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マンスリー・エッセイ ■12月7日月曜日 |
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#2 失われたパラダイム
現代的インタラクションの黎明 今、あなたの手のひらにあって、パソコンを意のままに動かしているマウス――そのマウスが登場し来週でちょうど30年目を迎える(そして来月にはMac登場15周年を迎える)。 マウスを発明したのはダグラス・エンゲルバート博士、コンピューターを使った知識の共有や協調作業の必要性を誰よりも早く説いていた人物である。 9日、スタンフォード大学ではこれを記念して「engelbart"s unfinished revolution――エンゲルバートの未完の革命」と題したイベントが開催される。 筆者は月刊ASCIIのご厚意で、そのダグラス・エンゲルバート博士をインタビューする幸運に恵まれた。人々が「パーソナルコンピューターの生みの親」と呼ぶアラン・ケイ自身が「エンゲルバートこそが生みの親だ」と評する偉大な人物だ。こちらは当然緊張したが、おもしろい話が聞けたと思う〔註1〕。 インタビューでは話さなかったが、マウスの発明はエンゲルバートが政府の研究機関に所属していた時に行われたため、彼はこの特許による利益を一切享受していない〔註2〕。 彼が30年前にデモンストレーションしたoNLine System(NLS)は、マウス以外にも:
といった今日のパソコンの基礎技術さらには今日のパソコンでも一般化していない技術を実現していた。それにもかかわらず、エンゲルバートは簡単に「マウスの発明者」と紹介されることが圧倒的に多い。そしてマウスやスクリーン編集などの偉大な技術はすべて、後にXerox社パロアルト研究所でアラン・ケイたちが開発したAltoの功績とされてしまうのだ。 確かにアイコンを採用してコンピューターの道具としての使い心地に革命をもたらしたのはAltoの功績であるが、その基礎を提供したNLSももう少し脚光を浴びていいと思う。Altoばかりが脚光を浴びるのは、マウスを初採用したパソコンであるLisaやMacintoshが、Altoを模してつくられたというのも大きな原因だろう。ちなみにAltoの開発にあたったXerox社は、エンゲルバートにマウスなど一部の使用許諾を求めただけで、特に彼と関係を持とうとしなかったようだ。 さて、よりよいコンピューターとのインタラクション(対話)を求めてマウスを発明したというエンゲルバートだが、今日的パソコンとのインタラクションのより細かな部分に関してはグラフィカル・ユーザー・インターフェースの先駆者であるアップルが長年に実に多くの研究開発(そして発明)を行い業界全体に大きく貢献してきた。 アップルには昔から、こうしたユーザーとコンピューターとのインタラクションの研究を専門的に行うヒューマン・インターフェース・グループ(HIG)がある。HIGはアップル社内でももっとも権威のあった同社先端技術研究開発部門Advanced Technology Group(ATG)と密接な関係を持つ特殊な位置づけにあった。 (ATGもそうだが、)HIGでは同分野の研究ではトップクラスの逸材(ブルース・トグナジーニ、S・ジョイ・マンフォード、トム・エリクソン、アネット・ワグナー等)が集まり、偉大な功績を残してきた。彼らの思想や考えは、これまたコンピューター・インターフェースの分野ではあまりにも有名なブレンダ・ローレル編の名著『人間のためのコンピューター――インターフェースの発想と展開』〔註3〕が詳しくまとめている。 このHIGに関わった人々の中でも、筆者が特に思い入れを抱いているのがドン・ノーマン博士〔註4〕だ。
