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マンスリー・エッセイ ■4月1日木曜日 |
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#3 夢:アップルの第3の製品
PART II:スカリーの見た夢、ジョブズの見せる夢 PART IIでは、アップルが与える『夢』について、筆者の考察のいくつかを述べてみたい。 アップルがソフト会社かハード会社かというのは、多くのアップルウォッチャーが何度も議論を重ねてきた話題である。アップルの製品でいちばん革新的なのは(世界で初めてGUIを商品化した)OSであるというのが、アップル=ソフト会社説を唱える人たち(主にマスコミや一般ユーザー)の持論。これに対して、アップルが半分以上の歳入をハードから得ているからハード会社だというのが、それに対する(主に経済系マスコミの)反論だ。 アップルの製品はソフトとハードが一体になってはじめて形になるという主張もある。互換機を容認していた時代を除いては、アップル自身もこう主張していたはずである。 だが、創設から20年間、アップルが提供してきたハードでもソフトでもない大事なモノの一つ、すなわちアップルの第3の製品は、新しいコンピューターパラダイムの『夢』だったのではないか、と筆者は思う。 本連載の第1回目で、アップルのいちばん夢多かった時代のCEOはジョン・スカリーだったと書いた。これは今でもそう信じている。しかし、最近になって、スカリーとジョブズでは根本的に『夢』の見せ方が違うのかも知れないと、考えを改めはじめた。もっとも、これには性格の違いだけでなく、時代の違いという要素も大きく絡んでいそうだ。 スカリーがアップルに就任した'80年代前半は、アルビン・トフラーの『第三の波』が現実になりはじめていた時代だ。 米国ではAT&Tが分割され、CompuServeやGEnie、the Sourceといったパソコン通信サービスが台頭し始めた。日本では電々公社がNTTに変わったことで、ASCII NETやNIFTY-Serve、PC-VANといった商用パソコン通信サービスが登場した。 ファミコンが発売され、レーザーディスクが未来のビデオと信じられ、ビデオアートなる新興芸術がもてはやされた。CNNやMTVが日本のマスコミにもとりあげられ、CATVやキャプテンシステムが現実のものになると信じられていた。 マイコン〔註1〕時代の到来に焦るサラリーマンたちが電車に揺られながら、BASIC言語の教則本でブラインドタイピングの練習をした。そんな時代である。 『第三の波』がどれほどの大きさで、どれほどの速度で迫ってくるのかもわからず、ただただ急激にうつろいはじめる未来に大きな期待と不安を寄せていた時代だ。 スカリー時代のアップルが見せた夢は数々あるが、代表格は「Knowledge Navigator」、「System 7」、そして「Newton」の3つだろう。 Knowledge Navigatorについては連載第1回でも触れたが、スカリーとアップルの研究者たちがつくった西暦2000年頃のアップル製品像を提示したコンセプトビデオであり、アップルで行なわれていた研究の多くは、このKnowledge Navigatorの実現を目指したものであった。 Knowledge Navigatorのビデオは何種類かあった。筆者がもっとも気に入っているのは障害者を題材にしたものだ。このビデオには音声による対話とジェスチャー〔註2〕、生活を豊かにする情報器具〔註3〕が描かれていた。 ここに登場する技術のいくつかは実現している〔註4〕が、残りの多くは2000年までに実現できそうにない。 スカリー時代の夢の見せ方はこうだった。つまり、どうなるかわからない未来への指針として、まず壮大な夢を提示する。 実際に出てくる製品は夢の何十分の一も実現していないのだが、アップル事情通のユーザーは、スカリーが提示したビジョンを羅針盤代わりに、その中途半端な製品が今後どういった成長を遂げるかを熱く語ることができた。 熱心なMacユーザーたちは、リリースの1年以上も前から、頭の中ではSystem 7を、そしてさらに未来のOSを動かすことができ、それに興奮することもできた〔註5〕。 忠実なアップル開発者は、Kaleida社のマルチメディア技術と、アップルのポパイ(携帯型マルチメディアビューアー)で、新時代のマルチメディアコンテンツをTVを見るように楽しむ親子の姿を思い描くことができた。 そして、Macに代わるパラダイムシフトを期待していた人たちは、冷蔵庫に貼り付けたNewtonシートにその日の献立の買い物を書き込む姿や、ノート大のNewtonブックで学校の授業にのぞむ子供たちの姿、そしてスーツのポケットから取り出したMessagePadで最新の株式市況をチェックするビジネスマンたちの姿を思い浮かべることができた。 実際に出た製品は、これらの夢に遠く及ばないものばかりだった。 