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#20 Tシャツの男
わたしは最近のプロ野球に興味が失せかけていた。
だから世間を騒がせた球界再編問題はやじ馬のひとりとしてあきれながら眺めていた。しかし、ブラウン管に映し出された選手会長古田選手のスーツ姿の凛々しさが、スト騒動からだいぶ経ったというのに忘れられない。
古田は、記者会見に臨んだ他選手より、はるかに格好よくスーツを着こなしているように見えた。それは彼が背負っているものと、この問題の渦中で行動した事実が全身から滲み出ていたからではなかったか。
選手会にスト権があるかないか見解は割れたが、日本のプロ野球史上はじめてのストライキと、前後に行われた会合は労働組合の団体交渉そのものだった。だから、経営側からは決定権を持っているはずの重い役職の人々が参加した。そのオーナーと呼ばれる雇われ代表や連中らの取り巻きは、本職のサラリーマンである。スーツ姿がユニフォームでありながら、まったくしみったれていて、彼らからは
虚勢ととまどい
しか感じられなかった。これは肉体の鍛えかたの差によるものではない。古田から滲み出ていたような責任感と緊張感がまるでなかった。
正直に言おう。わたしは大のスワローズ嫌いで、古田嫌いであった。
他球団ではジャイアンツで番長よばわりされている清原を嫌悪するが、スワローズでは古田があまりに優等生的で気にくわなかった。まず野村前スワローズ監督を、選手だった昔から好きではなかった。だから、野村野球の現場指揮官たるキャッチャーの古田が、監督の腰ぎんちゃくみたいでさらに印象を悪くした。
それが記者会見で一変した。
古田は腰巾着でもお飾りだけの選手会長でもなかった。日本の野球は本来のプロベースボールとまったく関係ない仕組みにがんじがらめにされている。古田は上下両方向からかかる不条理な重圧に耐え、しかも全力でプレーを続ける野球界きっての人物だと知った。
つまり例の騒動で、わたしは野球だけでなく人を見る目がなかったことを思い知らされた。
さて、わたしの仕事場にグラフィックデザイナーのL君が中途入社して一年になる。
L君が入社した直後、彼との間でトラブルがあった。ある仕事でチームを組むはずだった。初顔合わせの日、L君は「僕がやるべき必然性を感じない」と言って席を立った。これでは共同作業はできない。すぐにベテランデザイナー氏に交代してもらい、チームを再編した。
図体だけでなく態度まででかい男。着たきりスズメのTシャツに、穴あきジーンズ。どれだけ前の職場で活躍していたか知らないが、尊大すぎやしないか。その後L君は上司に諭され、わたしに頭を下げた。が、そんなことで印象が変わるものではない。
それが今年の夏も終わろうという頃、L君と組んで大仕事をやらざるを得なくなった。
あらたにチームを編成した上司は、打ち合わせの前にふたりに仲直りの場を用意しよう、と提案したがわたしは断った。いまさら握手を交わしても、感情は白紙には戻らない。
新たなプロジェクトはスタートしたが、その進行はぎこちなかった。L君、Lさん、L――まずどう呼んだらいいか迷い、無難に君付けにした。彼は加藤さんと言った。わたしたちは互いの名を呼びあいながら、目と目を合わせなかった。
まずは発注された広告のキャッチフレーズ案をスポンサーに提案した。するとキャッチフレーズはわたしたちの思惑を超え、企業のあるべき姿を表現するスローガンに採用された。いわゆるCI――コーポレート・アイデンティティとして、継続的に使い続けたいという。この要望を受け、L君はスポンサーの期待に適う書体を選び、絵柄を考え、デザインをまとめあげた。そのかいあって、新聞などのグラフィック広告だけでなく、予定外の映像作品の追加発注を受けることができた。
しかし、共同作業が山場にさしかかかったにもかかわらずわたしたちの関係は変わらなかった。
ビデオの編集室。わたしとL君は提案用の試作映像の編集作業が始まるのを気まずく待っていった。
長い待ち時間だった。夕食の時刻。編集室に付き物のキャンディーやスナック菓子。紙コップにはペットボトルのお茶。つまらないもので小腹を満たす。
鬱を病んでいるわたしは彼の前で薬を飲まざるを得なかった。薬は尋常な量ではないし、カプセルの山は毒々しい色をしている。L君の視線を感じ、言い訳のように「じつは鬱っ気があってね」と彼に言った。。
すると彼はぽつりぽつりと持病について語り始めた。
グラフィックデザイナーの仕事は華やかに思われがちだが、じつに地味で過酷なものである。徹夜続きはあたりまえ。完成品は隅々まで完璧で、広告は成功して当然の業界だ。前の職場で重圧が続く中、L君は重い不眠症を患った。医者が処方した睡眠薬を飲んでも眠れない。眠らず仕事を続けるから、あちこち身体が故障する。
彼の説明はぶっきらぼうでぎこちない。打ち合わせの場ではデザインを並べて見せるだけから気付かなかったが、たいへん口下手なのだ。
ちょっと待てよ。一年前、彼がチームを降りるとき口にした言葉を、もう一度頭の中で切り張りし、足りない部分は付け足してみた。ところどころ虫食いのある一枚の書類が空想された。そこには彼なりの仕事への信念と、自分の才能の向き不向きが短い言葉でパッチワークのように綴られていた。彼はわがままを言ってチームを飛び出したわけではなかったのだ。
いつしか会話は互いの私生活におよんだ。
「へえ、奥さんがいるんだ」
とわたし。
「もう……だいぶ前から」
「子供はいるの」
「……ほしいんです。だから、仕事がんばんないと」
生い立ちじみた話も聞いた。
豪快な身体に、抱えきれないくらいろいろなものを背負っていることがわかった。
将来を賭けて、並み居る名デザイナーの中に飛び込んで来た。Tシャツ姿の彼が全身から発散していたものは傲慢さではなく、ファイトと緊張感だったのだ。
わたしがL君を一方的に誤解していたようだ。
編集作業が始まった。
「こんど飯でも食いながらゆっくり話そう」
わたしたちは約束した。
スポンサーに歓迎された広告案だったが、このチームの仕事が納品に漕ぎ着けるまでの道程は平坦ではなかった。が、ひとまず無事終了。
広告代理店で納品完了の報を聞き、L君らとタクシーに乗った。
わたしはそこで上司から新たな仕事について相談を持ちかけられた。相手は大手企業。手間がかかる。時間に余裕がない。修羅場を見るのは目に見えている。上司はスタッフ組みを悩んでいた。思い浮かぶ同僚の名を迂闊には上げられない。
タクシーを降りたL君は、そっとわたしに耳打ちした。
「僕をデザイナーに推薦してください」
Tシャツ姿が、まるで
スーツを着た古田のように
凛々しく見えた。
このエッセイが掲載される直前のことだが、ぎこちなくスタートしたわたしとL君の初仕事は、新聞一ページ分にまるまる掲載され、さらに東京モーターショーの会場を飾った。そして昨夜、彼との第二の仕事が峠を越えた。アルバイトを含めスタッフ一同の笑顔とともに。
しかし、一緒に飯を食おうという約束はまだ果たせずにいる。
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