文 ● 石岡琉衣 画 ● 石岡ショウエイ 2011年4月11日

Episode1 まどろみに浮かぶ小舟より

 カーテンを閉じていないため、窓から入る光の加減で陽がすでに高い位置にあることを察する。いつものように、朝とはいえない時間の目覚め。
 ぼんやりとした意識の中、あお向けに寝ている僕は右腕にしびれを感じまぶたを開けたところだ。右目しか開かないが、これもいつものこと。理由は僕が数々の戦場で名をあげた隻眼の剣士だから、でもなんでもない。
 右目が二重で左目が一重、二重の目のほうが軽いのだ。
 右目はよく油のさしてあるシャッター。左目は売り上げのよろしくない閉店間際の商店のシャッター。そういった店がシャッターを半分しか開けずに、開店中なのか休憩中なのかわからないことがあるように、日常の僕の左目も右目に比べれば半開きだ。視界の広さは数字の8を左に倒した感じ。決して左右対象な、無限をあらわす記号「∞」のようではない。
 さて、ピンぼけながら左目よりはずっと働き者の右目が右腕のしびれの原因を認識した。
 ――やれやれ、またかよ。
 僕の右目が確認したのは、僕の右腕を腕枕にして眠る知らない女。いや、知ってる女かもしれないが、目を閉じているとよくわからない。そしてそんなことはどうでもいい。
 この女も目を覚ませば、前夜の酒の勢いに任せての秘め事(秘める気持ちなどお互いさらさらないのだが)に少しばかりの羞恥心を感じ、それでいつつもそれを表情に現わさず、さばさばとした態度で散らかった下着を身につけ、身だしなみを整え、落としてない化粧にあらたにいろいろと書き重ね、「んじゃまた」などと言ってこの部屋を出て行くのだ。
 またね、って言葉に深い意味はない。また、があるかどうかなんてお互いにわからない。仮にあったとしても、どうせ互いに忘れてしまっていて、初対面として接することになるだろう。
 これまでにこのベッドの上で息を弾ませた女の数など覚えてはいない。これからも増えていくだろうが、数える気などない。抱いた女の数なんて、歩道に黒い染みのようにへばりついているガムの数をカウントするくらいどうでもいいことだ。
 
 ――ふぅ。
 こんな風に僕は嘘をついて生きていくのだ。正確には、妄想を執筆して生活のための対価を得ようと考えているわけだ。
 石岡琉衣、ただいまの時刻、小説家としての処女作が刊行される数カ月前。ただいまの居場所、ほとんどの時間を過ごす、自室のベッドの上。
 前述の話、どこまでが本当で、どこからが嘘?
 別に知りたくもないだろうが、ちょっとだけ本当のことを言うと、僕はこの数年間、アルコールの類を飲んだことはない。
 酒を飲まないなど、人生の楽しみの半分を失っているようなものだ、なんて言葉を聞いたことがある気がするが、ほっといてほしい。かわりに人よりも余計に飲んでいるものがあるぞ?
 薬。いや、「クスリ」とカタカナ表記したくなるほど、ヤバい感じで僕はそいつらに人生を支配されている。現在、一日十八錠。酒と同じく、飲んでも飲まれるな、と言いたいところだが、見事に飲まれている。その証拠に――
「あんたってさ、仮にお酒を飲めたとしても、その流れで女を抱くなんてことは無理でしょ? あれって勢い任せのようでいながら大概の場合、実は勢い任せを『装った』計算高さがいるのよ?」
 えっ、あれ……? いや、なんでもない。その証拠に――
「そもそも誰があんたみたいなのと飲む?」
 …………。やはりなにか幻聴が聞こえる気がするが、なんでもない、ことにする。その証拠に――
「いや、危険度ゼロってことで安心して酔っぱらえる相手として選ばれる可能性はあるわね。ただしそれはあんたが男だと認識されてないってことを意味するわけだけどね、あっはっは」
 ああ、僕はオーバードーザー、いわゆる、ラリっている状態なのだろうか……。
 幻聴だけではない。僕はとうとう、幻覚まで見るようになってしまった。いや、以前から少しはあった。だが携帯電話のないところから着信のバイブが聞こえたり、着信アリの青色の点滅が見えたり、その程度だった。
 今回のはかなりのものだ。
 猫だ。壁に向かって横になっている僕の目の前に、小さな猫が着地した。そして小さな手を小さな舌でペロペロとなめはじめた。その小さな手にくっついている、小さな小さな肉球をさわりたい衝動を抑えられず、僕は手を伸ばした。
 だが届かない。いや、距離的には届いているのだが、僕の指先に「ふれている」という感覚がない。まるで3D映像のごとく、実体があるようで実体はなかった。
 あきらめ悪くそのふれられそうでふれられない子猫のいるあたりで手をゆらゆらさせていると、その子猫がしゅっと一歩後退し僕の手をひっかいた。
「ほら、やっぱり女の扱い方がわかってない。そんなさわり方があるかっつーの」
 女、というからにはメスなのか……。
 僕はさっきからの声の主がこの子猫だったことにも、心を読む力を持っていることにも驚かず、さらに、向こうからは一方的に僕にふれられるってことにもさして驚かず、ああ、この子猫はメスなんだ、とぼんやり考えていた。そして女の扱い方をわかってない、って指摘に心から賛同した。
 
 僕の名は石岡琉衣。
 テレビ局で報道記者をやり四百万円のカメラをぶっ壊したり、週刊少年ジャンプって雑誌で不道徳な漫画を連載したり、認知症になったり、ビルの屋上から飛び降りようとしたり、この夏に某新人賞を受賞した『白馬に乗られた王子様』という小説が刊行予定だったり、前例があるのかもよくわからない非常に不快で不自由で不都合な脳の病を患っていたり、メロンパンが大好きだったりするのだが、もしかしたらいくつかは夢の話かもしれない。石岡琉衣と名乗っておきながら、石岡ショウエイ、石岡昌英、など他にいくつもの名が浮かんだりもする。
 僕はベッドの上でほとんどの時間を過ごす。仕事も、仕事らしきものも、それ以外のことも。気づいたら、寝ている。気づいたら、起きている。気づいたら、どっちがどっちかわからなくなっている。
 この安作りのベッドは、まどろみという名の水面に浮かぶ小舟だ。
 僕はこれから、夢かうつつかわからない狭間のように不可思議なこの場所から、エッセイのような、妄言のような、戯れ言のような、虚言のような、とりとめのない言葉を、誰に対してということもなくつづっていくことにしよう。僕にしか見えないであろう、この口の悪い子猫とともに。
 まずはこいつに名前をつけよう。いや、すでにあるのか?
                              (続く)

イラスト●石岡ショウエイ

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