新人作家の新・食エッセイ
12月
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 #22 局地戦の子

 

 都内はほぼ地下鉄で移動することにしている。
 時間は正確であるし、なにしろ運賃が安い。神経がまいっている身には、人込みがつらくて、そんなときだけタクシーを使う。
 地下鉄は公共機関だから、誰彼かまわず料金さえ払えば乗れる。最近はいろいろサービスをよくしているが、基本は効率第一だからギュウ詰めにもされる。見知らぬ者同士が、くっつきあうのは気分のいいものではない。そこは禅の精神ではないが、ひとりきりになったつもりで、他人は草木かなにかのように無視することが都会人のマナーだ。
 なにかと批判を浴びることの多い車内広告だが、他人から目線を逸らし、ひとりきりを演出する役にはたつ。この車内広告が昨年あたりから変化している。

「入試直前体験会」

 塾か予備校の広告と思いきや、私立大学の宣伝である。それも一校二校ではない、今年の冬は古くから名のある大学が軒並み広告を掲げている。
 曰く、「本番一発では実力を発揮できません。体験テスト、構内ツアーを行います」楽しいイベントとお土産つきも珍しくない。
 二十数年前はこんなことはなかった。願書を出すにしてもびくびくしながら投函して、田舎者は大学の所在地を地図で探し、慣れない交通機関を念入りに調べ、大学にたどりついたら案内の張り紙を頼りに心細く試験会場に向かった。
 広告は少子化の影響である。全員合格時代がやって来た。つまり、たいがいの大学は願書さえ出せば全員が合格でき、場合によって定員を割る時代なのだ。だから大学間で受験生の奪いあいになる。
 差別するつもりは毛頭ないが、名前や実績を聞いたことのない大学が山のようにある。それでも昔ながらの受験がこれまで成り立っていたのは、単に子供の数が大学の総定員より多かったからに過ぎない。
 ではいま、子供たちは受験戦争から解放されたのだろうか。少子化の理屈通りなら、そうならなければおかしい。ところが塾や予備校、家庭教師派遣の広告が、電車内に限らずこれまた異様に増えている。これも子供の奪いあいに違いないが、大学側と事情を異にしている。
 ある塾のチラシを取り寄せてみた。
 一流大学へ圏内随一の合格率。これからの全員合格時代は、超一流大学以外は大学ではありません。卒業しても無意味です。かえって人間を堕落させます。といった調子の説明文が続く。学歴信奉者にとって、超難関超一流と呼ばれる大学以外は町のカルチャースクール並ということだ。
 勉強ができる子供の割合はいつの時代も限られている。いや、受験が得意な子供は限られている。その中で合格できる子の割合も決まっている。しかし塾は商売だから、その他の子供たちをかき集めなくては商売にならない。
 したがって、全員合格時代になって、むしろ受験戦争は激化している。第二次世界大戦のような広範な戦争ではなく、中東あたりの戦争のごとく、超難関超一流大学という狭き門を巡って寄ってたかっての局地戦になっている。
 小中高一貫塾の問題集も取り寄せてみた。
 大学受験用では歯が立たないと思ったから、中学一年生用である。
 小さな明朝体で複雑怪奇な問題が詰め込まれていた。台形の面積の求め方が教科書から消え、円周率の簡易化が問題になったが、そんなのはおかまいなし。問題を繰り返し読んでも、これが面積を問うものか、確率を問うものかさえわからない難解さである。
 これらを何題も完璧に解くまで塾は子供を帰さない。テストをして点数と序列を日々発表する。そのうえ宿題を課す。これらが東大、早大、慶大、医大などの偏差値が高い大学の中でも、就職に有利な学部に合格するためには、必要なんだそうだ。
 で、その先はといえば、

君の明るい将来

があるとチラシは断言する。
 一流大学。それは一流企業、官僚への指定切符。末は高年収、高い社会的地位。故に、やりたいことが思うがままに実現できるというのだ。
 これが明るい将来像なのか。
 商売気丸出しで子供を集めようとする大学も大学だが、幻想の戦地へ子供を駆り立てる受験産業はどうかしている。
 親は知っているはずだ。一流企業、官僚、高収入、高い社会的地位といったものと、人生の豊かさが別の次元のものであることを。ましてや、一流企業が倒産し、官僚の悪事が暴露され裁かれる時代である。それでも無理にでも子供を戦地に送り込む不思議。
 塾のチラシに、受験戦争に勝ち残れない子は精神力の弱い子です、という意味の煽り文句があった。親が信じなければ、こんな惹句は書かないはずだ。
 都内の私立大学を出て、作家活動をし、広告業界に身を置くある男。つまりわたしは、高学歴の妻と離婚し、夜のコンビニに買い物に行く。トイレットペーパーと翌朝食うためのヨーグルトを買う。わたしが卒業した大学は、かろうじて塾の合格者例に載るか載らないかといったところ。もしかしたら、塾が言うところの勝ち残れない精神力の弱い人だから、ココロの病気になり、しかも独り身になったのかもしれない。
 でも食うだけはなんとか稼いでいる。美術展を観に行く余裕や、音楽を聴く楽しみを知っている。安くて旨いワインの見つけ方も知っている。別れようにも別れられない親友がいる。読者がいる。
 コンビニの外、塾帰りの子供がたむろしていた。
 殴る蹴るではなく、陰湿な言葉のいじめ。見るからに気弱で、あまり勉強が得意そうでない子は言い返すこともできず、その場にしゃがみ込む。お腹を両手で押さえている。胃がきりきり痛むのだろう。この子たちの親は、この凄惨な現実を知っているのだろうか。
 人はほんとうに好きなことしかできないようにできている。しかし、子供はほんとうに好きなものを見つけるまえに、戦士養成所に送り込まれる。だから、ほんとうの楽しさを知らず、いじめで気を晴らすほかないのかもしれない。では、いじめられた子はどうなる。
 もう少しすると、彼らが日本の大人になる。日本そのものになると言っても過言ではない。
 業界通によれば、ココロを病んで塾の講師を辞める人が少なくないらしい。戦士養成所はココロさえ病まない人と、病みつつもガマンし続けている人が先生と呼ばれる世界。
 込みあった車内で、こんな業界の広告を眺め続けなくてはならない時間はとてもつらい。

 
 
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