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マンスリー・エッセイ ■9月20日月曜日(1999) |
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●はじめに アップルの動きが活発化している。2ヶ月ほど前に掲載した前節「アップル、ヒューマンインターフェース あれこれ(前編)」では、「2週間後に続く」と話半ばで終わらせたままになっていたが、それから今までの間に、iBookの発表、AirPortの発表、Mac OS 9の9つの機能の紹介、Power Mac G4の発表、そしてこれら全製品の日本での初披露があり、AirPortを除く全製品の予約受付も開始し、スティーブ・ジョブズがGap社の社外役員に就任した。時間の流れの速いパソコン業界でも、短期間にただ1社でこれだけ激しい動きを見せる会社はなかなかない。 こうした2ヶ月間のめまぐるしい変化の中で、私の頭の中にあった考えも焦点がぼやけ、もう少し下調べと準備をしなければ後編が書けない状況になってしまった。そこで、「後編」はいずれ近いうちに書くということにして、今回は別の話題に触れたい。
#6 ジョブズ &ザ・カンパニー
これまで、この連載を通して紹介する内容のほとんどは、スティーブ・ジョブズ不在時代のアップルについての話だった。しかし、最近の同社を見れば見るほど、このアップルという会社が「スティーブ・ジョブズ」の分身であることがはっきりしてくる。そう考えるとジョブズ不在時代のアップルは、一生懸命頑張ってはいたが、所詮はもぬけの殻に過ぎなかったと思えてならない。ノスタルジアが悪いとは言わないが、ただそれだけで書いてもしかたがない。この連載も、ジョブズ不在時代のアップルについて書くときには、筆者の知識や経験の中からノスタルジア以外のどんな価値を引き出せるかが、今後の課題となるだろう。 ●アップルを知るには彼を知らねばならない さてジョブズの話に戻ろう。昔、アップルを代表するエバンジェリストのガイ・カワサキがアップルの社員は6色の血を流す〔註1〕と言う有名なセリフを吐いていたが、今のアップルは戦略を練っている経営陣、宣伝を担当している広報部、製品をつくっている開発チーム、さらには製品デザインを決めている工業デザイン部(さらにはソフトウェアデザイナー)まで誰を切ってもスティーブ・ジョブズの血が流れ出てきそうだ。 役職こそ暫定CEOで持ち株は1株(*1)、年棒はわずか1ドルかもしれないが、今、スティーブ・ジョブズ以上にアップルに影響を与えている人物はいない。彼こそ今のアップルのすべてといっても構わないだろう。つまり、今のアップルを理解する最良の方法は人間、スティーブ・ジョブズを理解することに他ならない。 ジョブズの人間像に関しては、これまでに出版されたアップル関係のさまざまな書籍が必ず触れている。先見の明と商才に恵まれた天才、強引さ、傲慢さ、狡猾さ、寛大さ、子供のような攻撃性やしおらしさ、ヒッピー精神、これらすべてが混在するのがスティーブ・ジョブズ――こうしたジョブズに対するステレオタイプは8割がた間違っていないと思う。残る2割はそれぞれの度合いがおそらくわれわれ全員の想像をはるかに超えていることだ。特に天才ということに関しては。 ●Apple Confidentialに書かれたジョブズのセリフ 現在、柴田文彦氏とともにオーウェン・リンズメーヤーというジャーナリストの『アップル極秘ファイル(仮題)』(Apple Confidential)という本を訳している〔註2〕。この本の中にジョブズのこんなセリフが登場する。
アップルの業績が悪化の一途を辿り、さまざまな会社による買収の噂が後を絶たなかった1996年頃のセリフだ。当時、ジョブズは親友のラリー・エリソン〔註3〕と共にアップルの買収に名乗りをあげようと企てていたという。ここでジョブズが言っている製品が、iMacなのか、はたまたiBookなのか、それともまったく別の製品なのかは知る由がないが、ジョブズが少なくともこの時点で現在のアップルの政策の基盤を持っていたことは間違いないだろう。 さらにこの後がおもしろい。『アップル 薄氷の500日』(中山宥訳・ソフトバンク刊)の中で元アップルCEO、ギル・アメリオは自分がジョブズがアップルに復活するための道具として利用されたことを同書の節々で訴えている。 同書によれば、アップルが苦境を迎えていたある日、ジョブズ本人が当時アップル社外役員の1人であったアメリオを訪問し(*2)、ジョブズをアップルの指導者として迎え入れるように説得したというのだ。アメリオはジョブズの言葉に興味を引かれ、具体的にどんな戦略を持っているかを聞き出そうとするが、ジョブズは戦略について何1つ具体的なことを話せず(話さず!?)、結局、この会合は水に流れてしまうが、ジョブズの戦略のもっとも貴重なファーストステップが「彼が指導者になる」ことであったことは想像に難くない。 ●思い描かれたシナリオ 結局、アメリオはジョブズを指導者としては受け入れず、自らがCEOになるが、アップル社内の状況は彼の手腕を持ってしても収拾がつかないほど悪化していた。