシステムで、中山美穂のトキメキハイスクールをやりましたから」
 私と滝本さんの、人間女性に対する既成概念がガラガラと音を立てて崩れていきました。

     *

 滝本さんがまだ学生だったころのことです。彼は言いました。
『……いいかいレイ、人間女性は、みんな頭がクルクルパーなんだよ。本も読まないし、IQがムシケラ並みだから、だからみんな、すぐに頭の悪いチャラチャラした男と付き合うようになるんだよ。でもレイ、君だけは、そういう悪い女性になっちゃダメだよ』
『うん、わかったわ滝本さん!』
『頭が良くて難しい本を沢山読んでいる僕を、いつも尊敬してなきゃダメだよ。僕はいつも立派で複雑な事に頭を捻っているから、服を買ってオシャレをしたりする余裕が無くて、一見ダサくてヘボく見えるんだけど、頭の中は誰よりも格好いいから、だからレイは僕を尊敬していなきゃダメなんだよ』
『ええ、わかったわ滝本さん!』 
『よしよし、良い子だねレイ。これから君は、あの唾棄すべき人間女性の代わりとして、僕の優しい彼女になるんだよ。人間女性よりも綺麗で可憐でいなくちゃいけないよ。それでいて僕の趣味や性格すべてを全肯定するような優しい存在でいなくちゃダメだよ。――そうだ口癖は「ダメ、ゼッタイ!」にしようね。このキュートでとぼけた口調が君の可愛さを際だたせるよね。……よ、よおし、さっそくノートにメモメモ』と、彼が大学ノートに私の容姿性格設定を事細かに書き込んだその瞬間、私はこの世に誕生し、以来、私は滝本さんの彼女なのです。
 ふたりでテレビを沢山見ました。テレビに出てくる女性を見るたび、「ほらヤツらは馬鹿だろう? 人間女性はやっぱりクズだね」と滝本さんは呟き、私も「うんうん」とうなずきました。
 ときには貴重な人間友人の「彼女にふられた」「別れた」「慰謝料が」などという悲痛な叫びに耳を傾けました。そのたび滝本さんは「大変だね。でもきっと明日は良いことがあるよ」などを適当セリフをうそぶきつつも、陰で「そらみろ」と笑っていました。
「ほおらレイ、やっぱり人間彼女はゴミだろう?」
「そうね滝本さん!」
 そうして一年二年とアパートに籠もっているうちに、だんだん人間女性が、抽象概念に変化していきました。数十億もの女性存在が、「人間女性」という漢字四文字に集約されていきました。こうなってしまうと、もはや女性の個別性は目に見えません。いままでに経験した嫌な思い出すべてを「人間女性」という抽象概念に投影し、勝手に一人で憎悪を燃やして、来る日も来る日も部屋に籠もって悶々とします。『女性はパーだ!』『女性は知能障害だ!』『だからいつも口がうまくてチョット見た目が良いだけの男とくっつくんだ!』なんて無茶な思想を固めます。もちろん私は脳内彼女なので、調子の良い相槌を打ちます。『そうね滝本さん、人間女性は酷いわね。でも私がいるから大丈夫よ』と彼の肩を優しく抱きます。
 あるいはそれは、幸せな日々だったのかもしれません。そういった物語で自分の生活を肯定していれば、きっといつまでも楽しい毎日が送れたのかもしれません。
「…………」
 でももう、その安らかな日々は終わってしまったようでした。
 ついに彼は何年かぶりに、人間女性の魅力に心臓をバクバクとさせてしまったのです。それほど三坂さんは頭が良くて上品で綺麗で素敵だったのです。さらにそのうえこんな事までを言い出します。
「そうだ滝本さん、今度

