|
『きょうのお料理』が第百回で最終回を迎え、またよく似たタイトルで新しい連載が始まった。最終回の内容が内容だっただけに、計算ずくか、それとも心境の変化から連載に終止符を打った、と思われているみたいだが、まるでそんなことはなくて、区切りがいいから第百回を最終回にした。
誰が決めたかウイスキーのワンショットは1ジガー・45ml。同じ酒を飲んでも、二杯目は一杯目と同じではない。ピッチャーの第一球目と、二球目も違う。一番風呂と、二番風呂も、またしかり。あたらしい連載は、そのくらい変わることができれば御の字と思っている。
#1 あなたがいちばん好き
年末に大掃除をかねて仕事場の模様替えをした。
仕事部屋は机や椅子を入れ替えたことはあっても、模様替えとなると四年ぶりだ。『やきそば三国志』、『花開富貴』、『電光の男』は、十二畳の洋間を天井まである書棚で半分に仕切ったこの部屋の、間仕切り代わりの書棚のほうを向いて書き上げた。こうすると窓は左、ドアが右。コンピューターのモニターから顔を上げると、書棚の中段にある獅子文六全集の帯の、子役タレントの写真と目が合うことになる。この巻に収められた『胡椒息子』がテレビで好評放映中という宣伝の写真だ。古い印刷だから背景の青空の色が時代掛かったおかしな色をしていて、丸顔の少年はいかにも演技っぽい目をして笑っている。
そして、今度は机の向きを
ドア側へ九十度
回した。
いまは胡椒息子に左横顔を眺められながら、薄あずき色の壁を向いて、この文章を書いている。正面の方向が変わると、書くものは変わるのだろうか。効果の程はわからないが、部屋の中のいままで見えなかったものが見えてくるから面白い。
壁紙の継ぎ目の隙間がだいぶ広がっていた。無くしたとばかり思ってい本が、棚の上に置きっぱなしになっているのを見つけた。使いがっての悪い書棚のいちばん下の段に押し込んだ段ボール箱に目を留めるのは、十二畳を間仕切って仕事部屋にしたとき以来かもしれない。
綿ぼこりが積もった箱と中身は上京したときからずっといっしょで、いまの家に越してきたときは封さえ開けなかった。風化してボロボロになったガムテープを剥がしたら、段ボールがちぎれて崩れた。中はどうでもいい記念写真や書きかけのノートなどのガラクタだ。
痩せていた頃の自分、どうしても名前が思い出せない友だち、何年も会っていない親類が写真の中でこっちを見ている。詩集の草稿もあった。ページを繰ると、書いた憶えのない詩が残っていた。
約束があったので、ノートを閉じて家を出た。
十二月の末、知人を介してかなり前に知り合った女性から電話があった。彼女と話すのは、かれこれ十年ぶりだった。彼女は、知人つながりの某君から私の近況を聞いてなつかしくて電話を掛けた、と言う。そのとき、私は食事をする約束をしたのだった。
待ち合わせ場所にやって来た彼女は、以前の彼女とどことなく印象が違った。二十年前の太眉ほどではないが、この十年で女性の化粧はだいぶ変わったから印象が違うのかも知れないし、彼女が歳を重ねたせいかもしれない。
彼女に限らず、二十代のはじめは顔と性格と雰囲気がチグハグで、その三つがしっくりこない。これが歳とともに、顔が人格に、人格が顔に追いついて、雰囲気が安定する。彼女は、三十代の半ばにさしかかろうとしている。
私たちは食事をし、バーで酒を飲んだ。
昔から、彼女とは話が弾まない。こちらはふんふんと聞き役に回るばかりで、互いの性格が噛み合うことがない。
しかし、退屈はしなかった。若くはない独り身の、ふたり。この先、何かが待っているような気配を醸し出してみたり、否定してみたり。ドラマの配役としては、なかなか興味深いキャスティングである。会話は噛み合わなかったが、互いにシナリオを進める息は合っていた。
十年間会わない間に、彼女になにがあったのか。点から点へ移り行き、みるみる消え去る話題をジグソーパズルを埋めるように想像の中で繋いでみる。それが、結末が知れぬ台本になる。
彼女の恋愛譚を聞くのは、この日がはじめてだった。
手品の種明かしを見せられると、そのときは感心するのものだが、すぐに「なんだ、つまらないものを見た」と観客はしらける。だから、女はなかなか服を脱がないに違いない。しかし、彼女は冬だというのにノースリーブを着て、無防備なくらい丸くたおやかな肩を晒し、じらすように断片的な過去を口にする。
好きな子ではないから、何の期待もなく、深く考えず寝ることができる。
私は酔いが加速したような気がした。
そして、朝。
「あなたがいちばん好き」
別れ際、彼女は笑って言った。
私は、彼女のなで肩を思い出し、ふたりで暮らしはじめることを考え、すばやく打ち消す。
この再会は四年ぶりの模様替えのようなもの。すぐ飽きる。ふたりとも互いが
ガラクタの山
なのを知っていて、だから十年間もほったらかしにしていたのではなかったか。
段ボール箱から、高校生のとき書いた未完の詩が出てきた。
ぼくは、ぼくがいちばん好き。
きみは、きみがいちばん好き。
ぼくがいちばん好きなぼくを、きみは知らない。
きみがいちばん好きなきみを、ぼくは知らない。
彼女のことは、知らないままでいい。
一夜の記憶は、ガムテープを貼って封印した。
■
|