特に致命的だったのが、次世代OS戦略だ。ここでジョブズが再び現れ、まるで自分は何もアップルに興味を持っていない風を装いながら、彼の2つめの会社、ネクストのOSを会社ごと買収するように持ちかけ、彼をアドバイザーとして迎え入れさせるように説得する。 創設者の復帰は、会社のイメージ向上にもプラスになるという安易な気持ちでジョブズを迎え入れたアメリオだが、薄氷のひび割れが深刻になるのは実はこの頃からである。アップル株式の大量の売却(売ったのはジョブズだった)、エリソンによるアップルの敵対買収キャンペーンはアメリオの評判を地におとしめ、結局、指導者を失ったアップルはジョブズを暫定CEOとして迎え入れる。 これらすべてが偶然か、あらかじめシナリオがあってのことかはきっと永遠に明かされないだろう。しかし、ジョブズが'96年の時点で今のアップルの戦略の基盤を持っていた天才だとすれば、これらすべてが計算づくだったとしても何の不思議はない。 ちなみにジョブズがかつてのCEO、ジョン・スカリーにアップルを追放されたときも、彼はスカリーに態度を改めると必死に懇願する一方で、他の経営陣に根回しをしスカリー追放を企てた。この策略がスカリーの耳に入り、それが追放の決定打となった。 ●なぜ彼は暫定CEOであり続けるのか ジョブズは、なぜ暫定CEOで正式なCEOにならないかと聞かれると、今の自分には家庭があり、Pixar社があると答える。パソコンのような寿命の短い製品ではなく、時が経っても子供達に愛され続ける映画をつくるPixar社がいかに自分にとって大事であるかを力説する。しかし、ジョブズにとって本当に大事なのがアップル社であることは誰の目にも明らかだ。 暫定CEOという役職を唱い続けるのも、彼のアップルでの役割が従来のCEOの役割からおよそ外れたものであるからに違いない。アップルのCEOは、これまでに何人もいたが、おそらくQuickTime再生ソフトのウィンドウのデザインにまで口出しをするCEOはジョブズが初めてだろうし、株式を1株しか持たない経営者も、年棒がわずか1ドルというCEOもこれまでにいなかった。ジョブズがこうした常識外の行動をとれるのは、彼にとってアップルが金銭的な損得を越えた重要な存在であるからに他ならない。 アップルの歴史を振り返った最近の著作ではウォールストリート・ジャーナル紙の記者であるジム・カールトン(*3)著の『アップル』(山崎理仁訳・早川書房刊)があるが、経済紙記者の彼が一番理解できていないのはこの部分である気がしてならない。ただし、カールトンは「アップル」の中でドキっとするようなするどい洞察を書いている。ジョブズが大の競争嫌いだというのだ。 事実、ジョブズがアップル創設から今まで同社で行ってきたことはすべて競争ではなく、新しい概念、あるいは新しい市場を生み出すことだ。 ●革新とデザイン 具体的にジョブズがこれまでアップルのどの製品に深く関わってきたかを振り返ってみたい。 すべての始まりは「Apple I(ワン)」だが、よりジョブズらしさが現れてきたのは「Apple ][(ツー)」からだと言えよう。この2つはジョブズ1人の作品というわけにはいかない。そもそもの開発のきっかけも、ハードウェアデザインも、アップルのもう1人の創設者、スティーブ・ウォズニアックの技術力に頼っていた部分が大きいからだ。 だが、これらを完成したパソコンとして(*4)あのような形で世に送り出し、販売したということに関してはジョブズの影響が色濃くでている。ジョブズの影響がなければ、Apple I/][はいずれもマニア向けの(あるいはウォズニアック個人の)組み立てキットとして終わってしまっただろう。 さらに製品ではないが、アップルという社名〔註4〕や有名な6色リンゴのアップル社ロゴもジョブズの手によるものだ。6色を分け隔てる黒い線がないこのロゴは印刷が難しいが、これもジョブズのこだわりの1つだ。 ジョブズにとってアップルという会社と同等かあるいはそれ以上に大事な存在が「Macintosh」だ。彼はMacの開発においてもその筐体デザイン、起動時間、ソフトウェア(OS)の反応、製造方法〔註5〕、持ち運び可能なモニター一体型デザイン、開発者とユーザーを切り離したソフト・ハードデザインのブラックボックス化、ファンを内蔵しない設計など微に入り細をうがったこだわりを見せている〔註6〕。Macの開発中もすでにMacがどういうパソコンであるべきかというイメージは彼の頭の中で完成しており、開発者達にはそれにしたがって指示を出していたという。 Macの開発に関してはとにかくおもしろい逸話が多い。例えばそのデザインにしても、頭の突き出たLisa(*5)はクロマニヨン人風で醜いなど彼の趣向を伺わせる発言をいくつか残している。あまりにも有名な「1984」(*6)の広告もジョブズなしでは生まれなかった。残念なのはこうした当時の逸話を記した書籍の大半が今日では絶版となっていることだ。 ●ジョブズの先見性 LisaやMacで来るべきGUI時代を先取りしたジョブズだが、つづいて来るべき卓上出版の時代も先取りした。