System 7は、まださまざまなマルチメディア情報が混在する複合文書環境を実現していなかったし、外国製ソフトでそのまま日本語が使える国際性を身につけてはいなかったし、FinderもHyperCardほどのカスタマイズ性は備えていなかった。 ポパイはおろか、Kaleida社の技術は、まったく製品化のめどが立たなかったし、Newtonもかなり後にeMateが発表されるまで、MessagePad以外の製品が出なかった。 しかし、それでも人々は、自分の手の中で動くヨチヨチ歩きの機械が、夢に向けて着実に進化をとげることを期待することができた。 スカリーの時代、コンピューター会社に求められた資質は、急激な変化の中、期待と不安に包まれている人たちに指針を提供することだった。そして、スカリー率いるアップルは、その仕事をどの会社よりもうまくやってみせた。 実際にこの時代は、コンピューター業界全体が多くの夢を語った時代だ。 アップルからスピンアウトしたKaleidaが、夢のマルチメディアパラダイムを描き出し、General Magicがエージェントを使った新しい通信パラダイムの魅力を力説すると、日本企業が我先にと大きな投資をした。 Taligentが夢のオブジェクト指向環境を語りはじめると、世界中のコンピューター会社がこれに注目した。 QuickTimeとDirectorがマルチメディアブームに火をつけると、どこからともなく現れてきたマルチメディア・アーチストが、空前のスケールのゲームをデモし、日本企業がこれを血眼になって取り合った。 これらの夢の大半は、しかし実ることなく、ベンチャー企業と投資家たちによって支えられていたはずのパソコン業界に大きな不信感だけを残す形となった。 アップルが提示した夢も例外ではなく、その多くが財政的理由で断ち切られ、これを多くの開発者たちが裏切り行為として受け止めた。だが、夢を語っていた当時のスカリーはそれを知る由もない。 ジョブズの夢の見せ方は、これとはまったく違う。 1997年8月、自らをPixar社CEOと名乗るスティーブ・ジョブズが基調講演を行うと、人々は伝説のカリスマの復活を心から歓迎した。しかし、後で講演の内容を再吟味した人々は、仇敵マイクロソフトとの電撃提携やコンテンツクリエーションと教育の2市場だけに注力するという新制アップルの戦略に、そのどこかで落胆していたはずだ。 特に後者は、ついにアップルがメインストリーム市場と決別することを臭わせていた。アップルが再攻勢をかけるという噂はいくらでもあった。しかし、この不安をかき消す1998年5月のiMac発表まで、不安はつのるばかりであった。 iMacの発売が、アップルが再びコンシューマー市場で台頭するかも知れないという夢や、メガヘルツと価格の競争に疲れつまらなくなりかけていたパソコンを再びおもしろいものに変えてくれるかもしれないという夢を見せたことは今さら語るまでもない。今、それが着実に現実に代わりつつあることもしかりだ。 つまらないサーバーOSになるはずだったRhapsodyが、実は初の本格的ネットワークコンピューターパラダイムや未知の可能性を秘めたオープンソース活動への第1歩だったことは、すでにPART Iで述べた。 ジョブズが見せる夢は、いきなり(それももっとも意表をつくタイミングで)あらかじめ形を持って登場する。大衆はその形を見て、はじめてその上に自分の夢を描き出す。 やはりこれは、時代的背景の違いではなく、性格的違いなのかも知れない。 よく考えれば、最初のMacも、何の予告もなしに、いきなりあの強烈なインパクトのある形を持って世に現れた。NeXT Computerもしかりだ。 夢の叩き売りに日本企業やウォールストリートがすっかり冷め切った今、ジョブズの夢の提示方法には強い説得力がある。 スカリーの時代には、アップルが提示した夢を、自身が実現する前に他社に叶えられてしまうこともしばしばあった。 ジョブズの戦略のもう1つの強みは、 他社が簡単に真似できないことだ。 他社がMacを真似てグラフィカル・ユーザー・インターフェースを作りはじめていた頃、ジョブズの関心はすでにオブジェクト指向にあった。他社が分散オブジェクト環境の実現に乗り出した頃、ジョブズはすでにWebベースのアプリケーション開発環境をつくりあげていた。 他社がiMacを真似てデザインに凝りはじめたとき〔註6〕、ジョブズの目はすでにネットワークコンピューターやFireWireやオープンソースを見つめていた。 彼の強みは、常に時代を二歩先取りする嗅覚〔註7〕と、つくりあげられた既成概念にとらわれず物事を本質から考え直す力、そして有無を言わせぬ不断の実行力にあると思う。 この実行力が生み出す形を目にした人たちが、それぞれの第三歩を歩き出す。三歩目はいばらの道かも知れないし、天国かも知れない。その結果が出る前に、ジョブズはまた別の場所に二歩目を踏み出している。 この資質だけは、どんなに人材や財力を揃えても真似することはできない。 ただし、受動態の夢に慣れきった人々は、次なる二歩目を待つたびに、忍耐を強いられることになりそうだ。 ■ |
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