新人作家の新・食エッセイ
6月
21日月曜日

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 #12 乗り換え駅にて

 

 限りなく昼に近い朝。私はターミナル駅で電車を降りた。
 改札近くのカフェスタイルのパン屋。ガラスの壁にカウンターが巡らしてある。店内に見るべきものがないので、しかたなく窓の外へ視線を向ける。
 右から左、左から右へ行き交う人々。女性はノースリーブが少なくない。男も上着を脱いでいる。ここ数日、降ったりやんだりの天気。蒸している。店に入ったときはエアコンの冷気を感じたが、いまはあまり快適ではない。表はもっと蒸し暑いはずだ。
 私は中途半端な時間をつぶすため、遅い朝食をのんびり食べる。
 コーヒーのラージ、野菜のサンドイッチ。コーヒーは薄く、サンドイッチはマヨネーズが甘い。値段なりの満足、といったところだ。そして、ガラス越しとはいえ目の前を乗降客が通り過ぎる。コッチとソッチ。互いに無関心を装う。店を出れば食べたものの名前さえ忘れてしまうような、どうでもいいひとときになるはずだった。
 乗降客を縫うようにして、駅員が駆けて行く。ただ事でない雰囲気。切符売り場。老人が腰に手を当て

券売機の前で踏ん反り返って

いる。駅員が機械の前から離れるよう促すが、老人は従わない。老人の後ろに列をつくっていた人たちが文句を言っている。もちろん会話は聞こえない。駅員は列の人々に頭を下げる。不承不承という感じで他の列に散って行く。駅員は悪くない。それは遠目にもわかる。老人が勘違いをしているか、わがままを通そうとしている。その券売機の前だけ、ぽっかり穴が空いたように誰も寄りつかなくなる。
 老人がこちらを向く。
 似ている。Xさんかもしれない。だが、しかし。
 Xさんは、以前私がいた会社の人だ。会社が買収されて居場所を失ったとは聞いたが、それからどうなったか知らない。
 Xさんは部署にこだわらず若手社員に気前よく昼飯をおごるような人だった。酒も飲ませてくれた。休日出勤の日は、さりげなく差し入れをする。予算が少ない仕事では、率先してロケバスのハンドルを握った。「いざとなったら俺が責任を取る」が口癖だった。仕事で目立つ成果をあげたわけではないが、着実に昇進した。
 あるときXさんが私の部署の長になった。
 Xさんの初仕事は、部員との面接だった。社内では話しにくいこともあるだろう、と会社近くの喫茶店が面接の場となった。
「上司として、部下のありのままの気持ちを知っておく必要があると考えてね」
 とXさんは言った。現状に不満があれば率直に話してくれ、という意味だった。
 中堅クラスの地位にあった私は、会社の旧態然とした管理体制が現状に合っていないことなどを話した。
「なるほど」
「改善に力を貸してもらえませんか」
「俺が?」
 面接は唐突に終わった。
 後日、取締役に呼び出された。Xさんに喋ったことが、つつ抜けになっていた。会社のやりかたが気に入らないのか、と凄まれた。驚き、混乱した。同じ部のZさんに相談した。ZさんはXさんの数年後輩で、私よりはるかに年上である。
「ばかだなあ。ゲシュタポを信用するなんて」
 アメとムチという言葉があるが、Xさんはアメばかり。だが、密告は秘密警察なみに日常茶飯事で、平気で部下を裏切る。これでZさんは地方に左遷。本社に復帰してからもあることないこと役員に告げ口され仕事を邪魔された。Xさんは密告で横取りした利益を自分のものにせず、誰かに譲る。敵をつくっても、その十倍の味方がいればサラリーマン生活は安泰。夢は誰からも脅かされない地位を得て定年後も会社に残ること。
 Zさんの言うことが、俄には信じられなかった。だが、後にZさんなみの経験をし、Xさんの本性を思い知らされることになる。
 そのXさんに似た老人が、駅員を相手に揉めている。
 駅員が肩口を小突かれ、のけ反る。別の駅員が応援にやって来て小突いた腕を掴む。老人は駅員に引っ張られ、駄々っ子のように腰を落として踏ん張る。醜態。見られたものではない。面白半分に見物していたが、気分が悪くなった。窓際のカウンターに座った偶然を、私は呪った。
 その夜、Zさんに会いに行った。
 Zさんは万年課長のまま停年退職し、いまはバーの主。
 倉庫だった小さな地下室。お金がないから掃除から始め、こつこつひとりで改装した。だから、半年間音信不通だった。六カ月は冷却期間だったのか、それとも再出発のための暖気運転だったのか。勤続年数に比べたら、あっという間のできごとだったろう。
 白い壁に石の床。メニューにはカクテルも載っているが、ビールとウイスキーとジンの店だ。陰ながら手助けしてくれる人があり、一流店の料理が注文できるのが自慢。もうひとつの自慢は、奥の事務室。押し入れにつくった秘密基地みたいな小部屋だ。昼はここで好きな本を、好きなジャズを流しながら心ゆくまで読む。夜になると、若い友人たちが飲みに来る。てんで客の入らない日もある。しかし、いつ行ってもZさんは飄々としている。
 今夜はまだ客がない。ギネスを注文する。ジャズの話とかカメラの話をする。Zさんはウーロン茶を飲んでいる。他所のバーなら「奢りだ。ビールでも飲みなよ」と勧めるところだが、私は後輩だから黙っている。
 口にしないことは、ほかにもある。
 会社時代の話。嫌いなヤツの話。
 ギイとドアを開けて団体さんが来た。
 トップバッターの仕事はここまで。勘定をして、そそくさと店を出る。
 陽が落ちたら涼しくなった。
 坂の街。てっぺんまで登りきると、

都会には珍しく

月がくっきり輝いていた。

 
 
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