ぼくの小説作法
……・ときどきサンドイッチ作り・……
大石大
第2回 死神を語る
2023.05.15

 サイン会にトークイベント、講演会やテレビ・ラジオへの出演など、小説家は意外と人前に出る仕事が多い、というイメージがあった。投稿時代、もし小説家になれたらこういった仕事もたくさん体験してみたいと願っていた。
 その願いは、デビューしてすぐに叶った。三年半前にデビュー作を刊行した際、出身大学で在学中にお世話になった先生とトークイベントを開かせてもらったのだ。ただ、その後はコロナ禍に入ったことと、残念ながら刊行した作品がさほど注目されなかったこともあり、この手の仕事とは縁がなく、家でおとなしく原稿を書く日々が続いた。
 だが、先月、オンライン上ではあるものの、久々に人前で話す機会に恵まれた。
 ボイルドエッグズに所属する小説家に、マーニー・ジョンレビーさんという、ふだんはアメリカの大学で日本語を教えている方がいる。授業では日本の小説を読み、みんなで議論をしたり、レポートを書いたりしているらしい。彼女の授業で、僕が昨年刊行した小説『死神を祀る』を取り上げることになったらしく、その際にゲストとして来てもらえないか、という依頼を受けた。海外の読者の意見をじかに聞くことのできるチャンスなどそうそうないだろうと思ってこれを快諾し、4月5日、Zoomで授業に参加させてもらった。
 僕は話せる英語が「Hello」と「Thank you」と「I can't speak English」の三語しかないので、もし英語を交えながらの授業だったらどうしようかと内心不安だったのだが、学生たちはみな、本当は日本で育ってきたんじゃないかと疑いたくなるほど日本語が堪能だったので、安心して話をすることができた。
 一時間ほどの授業の中で、学生たちの感想を聞き、彼らの質問に答えた。
 この『死神を祀る』は全六話からなる連作短編なのだが、その中にある『封印された民話』という短編が好みだと語ってくれる学生が多いのが印象的だった。
『封印された民話』は、主人公がその街に建つ不思議な力を持った神社の謎を解くために地域の民話集を読み込んでいく中で、あることに気づく……という内容なのだが、この短編、書評やネット上の感想を見る限りではあまり人気がないらしく、言及されているのを見ることはほとんどなかった。どうして日本の読者とは異なる傾向が出ているのだろう、と不思議に思っていると、マーニーさんの「アメリカは新しい国なので、民話がないんです」という言葉で腑に落ちた。
 アメリカは巨大な国だけど、よく考えると、今の国の形ができてからまだ二百数十年しか経っていないのだ。そんな国で育つ彼らにとって、ひとつの物語が数百年、あるいは千年以上にわたって語り継がれているというのは新鮮に映ったのかもしれない。
 もうひとつ、強く印象に残った意見があった。
 これはマーニーさんからの感想で、若者と年寄りのやり取りが、定型からずれているのが面白い、とのことだった。『私の神様』という、女優を目指す女子高生を主人公にした短編の中に、大きな夢を抱く主人公に対して、年配の教員がもっと現実的に将来を考えろ、とたしなめる場面がある。「ふつうは若者が夢を語れば大人はそれを後押しするものなのに、この先生は逆に止めようとしているのが印象的だった」というコメントをいただいた。
 正直、最初はピンとこなかった。小学生ならともかく、高校生が大それた夢を語り出したら、素直に応援するのをためらう大人は決して少なくないように思える。僕がこの場面を書いていたときも、読者の意表を突こうというつもりはまったくなかった。
 どうしてマーニーさんはあの場面を面白いと感じたのだろう、と、授業が終わったあとも考えているうちに、昔、怪しげな自己啓発系の集まりに危うく足を踏み入れかけたときのことを思い出した。
 その集まりで出会った人が、「夢」と「dream」の違いについて語っていた。曰く、日本語の「夢」は基本的に「絶対に叶わないもの」と捉える一方、英語の「dream」には「必ず叶えるもの、叶うもの」という前向きな意志が込められているらしい(そして、これだから日本人は駄目なんだ、我々も大きな「dream」を追い求めなければいけないのだ! と、その人は力説していた)。
 今、あらためて手元の辞書で確認すると、「夢」には睡眠中に見るもののほかに「将来実現させたいと思っている事柄」という項目ももちろんあるのだが、「現実からはなれた空想や楽しい考え」や、「心の迷い」、「はかないこと。たよりにならないこと」など、夢を非現実的なもの、マイナスのものとして捉える傾向が強かった。
 一方「dream」は、名詞では「眠っているときに見る夢」と「実現させたいと思っている夢」の二項目のみがあり、後者の例文として「彼女には医者になりたいという夢がある」、「夢は宇宙飛行士になることです」、「わたしの夢が実現した」と、夢が叶わないことなんて想像すらしていないかのような力強さを感じる。また、動詞の「dream」は「夢見る」という意味があり、例文では「ここであなたに会おうとは夢にも思わなかった」と、起こるはずのない出来事が起こった、というニュアンスで使われている。
 よく考えてみれば、アメリカには「アメリカンドリーム」という言葉がある一方で、僕たちは「人」と「夢」を組み合わせて「儚い」と書く文化の中で育っているのだ。アメリカの学校では、日本とくらべて大きな夢を抱く子どもが多くて、大人たちはそれを存分に後押ししてくれるのかもしれない。だからこそ、アメリカの読者には、子どもが壮大な夢を持つことをまるで悪いことであるかのように捉える先生の姿が、意外なものとして映ったのではないだろうか(というのが僕の仮説です。見当違いの意見だったら、マーニーさん、ごめんなさい)。
 同じ小説を読んでも、属する文化圏が異なれば、感じ方も違ってくることを身をもって学んだ気がした。アメリカの読者とのやり取りを通して、両国の違いについて考えることができたし、僕たちの持つ歴史や価値観を客観視することができた。僕が学生たちの学びになるような話ができたかどうかはよくわからないけど、僕自身は、とても得るものの多い時間となった。
 貴重な機会を設けてくれたマーニーさんには感謝しています。どうもありがとうございました。
 人前で行う仕事は、緊張はするけれど、刺激を得られるし、勉強になるし、何より楽しい。
 というわけで、来月には新刊も出ることですので、関係者の皆様、取材や各種イベント等、依頼をお待ちしております。たいていのことは喜んで引き受けるので、ぜひともよろしくお願いします。


著者プロフィール

大石大(おおいし・だい)
1984年秋田県生まれ。法政大学社会学部卒業。『シャガクに訊け!』で第22回ボイルドエッグズ新人賞を受賞(2019年2月1日発表)。受賞作は光文社より2019年10月刊行された。2020年、短篇「バビップとケーブブ」が「小説宝石」12月号(光文社)に掲載。2021年5月、単行本第2作『いつものBarで、失恋の謎解きを』を双葉社より刊行。2022年5月、単行本第3作『死神を祀る』を双葉社より刊行。短篇「シェルター」が「小説宝石」7月号(光文社)に掲載。短篇「危険業務手当」が「小説宝石」8・9月合併号に掲載。2022年10月、『シャガクに訊け!』が文庫化、光文社文庫より刊行。2023年6月、光文社より新作『校庭の迷える大人たち』刊行予定。

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