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#33 占い嫌い
ぶ厚い奉書紙で包まれた厄よけのお札が、実家から山のように届いて半年になる。
今年、
わたしは厄年
だ。しかも生まれ年の星である「九紫火星」の持ち主は、一年中いいことなしだとか。そこで老母が、ご利益があるというお寺を訪ねてお札を買い集めたのである。
母は老いて心臓が弱くなった。あちこちの寺社を巡ってくれたかと思うと、とてもありがたく申し訳ない気持ちになった。お札は祖父から譲り受けた観音像の周囲に立てかけ、蝋燭を灯して線香を手向けた。
お札が届いた日、母に礼の電話を掛けた。母は、「お札は気休めかもしれないけど」と言ったかと思うと、「今年一年は、新しいことを始めたりしないほうがいい」と繰り返す。
「そんなこと言ってたら、新しい小説も出版できないよ」
「そうかもしれないけど、大厄の一年は気をつけるにこしたことはないの」
母は幾人もの名をあげ、厄年とか星の巡りが悪いために痛い目を見ていると続けた。
母は歳をとってずいぶん迷信深くなったようだ。
あえて反論せず受話器を置いた。
同年の友人も、両親からあれこれ言われ、厄よけに蛇革のベルトを押し付けられたそうだ。
「蛇には厄よけの効果があるから使えとさ」
「いまどき蛇革のベルトを締めるのか」
「タンスの肥やしにするさ」と友人は言い、「ところでだ、お前も厄年だろ。そこで探して買って来た。肌身離さず持っているといいそうだ」
手渡されたのはニシキヘビの革を貼ったジッポーだった。御徒町のライター屋でやっと見つけた純正品だという。占いや迷信でなく、友情の証として受け取った。
母だけでなく、友人まで心配してくれるのには訳がある。前厄から本厄へ、この数年間体調がすぐれず薬が手放せない。しかも身辺がなにかと慌ただしい。しかし、これらは厄なんてものでなく、単なる歳相応の変調ではないのか。
男の厄年は満年齢で四十歳、数え歳で四十二歳である。
昔だったら人生五十年。数えの四十二歳ともなれば、寿命が尽きかける年齢だ。
いまどきは人生八十年。四十歳はまだ小僧っ子かもしれないが、そろそろ身体のネジが緩みはじめても不思議ではない。しかも、一生の折り返し地点に立ったことで、世間の波風に翻弄されやすいのではないか。
つまりこれが厄年の正体で、占い師や迷信が寄ってたかって騒ぎ立てるものだから気になって、あれもこれも悪運と神経衰弱じみてくる。
と思っていたら、占いや迷信を端から信じないタイプの年上のひとが、厄年だったとき苦難が続き、たまらずお祓いをしてもらったというではないか。
「それはもう常識では考えられないことばかり起きたんだよ」
これは驚きだった。わたしの確信は揺らいだ。
さらに、だ。年中天下太平の様子だった後厄の知人が、今年は年始早々厄よけの祈祷をしてもらったというではないか。ぎょっとするほど真顔で、
「先行き真っ暗闇な気がしたんだ」
とこぼす。
祈祷料は一万円、二万円、三万円とコースがあったそうだ。で、悩んだ末に中をとって、二万円コースにした。お堂の仏前に二万円コースの人々が集められ、僧侶三名がお経を上げる。知人は数珠まで新調してひたすら祈った。
ご祈祷が終わり境内をうろついていたら三万円コースらしき読経の声が聞こえる。どうも三万円を払うと僧侶の数が増えるようで鐘や銅鑼の音が格段に華やかだった、と彼は一万円けちったことをひどく悔しがっていた。
悔しさを紛らわすため、けちった一万円は風水に投資し、瑪瑙の玉を買い、部屋の模様替えをした。
「自分なりに工夫できるところが風水のいいところだ」
とわたしに勧める。
でも、と思う。如何ともしがたい辛いできごとは、厄年と関係なく世の中にあふれているじゃないか。
──みんなしんじまえ
子供たちがボール遊びに興じる児童公園の鉄柵に、幼い字で彫り込まれていた。ただのいたずら書きとは思えない。
落ち度なく精一杯働いていた若者が、突然解雇されるのを目の当たりにもした。次の仕事が見つからず、懐具合が心もとなくなり、いま友人の家に居候している。
街を歩けば、お先真っ暗な切ない眼をした人が少なくない。彼らは解雇された若者と違い、食うことや住処に困っているようには見えない。それでも心は晴れないのだろう。皆が皆、厄年であったり星の巡りが悪いわけでもなかろうに。
いっときは気持ちが動きかけたが、やはり厄よけ祈願も風水もやめようとこころに誓った。
厄年のわたしは、春の仏滅の日、
ひとりの女性と
出会った。そのひとは、人生最悪の「大殺界」のまっただ中だと言った。けれどわたしたちは惹かれあい、離れがたく、結婚の約束をした。そして婚姻届に互いの名前を記した。
どこの役所にもある薄っぺらな一枚の紙きれに、光の在処を信じて。
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