新人作家の新・食エッセイ
6月
7日月曜日

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 #11 夏のブレンデッド

 

 暑かったり、涼しかったり。日々梅雨入りが近づく。
 陽射しは一人前でも、さほど蒸し暑さを感じないある日。神田のMで蕎麦を食った。

神田は夏が似合う、

と勝手に思い込んでいる。なぜ、と問われても理由は定かではない。九段下からお茶の水そして秋葉原と歩けそうな気がして、これまでに何度か無茶をやった。汗をかいて、陽射しに目を細めて、はあはあ息をしながら歩いた記憶が、神田を夏の街と思わせているのかもしれない。だからといって不快な思い出ではない。ある種の解放感が、その気にさせるのだ。まあMなら神保町の駅からたいして離れていないから、力む必要はない。陽射し、街並み、人込み。道筋の何もかもが適度である。
 Mの店内には、注文を受けてから調理する故時間がかかると貼り紙されている。天ざるを注文して、貼り紙通り待った。待つと言っても、たいそう待たせるわけではない。蕎麦を茹で天ぷらを揚げる時間を待つだけである。つまり、待たずに食べられる天ざるは、どこかでなにかを省略しているわけだ。
 隣の客は、老社長と若い女の秘書といった感じだった。老社長は痩せた体にスーツをきちんと着込み、卓の下に垣間見える秘書の細い脚は白っぽいストッキングで覆われている。もり蕎麦だけが、ふたりの前にちょこんと並ぶ。あっさりしすぎて物足りないのでは、と秘書のことを思った。それくらい彼女の若さは際立っていた。しかし、そんな気配をおくびにも出さない。その様子が遠慮して縮こまっているのではなく、なぜか老人とひとしく渡り合っているようにも見える。
 なぜ、そう見えたのか。神田が夏の似合う街だと思うのと同じで、合理的な説明はできない。敢えて言うなら、いまどきの子らしい顔つきに不釣り合いな老成したなにかを全身から発散しているからか。これがひどくアンバランスなようで、きわどく調和している。
 ふたりは終始無言で蕎麦をすする。蕎麦だから、どうしてもうつむき加減になる。老人と若い娘が黙って食事をし、しかも夫婦みたいに息があっているさまは、どことなく

グロテスクでありエロチック

である。
 私の注文した天ざるが届く。Mは天ぷらを揚げながら次々と出す。だから蕎麦は清らかに冷たく、天ぷらは限りなく熱い。旨い。
 老社長と若い女の秘書が食事を終えて席を立った。
 ふたりは他の客の目も引いたようだ。
 ひとつ向こうの席の女性客が声高にしゃべっている。
「なんか、お人形さんみたい」
「そう。表情がないというか」
「感情ってものが感じられないわね」
「かわいいけどアンドロイドね」
 Mに似合わぬアンドロイドという言葉が耳にこびりつく。
 わかっちゃいないな。どうでもいいけど、私は彼女をアンドロイドというより、しとやかでしたたかだったと思いたい。
 その夜、某酒場へ。バーテンダーを相手に、ウイスキーをオンザロックスであれこれ飲む。注がれたウイスキーが、七年ものを中心に二十年ものの貴重な原酒をブレンドしていることが話題にのぼる。
「二十年ものだけ飲んでみたいね」
「というお客さんがいて、シングルモルトが流行るのではないでしょうか。これを突き詰めると、シングルカスクになります」
 ブレンドせず単一蒸留所の大麦から醸した原酒のみを調整して瓶詰めしたものをシングルモルトウイスキーという。しかし、同じ蒸留機から滴り落ちたといっても、ひと樽ひと樽熟成の傾向が違う。そこで樽単位で瓶詰めするとシングルカスクウイスキーと呼ばれ、より個性と趣味性が際立つ。
「ブレンデッドウイスキーよりシングルモルトやカスクのほうが偉いみたいに言う酒飲みがいるね」
「余計なことをしていないようで、純粋な感じがするのでしょう」
「そんなのがどこにいるか知らないけど、何も知らない無垢な処女といったところかな」
「無垢どころか、猛女みたいに強いのもありますよ」バーテンダーは少し笑ったみたいだった。「でも、シングルカスクだって樽からそのまま瓶詰めしているわけではありません」
「そうだ。濾過しなかったら、澱が出て濁ってしまう」
「冷却濾過というんでしたか。あれでだいぶ味がすっきりします」
「らしいね。とはいっても、素材は素材だ。シングルカスクを出荷するブレンダーはどんな気持ちかね。作家なら推敲前の原稿を見せようとは思わない」
「答えになってはいませんが」とバーテンダーは断って、「甘くまとまりのよい原酒ばかりでは腰の弱い酒しかつくれません。強く個性が際立った荒い原酒が、ブレンドに厚みを与えることもあるそうです」
「荒さも味のうちか」
「ええ。密かに味を際立たせるのです」
 ブレンデッドウイスキーが、ロックグラスの中でふくよかな香りを放っている。ブレンドされた原酒の違いはもとより、モルトとグレーン(大麦以外の穀物からつくる原酒)の割合さえさっぱりわからない。それでも荒ぶるカスクや温和なカスクの調合比率を想像するのは楽しいものだ。
 グラスを空にする。
「お次いかがしますか」
「きょうはこれで打ち止めにしよう」
 蕎麦屋にいた若い女を思う。
 しとやかさにしたたかに隠された未知の味わい。彼女の封を切り、蓋を開け、グラスに注ぎ、口に含み、ゆっくり味わうのは誰か。
 今夜はすこし飲み過ぎたみたいだ。

 
 
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