|
#23 八曜日の回覧板
灯油の巡回販売がはじまった。
転勤族の子であちこちの地方で暮らしたが、社宅に契約の燃料屋が来ることはあっても、町を小さなタンクローリーが巡って灯油を売るのを知ったのは横浜の北の町に越して来てからだ。
いろいろな業者が来るが、取り決めでも結んでいるらしく、曜日と時間帯がそれぞれ別れている。家の前に空のポリタンクを出しておくと満タンにして玄関先まで運んでくれる。ガソリンスタンドで買うより割高だけど、クルマを灯油臭くしたくないというのは表向きの理由で、実際は定期的に回って来る物売りへの期待感に誘われ、日曜の夜の業者から買っている。回数券を求めれば宅配の新聞のように配達員と顔を合わせずに買うこともできるが、そのつど現金で買う。この季節だけタンクローリーで町を流して灯油を売る若者の顔を見たいからだ。
町の遠くから業者ごとに違うオルゴールのような音楽をうっすら流しながらタンクローリーが来る。住宅街を巡り回るから、音楽はときに遠ざかって消え、また思わぬ方角から聞こえてくる。初めに音楽を耳にしてから、家の前の坂道を上って来るまで一時間半はかかるだろうか。夕暮れ時は過ぎて、表は真っ暗だ。
軍手をはめて群青色の制服を着た販売員が、玄関先で戸惑わないように明かりを灯しておく。チャイムが鳴る。お金を払い、ぐっと重たくなったポリタンクを玄関脇の木製の物入れに仕舞う頃には、もうタンクローリーは坂の上の曲がり角を曲がっている。開け放ったままのドアから入り込んだ冷気が、わたしにまとわり付いて居間へ流れ込む。
越してきて十二年間の習慣で、これで日曜が終わったような気分になる。残りの時間は日曜でも月曜でもない、八番目の曜日。タンクローリーが
カレンダーにない曜日
を運んで来る。
夕食を食べ、皿を洗い、音楽を聴く。
また、チャイムが鳴った。ステレオのボリュームを絞る。こんな時間に……町内の回覧板だろうか。
回覧板なんてものに、大切な用事が書かれていたことなんて一度もない。学区の運動会の案内や、区からのお知らせがばね仕掛けのフックで挟まれている。たいした内容でもないのに、必ず「至急回覧」とメモがついている。十数件の名字が回覧順に並んでいるが、我が家は番地が飛び地なので、次の家に持って行くのが面倒くさい。回覧板は戦争で隣組組織をつくったときからの慣行らしいが、郵便受けに放り込まれる市や区の公報もある。だったら、この方法に一本化すればいいのに。
とはいえ、新しく越してきたお隣さんに機嫌の悪い顔もできないから、乱れた髪を手櫛で撫でつけ、丁寧にドアを開けた。
点けっ放しになっていた玄関灯の下、女の子がスーパーのビニール袋を提げて立っていた。
「回覧板です」
差し出された袋を手に取り、
「ありがとう」
と応える。
子だくさんのお隣の長女に違いないけれど、小学校の高学年か、それとも中学生かちょっと見ただけではわからない。町内会といっても、わたしは独り者なので、その程度の付き合いしかない。彼女がほとんどいつも届けに来てくれる。きょうは普段着の上にお気に入りらしい新し気なかわいい外套を着ていた。眼が合うと、恥ずかしげにうつむいて、逃げるように駆けて行った。
また冷たい夜の空気が、ドアの隙間から入り込む。わたしはドアを閉め、彼女が自宅の玄関に入る間合いを見計らって玄関灯を消した。
相変わらず、どうでもいい内容の回覧板だった。
角が痛んだ回覧板の表紙を開いたまま、煙草に火を点ける。
お隣とは歩いて数歩。走れば数秒。カーポート同士は鉄柵で仕切られているだけ。それでもわざわざ外套まで着て、駆け足で去って行く。彼女には回覧板回しは
ちょっとした冒険
なのかもしれないなと思った。
家には、その家独特の匂いがある。回覧板を届けるたび、自分の家と違う匂いがする。ドアノブひとつとっても、似ているようでどこか違う。その家にヒゲを生やしたおじさんがいる。きっとお父さんと同じくらいの歳だろうけど、スーツにネクタイなんて格好は見たことがない。髪も七三に分けたりしていない。平日は、普通のお父さんたちが家を出る時刻にまだ家にいて、ゴミ出しなんかしている。休みの日は冬だというのに、庭をぶらぶらしながら煙草をふかしたり、ランタンの乏しい光で書き物をしている。なんとなく聞こえてくる物音は、聴いたこともないロックだったり、ジャズだったりする。この間は救急車が来た。ヒゲのおじさんは救急隊員に介抱されていた。ケガをしたようにも、お腹が痛かったり胸が苦しい様子でもなかった。ずっと頭を抱えてうずくまっていたけど。奥さんはいないらしい。子供もいないみたいだ。それなのに一軒家に暮らしていて、うちと同じように灯油を巡回販売で買っている。
家族でもない、先生でもない、お店の店員でもない、大人の男。盛り場をうろつくようには見えない素朴そうな彼女にとって、わたしは未知の人種に違いない。怖いから、うつむくのだろうか。でもそれだったら、いくらお母さんに言付けられても、反抗してテコでも動かない年頃だ。わざわざチャイムを鳴らさず、軒下にそっと回覧板を置いておく手もある。近頃他家では、そうする場合のほうが多いと聞く。我が家もそれができるように、軒下に台を置いてある。なのにわざわざ手渡しするのは、彼女なりの好奇心に背を押されてのことなのか。
わたしはCDを二枚聴き、やる気のない丸印を回覧順の名字の下に付け、朝から着た切りのセーターで素足にサンダルをつっかけ、坂のずっと下にある次の家まで回覧板を持って行った。チャイムは鳴らさず、そっと軒下の牛乳箱に立て掛ける。
おお、寒い。白い息を吐き吐き我が家に戻る。少女の家はただひとつ窓に電灯が灯るだけで、ひっそりしていた。
こうして、八番目の曜日は更けて行く。
■
|