筆者が初めてノーマンを見たのは、1994年3月14日ニューヨークのリンカーン・センターの巨大スクリーンの上だった。マイケル・スピンドラー最初で最後の晴れ舞台となった「Power Macintosh」発表会でのことである。Mac誕生から10年目のこのビッグ・イベントにリンカーン・センターの700の座席は世界中から集まった報道陣で埋め尽くされていた。 発表会が始まると3方向からスポットライトを浴びたスピンドラーが登場し、PowerPCの圧倒的なパフォーマンスと価格性能比の誇示とそれがもたらす未来への期待が入れ混じった開会の辞と大口顧客である教育機関の代表からの賛辞が述べられ、続いて舞台正面の巨大スクリーンにアップル関係者の声を集めたビデオが流れた。そして(たしか)そのビデオの一番最初に登場したのがノーマン博士であった。 筆者は「PowerPCチップなんて、そんなの誰が気にするんだ?」という第一声に仰天した。 ビデオには続いて何人かの技術者が登場し〔註5〕、再びノーマンが登場。「PowerPCはテクノロジーだ。誰がテクノロジーなんか気にする? 速いマシンが登場するたびに、速度こそが最も重要という声を耳にするが、だからなんだと言いたい」と言い放った。 そしてビデオの最後もノーマンの「ユーザーがこだわっているのは、テクノロジーやマシンではなく、きちんと仕事がこなせるか、楽しめるか、よい体験が持てるかということだ」という発言で締めくくられていた。 ビデオの中の他の関係者は皆、PowerPCのスピードがいかに速いかや、その処理速度向上による恩恵〔註6〕について語っていた。実は発表会の模様はほとんどビデオで撮っていたのだが、肝心のビデオを紛失し今では確認できない(なお、発表の模様は当時のHyperLibのCD-ROMにQuickTimeムービーとして収録した)(*)。
研究から実践へ ノーマンはこのPower Mac発表の前年(1993年)にアップル社の特別研究員(Apple Fellow)として同社に迎え入れられ積極的な活動を始めた〔註7〕。だが、実は彼とアップルとの関係はもっと前に遡る。 Apple Fellowになる前のノーマンは世界的心理学者、認知科学の世界的権威、アメリカ認知科学会の創設メンバーとしてカリフォルニア大学サンディエゴ校で教鞭を振るい、数々の著作を執筆していた。スリーマイル島の原発事故があったときには、政府の調査員として心理学的見地から再発防止のための調査にあたったこともある(**)。 そんなノーマンだが、大の最新技術好きで教授時代からアップルに熱烈なラブコールを送り続けていた。『誰のためのデザイン』〔註8〕などの著書でもたびたびMacを引き合いに出していた。'80年代後半から'90年代前半にアップル社が制作していた番組「Apple TV」('88〜'93)にも何度か登場し、Macが他のパソコンに対して如何に優れているかや、そのMacがどうした問題を持っているかなどを熱心に語っていた〔註9〕。 ノーマンの頭では'90年初め頃には、コンピューターなどの情報機器がどういった方向を目指したらいいかの考えがまとまりつつあった。そのためそれを人に教えたり、本に書くよりも実際に開発に携わり実践していくことに興味を抱き始めていた。彼のApple Fellow就任はノーマン側からの積極的な要望があったという噂も聞かれる。
ユーザーインターフェースからユーザー・エクスペリエンスへ ノーマンはApple Fellowでもあったが、アップルの慣習にならって独自に生み出した「ユーザーエクスペリエンス・アーキテクト」という肩書きも持っていた。この「ユーザーエクスペリエンス」というのは筆者もさんざん訳に困らされた言葉だ。単純に「ユーザー体験」などと訳すと意味がわからなくなるし「使い心地」では意訳しすぎで意味あいを狭めてしまう。 「インターフェースの父」とも呼ばれていたノーマンであるが、彼はユーザーとコンピューターの接点に立ちはだかるインターフェースはなくした方がいいと唱えていた(なくせないなら、せめてできるだけ控えめでそしてシンプルなものにした方がいいと考えていた)、そしてインターフェースという言葉よりも、その結果として得られる印象(体験)の方を重視した。「ユーザー・エクスペリエンス」という彼の造語もそうした考えの現れだろう。 彼がアップルに入ってからアップル製ソフトの使用感は確かに変わった。いかにも便利そうで、その実、ただうっとおしいだけのインターフェースはかなり減った〔註10〕。 