新人作家の新・食エッセイ
7月
12日月曜日

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 #13 自然の摂理

 

 夏のズボンを買った。
 サイズは去年より二インチ細い。
 ひとり身になってからの八カ月間の変化。痩せて身軽になったとはいっても、過ぎた時間まで取り戻したわけではない。あくまでも四十を目前にした男なりの痩せかたであり、身軽さである。結婚して得るものがあれば、失うものもある。別れて失うものは大きいが、得るものも少なからずある。胴回りの変化は得たものか。

失った結果か。

まあ考えかた次第だ。
 新しいズボンを穿いて女と会った。
「この先、いいことなさそうだわ」
「まったくだな」ほんとうのところはわからないが、たぶんそうなのだろう。「これっきりにしたほうがいいみたいだ」
 いつだって男が誘って始まるのだから、すべての責任は男にある。というくらいに考えて、口答えすべきではない。
「なにかあったら電話ちょうだい」
 女は心にもないことを言う。
 金輪際なにも起こらない。したがって、電話を掛けることはない。
 次のことを考える。女も次のことを考えている。
 週末のファミリーレストラン。私は満杯の駐車場を後にする。女は駅のほうへ歩いていく。車を自宅の方角に向けたものの、帰る気持ちになれない。都心へ。地下のバー。うっかりビールを注文して、車で来たことを思い出す。
「お仕事帰りですか」
 美しい女性バーテンダーに聞かれ「そうだ」と嘘をつく。他に客はいない。静かだ。止まり木越しの会話で自分を取り戻す。そして、思う。
 ――ひとは女に生まれない。女になるのだ。人間のメスが社会のなかでとっている形態は、どんな生理的・心理的・経済的宿命がこれをさだめているのでもない。文明の全体が雄と虚勢体との中間産物をつくりあげ、それに女性という名をつけているだけのなのである。(ボーボワール『第二の性』/生島僚一訳/新潮文庫)
 賢い女が愚かなことを言うものだ。
 男もまた、男に生まれない。男になるのだ。
 いつも家に帰るなりカミさんと喧嘩になる、という知人がいる。
 三十歳。専業主婦の奥さんとつかまり立ちを始めた娘がひとり。サッカーの素人チームに所属するスポーツマン。会うたび、こぼす。
「近頃カミさんとの会話は、話題が何であれ最後は僕の稼ぎの話になるんです」
 会社が悪い。上司が悪い。夫婦喧嘩でも同じことを言うのだろう。
「だったら辞めるんだな」
 彼は首を横に振る。
「マンションを買っちまいましたからね」
 私鉄沿線。郊外の閑静な住宅街。奥さんの実家近くの新築マンション。義理のお父さんが頭金を払ってくれた。負い目がある。
 余計なものを抱え込み、人生が肥満していく。その醜さに耐えられなくなったとき夫婦の関係は壊れる。スポーツマンらしい引き締まった筋肉が、奥さんには弛んだ贅肉に見えるのかもしれない。だから彼女は苛立つ。給料の多寡は関係ない。
 男でなく、去勢された肉の塊。
 私もそうだったに違いない。
 いつの間にか愚痴がのろけ話にすり変わっていた。
「もうひとり子供をつくらないと。ひとりっ子ではかわいそうだから。加藤さんだって、まだまだこれからですよ」
「子供なら、もういいよ」
「再婚したら、つくれるじゃないですか」
「俺がどんな女とつきあい、どんな暮らしをしようと、君には関係ないだろ」
「そういうのって、フツウじゃないと思いますよ。男と女は結婚して子供をつくるのが自然の摂理ですからねえ」
 私は嗤ってやった。
 ――お酒がすすまないみたいですね。
 女性バーテンダーの声で我に返る。
 車で帰るから酔いを醒まさなくてはならない。ウーロン茶をもらう。
「君はきれいに痩せてるね」
「病気をしてから太れなくなって」
「むしろよかったじゃないか」
 美女は微笑む。
「太った男はきらい?」
「ええ」
 腹に力を入れ、きゅっと引っ込める。

男として生きる、

と決めて生きる。
 それがいちばん難しいことはわかっている。だが、そうでなくては愛することも、愛されることも適わない。だからといって、幸せになれるとも限らないが。それが男というものだろう。
 やせ我慢ではない。これが自然の摂理だ。

 
 
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