パソコン本体より高価なレーザープリンターを発売させたり、当時まだ海のものとも山のものともつかないPostscriptという技術を採用させる英断はジョブズでなければなし得なかっただろう。 アップルを辞めNeXT社を興したジョブズだが、ジョブズの先見の明はそこでも光っていた。多彩なOS環境を実装できる核OS〔註7〕、Machの採用〔註8〕や完全にオブジェクト指向なソフトウェア構造〔註9〕、大容量の光磁気ディスク(MO)採用などはそのほんの一例に過ぎない。 その後、長い年月を経てアップルに復活したジョブズの活躍は読者諸賢のよく知るところだろう。 アップルはプロ用とコンシューマー用、デスクトップ型とノート型という4つの製品カテゴリーに絞った戦略を発表した。Power Mac G3/G4やPowerBook G3にも少なからずジョブズの影響が出てはいるが、ジョブズの影響がより色濃く出ているのは小文字の「i」で始まるコンシューマー向けシリーズであることは間違いなく、プロ用製品の開発に関する情報は漏洩しても「i」シリーズに関する情報がほとんど漏れないというのもおもしろい事実だ。 ●アップルの復活祭はいつか ジョブズ復活でアップルは生まれ変わった。これは間違いない事実だ。では、アップルの復活祭はいつになるのだろう。 ネクスト社がアップルの次世代候補にOPENSTEPを採用しないかと話を持ちかけた1996年の11月頃だろうか? それともアップルがネクスト買収を発表した12月20日? はたまたジョブズがアップルの基調講演に初めて姿を現した1997年1月のことだろうか?〔註10〕 暫定CEO就任直前に、なんとPixar社CEO(兼アップル社外役員)という肩書きで登壇した1997年MACWORLD EXPO/Bostonの基調講演もそれはそれで印象深いものだったが、これはジョブズが自分の頭にある新しいアップル像を具現化する上での地ならしのステップに過ぎない。 もぬけの殻だったアップルが、新しいアップルとして生まれ変わる第1歩を踏み出した本当の意味での復活祭は、1997年11月10日だったと筆者は考えている。この日、暫定CEOに就任し、互換機戦略に決別したジョブズは、最初のMacintoshを発表したのと同じクパチーノ市デ・アンツァ大学のフリント講堂の壇上に立ち、暫定CEO就任後、初のMacであるPower Mac G3を発表し、Apple Storeを立ち上げ、そして「Think different」という言葉を口にした。 筆者の有力な情報筋の1人は今年も同じ11月頃、同じフリント講堂で何かが起きそうだという。復活から2年目を祝うアップルがどんなニュースで我々を驚かせてくれるかと思いを馳せ始めると、今から11月が楽しみでならない。
*1)ちなみにジョブズはアップルを離れてネクスト社を起こしたときも1株を除いてすべてのアップル株式を手放してしまった。1株だけ手元に残したのは株主向けの報告書を受け取るためだ。 *2)これはおそらく、ジョブズがエリソンと共に最初にアップル買収を企てた直後のできごとだ。 *3)筆者はジム・カールトン氏自身とは非常に親しくさせていただいている(筆者とカールトン氏の初めての子供――いずれも長男――が'98年2月生まれということもあり最近では会うと子供談義に花が咲く)し、彼が「アップル」の執筆にあたり膨大な数の関係者にインタビューし、驚くべき歴史的真実を明かしたことには敬意を表している。 *4)当時はまだパソコンという言葉すら一般的ではなく、いわゆるパソコンはマイクロコンピューター(日本では個人用コンピューターのmy computerにもひっかけてマイコンと呼ばれた)と呼ばれており、さらにApple I/ ][が登場した当時、ほとんどのパソコンは購入者が組み立てるのが当たり前だった。筆者が知る限り初めて組み立て済みパソコンとして発売されたのはApple ][だ。ところで、ジョブズ在任中のアップル製品の名前はこのように数字部分がローマ数字で表されている。さすがにG3の「3」はローマ数字に直されないが、来年、登場する次世代OSの名前がMac OS 10ではなく、Mac OS Xなのは興味深い。ローマ数字の採用というのもジョブズの趣向なのかもしれない。 *5)ジョブズは最初はLisaの開発にも携わっていたが、後で経営陣に開発チームから外され、ジェフ・ラスキンが開発をしていたMacチームをのっとってしまった。 *6)この広告に関しては今更触れる必要はあるまい。筆者は米国の大学で広告の授業を取ったことがあるが、そこでも教科書でたっぷりと紹介されていた。ちなみにこの広告は1984年1月のスーパーボウル試合中にただ1度だけ流されたと言われているが、実際には前年の12月の深夜帯に地域限定で1度だけ放映されている。 ■ |
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1999 by Nobuyuki Hayashi, Boiled Eggs
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