車のハンドルというと、見た目も仕組みも単純すぎてつい「インターフェース」であるということを意識せずに使ってしまうが、車の向きを変えるのにこれ以上優れた「インターフェース」はない。ハンドルなら多少の慣れも必要だが、車の向きを思った方向にぴたりと決めることができる(これにはタイヤから伝わってくる感触などいくつかの細かな要素も絡み合っているのだが)。この操作をスライドバーのドラッグやジョイスティックで代用することなど考えるだけでも恐ろしい。 ハンドルを切りすぎた時に、車のパネルに「ハンドルの切り過ぎで危険です」などというメッセージが出たとしよう。確かに車がインテリジェントになった気はするが、決して便利なわけでもない。そんなことをするくらいなら危険な角度に近づくにつれハンドルが重くなった方がより直感的だし実用的だ。 ノーマンが来る前のアップル及びサードパーティー製品にはこの車のダイアログの例に近い設計のソフトが多くあった。 「〜の操作をするには、まず〜をして下さい。」もし、コンピューターが本当に人間の作業を楽にするための道具なら、そんな下準備はコンピューターがやればいいことだ。 何か操作をするたびに、設定項目がたくさんあるダイアログボックスを表示するソフトも多かった〔註11〕。こうしたソフトでは確かに他のソフトより緻密な操作はできるかも知れないが、何かをしようとするたびに、作業が中断してしまう。 ノーマンはこうした「インターフェース」を介さずに画面上の書類や書類上の情報を直接マウスで操作する「ダイレクトマニピュレーション」を好んだ。最近のパソコンでは当たり前の書類やデーターのドラッグ&ドロップはこうした「ダイレクトマニピュレーション」の最たる例だ。 そして、このドラッグ&ドロップを非常にうまく活用したソフトとしてノーマンがよく紹介していたのが、1994年、アップルで研修をしていた学生、ロン・アビツールが作った「グラフ計算機」だ(***)。 このソフトでは入力した計算機から3次元グラフを瞬時に描きだし、そのグラフの向きなどをマウスで自由に操作できる(それ以前のソフトではグラフの向きを変えようとすると「仰角を何度に設定しますか?」といったダイアログを表示するものが多かった)。さらにすごかったのは計算式中の要素をマウスでドラッグして簡単に移項できることだ。
大事なのは何をしようとしているのかだ さて、ノーマンが他のインターフェース研究者たちと大きく違っていたのは、彼が徹底して「その道具で何をしようとしているのか」にこだわった点だと筆者は考えている。これはヒューマン・インターフェースの研究者であれば誰もが持っているべき視点だが、ノーマンの場合はその尺度が違った。「問題はドアのノブではない、ドアそのものだ」とはノーマンが好んで用いた比喩である。 '95年のアップル世界開発者会議(Worldwide Developers Conference '95)でもこんな一場面があった。アラン・ケイが、「インターネットのMS-DOS(問題点)は何か?」と切り出し、「そう、HTMLだ」と言い放つと、ノーマンがそれをさえぎるようにして、「それは技術の話だ。もっと大事なのは、インターネットがユーザーにとって使いものになるかという問題だ」と切り返した。 スカリーCEO時代につくられたKnowledge Navigatorというコンセプトビデオ(第1回でも触れた)の1つには、コンピューター画面上で「○通メールが届いています」とか「○○さんから電話がかかってきました」と執事のような役割を果たす、擬人化されたインターフェースが登場する〔註12〕。アップルはこれを「エージェント」と呼んだ。 それから数年後にはマイクロソフト社も同社の未来のOSのコンセプトビデオに、擬人化インターフェースを登場させ、同年、(悪名高い)Bobという擬人化インターフェースのソフトも発表した〔註13〕。さらに数年後、マイクロソフトは同社のベストセラーソフト、Microsoft Office 97でやはり擬人化されたインターフェースを採用した〔註14〕。 ノーマンはこうした擬人化インターフェースに対しても批判的だ。人の顔がでてきても、それはメタファー(隠喩)に過ぎず、その顔に実際の人間と同じような協力は仰げず、誤解や混乱を招くことはあっても〔註15〕、益は少ない〔註16〕。 私ごときがノーマンの考えを勝手に代弁するのはおこがましいが、彼が望んでいたエージェントはそんな顔を持ってユーザーの前にたちはだかるものではない。 例えばユーザーが何かの情報を探していれば、それを察知して、ネットワークから情報を探し出し提示してくれる〔註17〕。外で携帯型パソコンで仕事をしてそれを家に持ち帰ると、家のデスクトップパソコンでも携帯型パソコンで入力した情報が即座に使える〔註18〕。
