新人作家の新・食エッセイ
2月
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 #26 逆上がりの子

 

 わたしは鉄棒が苦手だった。小学三年生のとき「足掛け上がり」が、どうしてもできなかった。片膝を鉄棒に掛けて、逆上がりの要領で半回転する技だ。器械体操が得意な子は、先生の説明を聞くまでもなく難なくこなす。その他大勢の生徒は、体育の時間内にコツをつかんでできるようになる。わたしは時間内にできず、放課後に居残りを命じられた。
 運動会ではリレー競走でアンカーを務めたのに、足掛け上がりができない。

恥ずかしさに身を縮め、

錆で赤く染まったてのひらで鉄棒を握り直した。どうにかかたちになりはじめていた。勢いをつける方向の問題なのだ。空いている脚を高々と蹴り上げ、頭を振り子の要領で真下に下ろせば、くるりと回転できそうだった。
 できた。片足を掛けたまま鉄棒に上がれた。
 足掛け上がりで上った鉄棒から見渡す景色は、いつもの校庭と違っていた。三角ベースで遊ぶ子や、ウサギ小屋の手入れをする当番の姿がとても小さく見えた。わたしはうれしくて校庭を隅々まで見回した。
 わたしとひとつ離れた鉄棒で、逆上がりの練習をしている同級生がいた。まったく逆上がりができず、足掛け上がりに進めないのだった。
 彼は鉄棒の前に、立っていた。
 怠けているのでも、自棄をおこしているのでもなかった。逆上がりをしようとしてうまくいかず、途方に暮れているのだった。
 先生は彼を見放し、授業中は「逆上がりはコツだ、コツ」くらいしか声を掛けなかった。しかし、コツはいつまでたってもつかめそうになかった。あきらめて帰ればいいのに、と思った。
 わたしは得意になって二度三度と足掛け上がりをし、鉄棒から離れた。外の手洗い場の石鹸は干からびていた。泡の立たない石鹸で手を洗って振り返ると、逆上がりができない子はまだ鉄棒の前に立っていた。教室に戻って、体操服から私服に着替えた。窓の外は見ないようにした。教室は鉄棒の真正面にあった。
 次の体育の授業も、また次のときも、彼は端に追いやられいちばん低い鉄棒の前にいた。何度やっても逆上がりができない。考え込み、直立不動のまま鉄棒を見詰め、また挑む。先生は「コツだ」とさえ言わなくなった。でも体育の時間を一度も休まなかった。
 授業は足掛け上がりから複雑な複合技に進んだ。鉄棒の前に男女別に列をつくって順番を待った。逆上がりができない子は、列に加わる資格がない。彼はいないものとして授業は進められた。しかし、彼は悲しげでも、悔しげでもなかった。難しい算数の問題を解くように、ひとり考えながら逆上がりに取り組んでいた。
 四年生で組替えがあった。彼とは学区の関係で中学が別になった。高校で再会することもなかった。
 三十年が経った。疲れ果てて会社から自宅に戻ると、疎遠になり忘れかけていた幼なじみから時季はずれの年賀状が届いていた。印刷されたありふれた年始の挨拶の脇に、同級生だったAが家庭を捨て行方知れずになったらしい、とボールペンで書いてあった。Aは小学校中学校と体育の時間のスターで取り巻きも多かった。高校で野球部に入り挫折したと聞いていた。Aのスキャンダルを伝えたくて、今頃になって残りもののハガキを投函したのだろう。
 噂の伝言ゲームに加わる気はない。失踪話に同情心どころか好奇心すら覚えなかった。それより逆上がりができなかった彼。いまとなっては名前を思い出せない彼のことを、わたしは考えていた。
 その子は体育が不得意なことを除けば平凡な子供だった。家が特に裕福だったり、貧しかったわけではない。表彰状をもらうこともなければ、いたずらをしでかして大目玉を食らうこともなかった。背丈も身なりも際立ったところがなかった。
 わたしは彼と遊んだ憶えがない。休み時間はわたしたちのドッジボールを眺め、掃除の時間はふざけまわる同級生のかたわらで丹念に床を磨いていた。わたしは彼が仲間に入りたそうな素振りをしているのに気付いていた。ぎこちなく話しかけてくることがあった。でも、互いに友だちになるきっかけがつくれなかった。
 けれど小学三年生の思い出には、記念写真に意図せず写った人影のようにかならず彼の姿がある。たとえ姿がブレていても、ピントが外れていても、半身しか写っていなくても、彼がいて思い出の構図が成り立っている。それが不思議でならなかった。
 だが四十歳になり、小学三年生の思い出と彼が固く結びついている理由がわかるようになった。
 彼は先生に見放され鉄棒の前で途方に暮れても、器用に友だちがつくれなくても、

悲しみや、くやしさや、つらさに溺れず、

クラスに自分の居場所をつくろうとし続けていたのだ。逆上がりの練習や友だちづくりは実を結ばなかったが、クラスの一員であろうとした苦心はいまもわたしの中に生きている。
 生ぬるい時代が公私ともに過ぎ去った。
 いまだ不況の残滓が残っている。癒えきらぬ精神の病気が追い討ちを掛ける。
 たとえ会社に席と机があり、社員名簿に名前が載っていても、居場所が与えられたわけではない。居場所は自分でつくり出すものと思い知らされた。
 派閥や人脈に頼る人がいる。本心をひた隠し、時々の潮流に身を任せる人がいる。停年まで息をひそめ過ごす人がいる。それでも天下泰平が続くとは限らない。降格人事があり、左遷があり、首切りがある。築き上げた砂の城が波で崩れた後も、人生は続く。そのたび後ろ盾に頼らず自分なりの確かな居場所をつくるのは容易ではない。
 それは会社に限らない。
 家庭で、世間で。砂の城づくりは命絶え骨になるまで続く。
 Aは暮らしを投げ出した。わたしは生活をともにした女と別れ、家にこそ留まっているが心の一端は宙を漂っている。幼なじみはAを心配するふりをして、仲間内で幸福を確認しあおうと焦っている。三者三様に居場所が定まらない。
 逆上がりの彼はいまどうしているだろう。
 わたしが足掛け上がりで鉄棒の上から見た景色より、もっと広々した世界を見ていてもらいたい。と願うまでもなく、わたしなどより悠然と生きているに違いないと考え直し、幼なじみからの便りを捨てた。

 
 
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