|
#18 くもの糸
インターネットが日本で民間に利用されはじめてそろそろ十年を迎えようとしている。
この方面は、十年一昔どころか、なにごとも一カ月一昔の勢いである。
一九九五年から九六年。インターネットの微熱は日本中に広がりつつあった。プロバイダという聞きなれない会社がぞくぞく現れた。そっけない事務機だったコンピュータに複雑怪奇な〈接続設定〉なる項目が増えた。そして、モデムという器械を買ってきて、電話線につなげという。
しかし、コンピュータはまだ高価だった。eメールとかいうものが送れるらしいが、使い道がよくわからない。とびついたのは早い物好きの企業と物好きなマニアたちだった。そんな専門的でマニアックなインターネットが九七年頃から、そろそろブームの様相を呈する。電器街と呼ばれていた秋葉原は電脳街に様変わる。通信速度が速くなる、とせかされるように秋葉原をめぐって最新のモデムに買い替えたのも、この頃だ。通信速度の差イコール電話代の差にほかならなかった。常時接続なんて夢のまた夢の時代だった。
間もなく、ホームページづくりが流行。掲示板も隆盛を極めた。
いまインターネットでは「ブログ」が人気を集めている。ブログはウエブ・ログの略称だそうだ。ウエブはクモの巣の意。インターネットの回線はクモの巣状にネットワークを張り巡らせている。あのWWWというURLの決まり文句こそ、ワールド・ワイド・ウエブの頭文字。そして、ログのほうは日誌とか記録とでも訳せばよいだろう。
インターネットに公開する日記なら、いままでにもあった。
ブログは、そこに他人が参加し、
他人の日記とつながりあう
点が違う。
つながりあうとは、いかなることか。
一、まず誰かがブログに日記を書く。書き込まれた内容に、読んだ者が意見を寄せ、これが表示させる。二、ブログは他のブログの日記を引用できる。引用されることが前提なので、どこのだれの文章を紹介するのも自由である。三、引用されると、引用元に引用先が表示される。四、引用先でも読者から意見が寄せられ、これがさらに――と続く。
人の輪が離れ離れにいくつもあり、それぞれが話題に首を突っ込みあうといったイメージか。
たとえばイチローの世界記録を称賛する日記が書かれたとする。読者の手によって感想が綴られ、付け加えられる。一人の読者として関心を抱いた他のブログ運営者が、次々このイチロー称賛の元日記にリンクを張り、それは彼らが書く日記に引用され取り込まれる。ここでも読者がまた感想を綴る。引用元に引用先が掲載されるから、興味のある読者はブログとブログを行き来する。
ブログを画期的なコミュニケーションと讚える人がいる。これまでのやり方を古臭いものにする、究極のウエブ利用法と断定して絶賛する記事を読んだことがある。クモの巣とクモの巣がひっつきあい、絡みあうのがいいということなのだろう。しかし、一カ月一昔の例にもれず、いつまで流行が続くかわからない。すでに社会現象までになった掲示板は古臭くなり、利用者離れがおこっているという。
そんな中、延々脈々と生き延び続け、ますます利用度が高まっているのが、インターネットの発端となった昔ながらのeメールだ。携帯電話からも送受信できるようになった。電車の中やら街頭でケータイでeメールを送り、届いた私信を読む人を見ない日はない。私も太い指で不器用に小さなキーをつついてケータイから伝言を送信する。もちろん本家本元のコンピュータが送受信するメールだって負けてはいない。
地球に張り巡らされたクモの巣を、あらゆる言語、あらゆる意図で言葉が飛び交っている。郵便は廃れど、私信は消えず。ブログ的に寄り集まってお喋り大会をするだけでは、伝えられないものがある。
ある日、知らぬ人からメールが届いた。私のメールソフトは何を勘違いしたか迷惑メールボックスというのに自動的に放り込んだ。が、差し出し人の名を見るかぎり迷惑メールには思えないので捨てずに開いた。
ハンドルネームをHさんという女性の方からのメールだった。
曰く、三浦しをんさんを著書で知り、ウエブを行き来して情報を集めているうちにボイルドエッグズ・オンラインに行き着いた。で、三浦さんと対談している加藤文を知った。『きょうのお料理』を新旧あわせて読んでくださったとのこと。
Hさんは今度は広大なインターネットの中から加藤文と直接コンタクトをとる方法を見つけ出した。そして、エッセイの読後感を書いてメールで送ってくださったのである。クモの巣が取り持つ不思議な出会い。
ちょうど『新・きょうのお料理』を休載していたときだ。
休載した理由は鬱の悪化。執筆にドクターストップがかかったのだ。
ところがである。迷惑メールボックスから救出されたHさんのメールは、深い憂鬱を一瞬忘れさせてくれた。
特別なことはなにも書かれていなかった。しかし行間から滲み出すものがあった。天性の率直さと軽快なこころ。名は体を表すならぬ、メールの書き言葉は体をあらわす。爽快効果はHさんの人柄によるものとしかいいようがない。
私はお礼の返信文に、病気のことを明かし、「これからも雑談させてください」とひとこと添えた。こんな頼みを読んで、Hさんは加藤文をそうとうおかしな作家と思ったに違いない。
私信は幾度となくウエブを往来した。エッセイだけでなく小説の読者にもなっていただけた。
私はHさんから届くメールを
H錠と名付け
心待ちした。医者から処方される多量の薬。これらおどろおどろしい名前の錠剤より、不安を取り除いて気分を晴れやかにしてくれる。色とりどりの錠剤になにが配合されているか素人には理解できないように、Hさんについては彼女のメールアドレスしかわからない。本名、どこに住んでいるか、なにをしている方か。興味がないといったら嘘になるが、そんなことよりひたすら一対一の雑談を楽しんだ。そのときはこころに平和が訪れた。
とはいえ、病気は一進一退を繰り返していた。
私は広告の仕事をしながら、小説を書いている。会社のデスクには期日が時刻まで厳密に決められた仕事が山積みになっている。そして答案用紙を回収される受験生の気持ちで、広告の文案を提案してまわる。欠かさず持ち歩いているノートパソコンには、広告のアイディアとともに、とっくに完成していなければならないはずの小説が保存されていた。広告文は届けることができても、何度も修正を重ね文末に(了)とまで記した小説が、病気特有の不安でエージェントや編集者に手渡せない。
そこにH錠が届いた。
誕生日を祝っていただいた。数カ月ぶりに宝物にしている美味しいウーロン茶を淹れた。深く暗い穴からゆっくり浮上するような安堵を覚えた。
H錠を読み終えた私は、原稿を渡す決心がついた。
クモの糸。芥川龍之介の小説ではないが、Hさんが渾沌の暗闇に希望をまっすぐ一本垂らしてくださった。
何物にも勝る究極のウエブ体験だった。
■
|