Appleは名前を改めるべき ノーマンは我々の生活を改善するアップルの情報機器がパソコンであることすら前提にしていなかった。 最初のうちは、Mac OSのインターフェース改良などにも携わっていたが、そのうち、いったい何のために使う道具なのかがはっきりしないコンピューターという存在そのものが間違っているという論をくり出す。「Apple Computer, Inc.」という社名から「Computer」を取るべきだという彼の発言もあながちただのジョークではなかったのかも知れない。 ノーマンは先に紹介したブレンダ・ローレル編の『人間のためのコンピューター』の中で、任天堂のファミコンとApple IIgsで子供がゲームをする場合を比較して、専門用途に特化した道具の方がいかにいいかを熱弁している。 彼はコンピューターであることを感じさせないNewtonにMac以上の関心を寄せ始めていた。そして、ATGが解散となりアップルを離れることになる直前には、(ビジネスなどの業務やメディア用のコンテンツ作成に特化した)パーソナルコンピューターと共存しながら、一般家庭に浸透していくInformation Appliance(情報を扱う機能を持つ日常用品)の重要性を説き続けていた。 アップルを退社してHewlett-Packard社の研究員になった後も、彼はiApplianceの名前でこうした情報日常用品〔註19〕の開発を目指した。現在は独立していくつかの企業のアドバイザーとして活躍している。 一般の家電製品がインテリジェントになっていくことは、誰が考えても当然行き当たる発想であり、ニコラス・ネグロポンテ博士を所長とするマサチューセッツ工科大学(MIT)の研究所Media Lab.でも「Things That Think(TTT)」のプロジェクト名で十年以上に渡る研究が行われており、最近では実際に家電メーカーなどがそうした製品の技術展示を行う段階にまで至った。 しかし、果たしてこうしたメーカーから数年後に登場する製品に、ノーマンの厳しい眼にかなうデザインが施されているかは心配だ。
ノーマンがMac OSで目指したユーザーエクスペリエンス Information Applianceの実現を心から願うノーマンだが、アップルの主力製品はMacであり〔註20〕、そのMacがパソコンである以上、アップルの社名から「Computer」の文字を取ることも難しかった。 パソコンという枠組から脱却できないという条件下で、ノーマンはMac OSの使い心地を次のように変えようとしていた。 ノーマンの時代、次世代OSとされていたCoplandではグラフィカル・ユーザー・インターフェース(GUI)上で動作するセカンド・インターフェースとしてアクティブ・ユーザー・インターフェース(AUI)を採用する。 これまでグラフィカル・ユーザー・インターフェースに慣れていたユーザーを一挙に他のインターフェースに移行させることには難があるし、まだGUIに代わるインターフェースがどういうものかはノーマン自身もわかってはいなかった。 AUIはGUIの次の欠点を補うものだ。GUIではユーザーがすべての作業を手で行わなければならない。MacのGUIはCP/MやMS-DOSといった文字主体のインターフェースから飛躍的な進化を遂げたとよくいわれるが、実はMS-DOSの方がよほどすぐれた点もある。 例えば、名前が「MAC」で始まるファイルをまとめて他の場所にコピーしようとした場合、MS-DOSでは簡単な命令でこれが実現できてしまうが、Macでは1つ1つのファイルの名前をユーザーが確認、選択し、ドラッグ操作を行わなければならない〔註21〕。 