新人作家の新・食エッセイ
11月
22日月曜日
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 #21 ランタンを灯す

 

 一通のメールをいまかと待って二日になる。
 返信の約束をしたわけではないが、若い大切な友人との直前のやりとりに気掛かりな一行があった。
 寝つきの悪い夜だった。夜明けどきはどす黒く曇っていた空が、朝になると青く晴れ上がった。玄関を出るとさすがに風が冷たい。綿の長袖をニットに着替え、庭に設えた物入れ兼用の机にノートパソコンを開く。小説を試し書きしている間にも、メールソフトは無線をつかってインターネットのメールボックスを定期的に覗きに行く。プロバイダから回線増設工事のお知らせが届いた。いままで以上に通信が快適になるという。似たような内容を先月も先々月も読んだ気がする。
 正午を過ぎたことをコンピュータの時刻表示で知った。ネット上の世界時計と同期させているので、秒の単位まで正確極まりない。熱湯を注ぐだけでつくることができるタイ風のあっさりしたインスタント麺を庭で食べる。チェンマイあたりの屋台で食べるのと遜色ないよくできたカップ麺だ。立ち上るパクチーの香りにつられたわけではなかろうが、庭木を切り払ってから姿を見せなくなった鳥たちが隣家の茂みからこちらを見ているのが気配でわかる。そのうち一羽が偵察機のように目の前を横切って飛び去って行った。ヒヨドリだ。甲高い声は真冬の北風を連想させる。麺でぬくもった身体がぞくっとする。茶を淹れるため家にあがる。テーブルの上に錠剤がある。朝一番に飲むのを忘れたものだ。
 錠数が決められているものと、数を調整して飲むものがある。半日遅れで飲む場合、適宜増やしたほうがいいのか、減らしたほうがいいのかわからない。大は小を兼ねるではないが、一錠多くした。
 ヤカンをガスコンロに掛け、茶を淹れ、薬を飲んでいる間にも、律義なメールソフトはメールボックスから、通販レコード店のクリスマスセールの告知を受信していた。若い友人からメールはなかった。薬を増やしたせいか、それとも不眠症続きだったせいか、眠気がさして来た。眠いのをこらえてキーボードを叩くのに疲れ、ベッドに横たわり遅い午睡をとる。
 一時間ほどうとうとしただろうか。日暮れにはまだ間があるはずなのに、寝室のカーテンは夜のような重い色をしていた。まだメールは届かない。米を研ぎ、土鍋で飯を炊く準備をする。そうこうしているうちにも、空は夜の気配を帯び始めた。室温がぐっと下がる。念ために買っておいた灯油を温風ヒーターのタンクに電動ポンプで注ぎ入れる。灯油の臭いで、ランタンがあったことを思い出す。飾りにするつもりで戯れに買ったものだ。ランタンに油を入れて灯し、居間に置く。
 陽が落ちた。ランタンの赤みを帯びた灯は間近なものしか照らせない。だが、

電灯をつけずに

乏しい光で白い飯一膳と漬け物と味噌汁だけの夕飯を済ます。貧弱きわまりない献立だが、飯は飯の、漬け物は漬け物の、味噌汁は味噌汁の味がくっきり引き立ち、贅沢な満足を味わえたのは意外だった。
 部屋はますます暗く冷えて行く。が、温風ヒーターと電灯は点けない。ランタンのほのかな光と闇が心地よい。昔の人にとって、夜が冷たい闇そのものであったことを思う。
 ふさわしい音楽を思いつく。
 ドビュッシーのピアノの曲。「ベルガマスク組曲」、「子供の領分」、「映像」、「2つのアラベスク」、「前奏曲第一巻」、「ピアノのために」、「版画」、「喜びの島」、「夢」をパスカル・ロジェ演奏の二枚組みCDで聴く。
 冷えたジンを飲む。煙草に火を点けるジッポーのほうがランタンより炎が鋭いくらいだ。目に入るものはグラスの影と、アンプの回路が発するほのかな光だけである。わたしは闇に溶け込み、ピアノの音そのものになる。
 二枚組みのCDが終わった。二時間半以上の時間が過ぎ去った。それは瞬く間のできごとのようにも、永遠のようでもあった。ただ時の不思議を感じるだけで、わたしはしばらく何も考えることができなかった。気掛かりなメール、週明けに待っている仕事、原稿。きれいさっぱり忘れていた。以前、同じCDを掛けたとき、携帯電話のたわいない会話に気が散って、二枚目まで聞き通すことがなかったことだけをぼんやり思い出す。
 ランタンの炎を吹き消し、スタンドランプを点けた。
 深いシェードの中のたった60ワットの電灯が一瞬にして闇を葬り去った。
 電気の光は、わたしを日常に引き戻した。寒さに身震いし温風ヒーターを点火する。風呂場の電灯を点け、温水器を作動させ、水をまたたくまに湯にして熱いシャワーを浴びた。殺菌剤入りの練り歯磨きで歯を磨く。乾燥機までついた全自動洗濯機のスイッチを入れる。すべて一日を締めくくる儀式みたいなものだ。
 明るい居間に戻ると、温風ヒーターの温度計は二十二度を示していた。ジンと煙草の匂いだけが漂い、ドビュッシーの余韻は跡形もなかった。
 習慣通り寝室にノートパソコンを持ち込む。
 メールソフトは目覚め、瞬時に無線でインターネットに接続する。日付が変わっても、若い友人からメールは届かなかった。しかし、落胆は覚えなかった。
 もうランタンの時代に後戻りはできない。『機会アル者は必ズ機亊アリ 機亊アル者ハ必ズ機心アリ』と荘子は二千年前に言っている。だが忘れまい。ひとりひとりにそれぞれの時間があり、そして

届かないことが意味する

便りもある。郵便と黒電話しかなかった頃は、誰もが承知していたことではなかったか。

 
 
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