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#30 わからない
スギ花粉が舞いだしてだいぶ経つのに、今頃になって、治まったとばかり思っていた花粉症に悩まされている。スギ花粉の飛散量が例年になく多いためだろう。
なぜ毎年スギの花粉がこうも飛ぶのか。国策ともいえる方針でスギを植えたはいいが、安い輸入木材は増えるは、林業関係者は高齢化するはで、
山がほったらかし
になっているからだ。
スギの下枝を払い、切るべき木を切っていれば、花粉の量はたかがしれていたのだ。林野庁は問題の根っこに手を打たず、スギを花粉のないものに改良して山に植えると言っている。いったい何年経ったら、スギが入れ替わることやら。そして、新たに植えたスギはどうするつもりなのだろう。
役人の考えることは、いつもわからない。
とはいえ、役人を責めても花粉症は治まらない。花粉症の薬は、眠気を催すものばかりだから困る。漢方薬は眠くならないが値が張るし、すぐには効かない。杜仲茶がいいと言われせっせと飲んでみたが、どうも効き目がはっきりしない。残る手だては花粉用のマスクしかなさそうだ。
しかしマスクが大嫌いなのだ。息で蒸れて臭い、眼鏡がくもる。風体が悪くなる。人と会うときはいちいち外さなくてならない。外したマスクをポケットに突っ込むのは、どうも不潔な気がする。子供の頃から、何があろうとマスクから逃げ回ってきた。でも背に腹は代えられず、クシャミをしながら薬局にクルマを走らせた。
ところが、どの薬局も花粉マスクの棚に「入荷待ち」の札ばかり。出遅れたのである。最後に立ち寄った店に、「六十枚入りお徳用」というのが残っていた。ティッシュペーパーより厚い箱だった。使い捨てだから、毎日使って二カ月分。使い切らないうちに花粉の季節は終わる。それで売れ残ったのだろう。日割りにするとたいして得な値段ではないが、しかたなく一箱買った。
マスクをしてみるとクシャミの回数がとたんに減った。身をもって効き目を体験すると手放せなくなり、いつの間にかマスク教の信者になっていた。現金なものである。
花粉がおおいに飛び交っていそうな、暖かな晴天の日。某君と待ち合わせをした。場所は表参道の奥まったところで、わたしには馴染みのないところだった。
約束の時刻よりだいぶ早く表参道に着いた。とりあえず待ち合わせ場所へ向かった。コーヒーでも飲んで時間を潰そうと喫茶店を探したが見つからない。
いまさら表通りに引き返してスターバックスに入るのも癪だ。見つけられないのは、マスクで眼鏡がくもっているせいかもしれないとレンズを拭いた。辺りを見回す。店という店が、よく似た面構えをしている。看板はあっても英語か、フランス語かイタリア語らしきものしか書いてない。大概が外観をガラス張りにしているくせに、一目で何の商売をしているかわからないインテリア。建物の二階、三階にある店さえ、窓やら壁に読みにくい書体で得体のしれない外国語を小さく書いてあるだけ。目を凝らしても、読めたものではない。
床屋のねじりん棒のぐるぐるとは言わないまでも、ヘアサロンにはヘアサロン、家具屋には家具屋、ブティックにはブティックの顔があってしかるべきだろう。喫茶店といえば、ちょっと時代遅れの風情で薄暗い感じ。そして、「コーヒー」か「紅茶」どちらかを連想させるナニカがあっていい。それなのに、
大量生産の着せ替え人形
が並んでいるみたいだった。
これが流行、店がわからないのは歳のせいとは言わせない。
近頃は新装開店のときばかりでなく、のべつまくなし道端でビラを配っている。これが新入り店員の仕事になっている。しかも情報誌とかタウン誌とは名ばかりで、割引券ばかりの雑誌に始終チケットを付けている。こんなことをするくらいなら、もっと店構えも店の名もわかりやすいものにすればいいのに。店主の気が知れない。
ふらふらさ迷い歩いて喫茶店を見つけたと思ったら、バーだった。開店までには、まだ日が高い。花屋があった。背の高い木が店を覆い尽くすように繁っている。通り過ぎざま中を覗くと、じつは花屋もやっている家具屋だった。ややこしい。で、さらに「cafe´」でもあると壁に書いてある。
釈然としないまま花屋を抜け、家具屋の中を三階まで階段であがった。
明るいテラス風の席。レストランのようなテーブルクロス。カウンターの中にはリキュールの瓶。キザな店だったら嫌だなと思ったが、若い店員は愛想がよかった。
ダブルのエスプレッソを頼んだ。エスプレッソには小さなクッキーがオマケでついていた。落ち着いているし、味も悪くない。持病の薬を飲もとしたら、氷入りの水をたっぷりくれた。ひっそり流れているボサノバの選曲も趣味がいい。よく茂った木で覆われているためかマスクなしでもクシャミが出ない。いい店だ。ぜひ某君に教えてやろう。
待ち合わせの時刻までにはまだ間があった。コーヒー一杯で長居をするのもどうかと思い、エスプレッソをおかわりし、満足して勘定を済ませた。
長年のマスク嫌いがたちまちマスク信者になった。わかりづらいとしかめっ面をしたくせに笑顔で店を後にする。こんな自分が、この世でいちばんわからない代物かもしれない。
後日、取材で八ヶ岳のふもとにある深い森に出掛けた。案内の方から話を聞くため、マスクははずした。赤松とクヌギとコナラが美しい森だった。見捨てられた広大なスギの群生地のすぐそばにも行った。でもクシャミも目のかゆみももよおさない。
森を出て、小さな駅の前にある見るからに喫茶店らしい店に入った。店主に花粉症について聞くと、
「重症の人も、ここに来ると治ってしまうんです」
また、わからないことがひとつ増えた。
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