1つ1つの操作をすべて手で行うGUIには、頻繁に繰り返す一連の操作が多々ある。実はこうした操作はAppleScriptというスクリプトを使って解決できるものも多いのだが、AppleScriptはアップルが思ったほど浸透していなかった。 Coplandチームは、アップルガイド(Macのヘルプ機能)を起点にAUIを実現しようとしていた。アップルガイドは大変優れたヘルプ機能で、ユーザーが例えば「モニタの表示解像度はどのように変えるのか」といった質問事項をクリックすると、選択しなければならないメニューやクリックしなければならないボタンを赤い印で指示して、ユーザーにやさしく1ステップずつ教えてくれるというものであった。 CoplandのAUIではさらに一歩推し進めて、ユーザーが「〜〜がしたい」という要求をクリックすると、「操作方法を知りたいのですか、それとも私が代わりにその操作を行いましょうか」といった主旨のダイアログボックスが表示され、後者を選ぶと、Macがその設定を自動的に行ってくれるのだ〔註22〕。 AUIが行ってくれる処理はさまざまなものが考えられており、サードパーティーも自社製ソフト用のAUIをつくることができた。ハードディスクのバックアップ、電子メールの送受信などの処理をAUIに任せた場合は、AUIが処理の終了後に「○月○日○時○分に〜〜の処理が終了しました」や「電子メールが届いています」といった簡単なメモを画面に表示してくれる。 ムービーの編集や圧縮、3Dのレンダリングといった時間のかかる処理を後でまとめて行うdefered executionという機構も用意されていた。 Coplandに先駆けて登場したOpenDocも、Copland時代の重要な基盤技術になるはずだった。OpenDocにはさまざまな問題点もあったが、それはOpenDocがCoplandを前提に設計されていたからであり、問題の大半はCoplandの登場で解決するはずだった。 OpenDocについてはまた回を改めて詳しく紹介するつもりだが、ここでも簡単に触れよう。 ノーマンは現在のコンピューターが抱えている大きな間違いの1つに「アプリケーション」の存在があると考えていた。 パソコンのユーザーは「アプリケーション」で作業することを強いられるが、「アプリケーション」は開発者が自分の都合で勝手につくりだした枠組みにすぎない。 ユーザーが実際に行いたいのは、パソコンで自分の意図した書類をつくるということなのに、例えば使っているワープロの「アプリケーション」がグラフィック描画機能を持っていないと、書類はテキストだけのものになってしまう〔註23〕。表組みをしたくてもワープロがその機能を持っていなければユーザーはこれを諦めなければならない。 結局、開発者はこうした不都合を少しでも減らすためにアプリケーションの多機能化を始めた。そしてその結果、複雑すぎてとてもユーザーが扱いきれないいくつかのアプリケーションと、多機能ソフトをつくり出すほど開発力を持つ大規模ソフトメーカーしか生き残れない市場構造ができあがった〔註24〕。 OpenDocはそれまでの「アプリケーション」中心のパラダイムと異なる「書類」中心のパラダイムを描いていた。つまり、まず書類があり、その書類に加えたい要素(コンポーネント)は後でドラッグ&ドロップ操作で追加するというものだ。 個々のコンポーネントは例えば絵を描くだけや表を描くだけ、グラフを描くだけ、あるいはQuickTimeムービーを表示するだけ、スペルチェックを行うだけといったシンプルなもので構わない。コンポーネントの役割が絞られていればいるほどユーザーはその仕組みや扱い方を覚えやすい。 OpenDocは弱小の開発者であっても優れたアイディアさえ持っていれば、市場で十分成功する可能性を与えてくれる技術でもあった。大がかりな多機能ソフトには、弱小ソフトメーカー同士が手を組んで、コンポーネントをセット販売して対抗すればよい。 Coplandには他にもプリエンプティブ・マルチタスクやメモリ保護、対称型マルチプロセッシングといった技術が搭載されるはずだったが、ノーマンにとってはそれらはAUIとOpenDocをうまく機能させるための裏方でしかなかった。 