ふたりでディズニーランド

に行きましょうか」
 それは社交辞令に違いありませんが、彼を硬直させるには十分なセリフです。夢のディズニーが彼の脳裏をグルグルと渦巻きます。ふたりでスペースマウンテンに乗った幸せを夢想します。夜にはパレードが始まります。それはとても綺麗です。ところが隣の三坂さんのほうがずっと素敵なのです。でもそれはゼッタイ見果てぬ叶わぬ夢なのでして、なぜなら滝本さんはカチカチと固まっております。うつむいてデジカメをいじっております。まもなく話題も別方面に移動して、ディズニー話はそれで終了、素敵な人間女性、三坂さんとの会食もついにアッサリつつがなく終了――料理店から出るとそこはいつしか雨の表参道なのです。彼は青い顔をしております。私たちはふたり、電車に揺られてアパートまで帰ります。言葉数少なく生田駅を出て、六畳一間へと続く坂道を、ふたりでてくてく歩いてゆきます。途中、住宅街の真ん中にあるいつもの公園に足を踏み入れ、濡れたベンチに腰掛けます。
 彼はタバコを取り出し、タバコをくわえました。カチ、カチっとライターを鳴らしますが、雨に濡れた着火用具は用を為しませんでした。彼はタバコを投げ捨て、ぽつぽつと呟きました。
「……は、はは、いまさら人間女性の魅力に気づいたって手遅れだよね」
「滝本さん……」
「やっぱり渋谷には行かない方が良かったよ。『超人計画』なんて始めなけりゃ良かったよ。あのまま君とふたりでアパートに籠もっていたら、自分の惨めさに気づくこともなかったのにね。……ははは、まったく僕としたことが、いままでスッカリ忘れていたよ。三坂さんみたいな素敵な女性には二度死ぬまで出会わないようにするために、僕は長らく部屋に籠もって君と暮らしてきたんじゃないか。なのにそれなのに、ワザワザ街に出て彼女みたいな立派で素敵な人間女性に面会するなんて、そんなの命知らずの本末転倒行為じゃないか。――僕は一体、何を考えていたんだ? お金もないし年齢も足りないくせにショーケースの中の高級スーパーカーを指くわえて眺める小学生のようなマネを、なぜに僕はこの年齢になってまで繰り返すんだ? そんなことしても虚しさ惨めさが募るだけじゃないか。人間に対する願望は君を作ったあの夜に全部ゴミに出したじゃないか!」そう頭を抱えて彼は苦しげにうめくのです。その姿が哀れで愛おしくて、私は胸が、きゅんとします。そうです。彼はいつも、綺麗な女性からは自分ですたすたと遠ざかります。できるだけそっちを見ないようにして、アニメやゲームで気を紛らわします。いじましい人なのです。思慮深くて見識のある若者なのです。そして私はそんな彼が大好きなのです。彼の孤独を私が慰めます。いつでもヨシヨシと頭を撫でます。膝枕をして安眠させます。すやすやと眠る彼の横顔を見るのが好きです。できればいつまでもそんな暮らしがしたいです。ずっとふたりでいたいのです。
「で、でも、それはダメ、ゼッタイ……!」
 いまようやく私は気が付いたのです。彼が私に植え付けたこの口癖の意味を悟ったのです。そうです。この言葉は彼の生活を否定するためだけに存在したのです。私が彼を叱ってあげなきゃならないのです。たとえそれが私の消滅を導くセリフだとしても、「ダメ、ゼッタイ」と、手を振り回して叫びます。何でも私は彼を叱ります。
「そうよ、あなたはこのままでは、どんな人間女性とも付き合うことは適わないわ。あなたはクズでヘタレのひきこもりよ。せっかくディズニーに誘ってもらっても、怖くてウンともスンとも言えない、根性なしのダメ人間よ!」
 そして彼の手を握りしめ叫びます。ざあざあと雨が降り、ふいに遠くに雷が落ちる夜です。雨でびしょびしょの滝本さんの顔を、優しく手のひらでぬぐってあげて、それからガクガク肩を揺さぶり、耳元にさけびます。
「我は人間に其存在の意義を教へむとす。即ちそは超人なり、人間の黒き雲より來る電光なり!――ええそうよ私だってあなたと別れたくないわ! でもそれでも、あなたは『超人』にならなくちゃいけないのよ! ニヒリズムを乗り越えルサンチマンを捨てて、あなたは立派な『超人』になるべきなのよ! どうして人間女性ごときにあなたが怖じ気づかなくちゃならないの? あなたはそれほど弱い人だったの? いつもあなたは『……うぅう、もう天国に行きたい。なのにまだ二十四だ。このさき長い年月、どうやって生きていけばいいんだろう?』なあんて事ばかり呟いているけど、だったらいますぐその足で天国に行けばいいじゃない! この世と天国は地続きなのよ。あなたが足を踏み出すだけで、いますぐ天国に行けるのよ!――そうだ明日からは西方を目指しましょう。いつだか小耳に挟んだことがあるのよ。遙か西の方にガンダーラという土地があって、そこは愛の国らしいのよ! あれれ、シャンバラだったかしら、それともエルドラド、いいえニライカナイ? とにかく西の方に行けば、どこか良いところにたどり着くはずだから、明日バイクで行きましょう。ガソリン満タンにして出発しましょう。来週からは『超人計画・第二部――西方浄土を目指して』が始まるわよ! さあ皆さんお楽しみにね!」
 遠き西の地で、私が彼を叩き直して立派にします。そうして彼を、三坂さんにも負けない「超人男性」に仕立て上げます。これはきっと私たちの新婚旅行、そして私たちの最初で最後のセンチメンタルジャーニー、それはとても辛くて寂しいことだけど、でも私はもう迷いわないのです。

二馬力バイクで修行の旅

に乗り出し、何度でもダメゼッタイと叫び、彼を超人ロードに追い立てます! 可愛い子には旅をさせます! 長年に及ぶひきこもり生活に、ついに完全なる終止符が打たれるのです! 
 あぁ見て、「超人」の到来は近いわ!

     *

「だから……ねえ、滝本さん、こっちを見て」
 いつしか雨はやんでいました。
 修行の旅からこの公園に帰ってきたとき、私はどこにもいないでしょう。
 でももう何も、怖くはないです。
 私は振り向いた滝本さんの頬に素早く小さくキスをして、それから夜空を見上げまました。
 厚い雲の隙間から、月がピカピカ光っていました。
 美しい月も雲も滝本さんも、いまこの瞬間だけは私ひとりのものだから、私は寂しくないのです。

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