そしてCoplandでAUIとOpenDocを実現した後、ノーマンはGershwinという後継OSで、さらに進んだProactive User Interface(略するとPUI[プーイ]になってしまうが、語感が悪いので略さずに紹介していた)の採用をしたいと考えていた。Proactive User Interfaceは、ある程度ユーザーが何をしたいかの予想をたて、そうした処理を自動的に始めるインターフェースだと思われる。しかし、その一方で、ノーマンはコンピューターが勝手にユーザーの行動を予想するなどおこがましい行いだといった発言もしており、今となってはその詳細はわからない。 Gershwin時代にはさらにマウスやキーボード、ブラウン管搭載のモニターといったものが果たしてコンピューターの入出力機器として相応しいのかといったことも検討される予定だった。 ダグラス・エンゲルバート発明のマウスを前提に登場したMacだが、そのMacでマウスからの脱却までをも描いていた人物はそう多くはない。 ノーマンこそ、アップルがMac OSのミリ単位の進化を前提にしていた時代に、1人「Think different.」していた人物といえよう。 現行のMac OSや次世代のMac OS Xにも期待するところは大きいが、果たしてノーマンがあのままアップルに残って、もっと強い実行力を発揮していたら、どんなコンピューター・パラダイムが開けていただろうかと気になる今日この頃である。 *)偶然だが、この時、宿泊したホテルの裏側で世界初のNewton専門店、「Newton
Source」が開店準備を進めているのを見つけた。店員は店長一人で、まだNewtonのソフトも少なく果たして本当にビジネスとしてなりたつのかもわからなかった。しかし、その後、「Newton
Source」は(Newtonユーザーの間で)世界的に有名になり、その後、サンフランシスコなど他の都市にも出店するほどに成長した。 **)事故は人為的ミスと報道されたが、ノーマンの報告は、スリーマイル島の原発の管制室ではどこまでも同じ形状をしたおびただしい数のスイッチが並んでおり、そのいくつかにはラベルも貼られていなかったことを明らかにした。彼は緊急時などでパニックを起こした作業員が適切なスイッチを押し間違えてもそれは責められない行為だと結論づけている。 ***)このソフトは現在でもMac OSに標準添付ソフトとして、アップルメニューから呼び出せる。実はPower Macの発表会でも高価で高機能な3Dソフトや科学用ソフトなど以上に多くの喝采を集めていた。開発者のロン・アビツールはその後、Pacific Tech社を興し、同社WebサイトではMacとWindowsの両方に対応した同ソフトの最新版(英語版の名前は「Graphing Calculator」)の情報およびデモ版が掲載されている。 〔後記〕 締め切りが重なったいくつかの原稿と格闘しながらあわてて本編を書き上げたが、その後、少しだけ余裕ができたのでドン・ノーマンの新ホームページをじっくり見てみた。 ホームページにはMITプレスへのリンクがあり、そこに彼の最新作、「The Invisible Computer」の一部が掲載されていたので、第1章をざっと読んでみた。 会社名は伏せてあるが、内容はどう考えてもアップル在籍中のマイケル・スピンドラーとのやりとりだ。 38ものボタンがリモコンにあり使いものにならないとノーマンが反対したにもかかわらず、「売れないことはわかっているが、1番に出すことが重要」とスピンドラーが押し切ったその製品とは、Apple Power CDに他ならないはずだ。 そういえば、私がノーマンのオフィスを訪ねた時も、彼のオフィスでは壁にPower CDに対する辛辣なレビュー記事のコピーが貼ってあって、「悪いインターフェースの見本」と太いマジックで書かれていた。 このMITプレスの情報によればこの「The Invisible Computer」すでに日本での版権の契約も成立しているようで、今から期待している。 (12月8日) ■ |
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