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#38 一通の手紙
わたしはワープロをかなり早い時期から使いはじめた。勤務先が東芝と取引があり、民生用第一号ともいえる機種が備品として一台あったからだ。
いまから思えばとてつもなく不自由な器械で、入力した文字が表示されるのは一行十文字ほどの目の粗い液晶で、フロッピーディスクは厚紙にカバーされた5インチもある代物だった。
コンピュータのワープロソフトしか知らない世代には想像もつかないだろうが、打ち出される文字はドットだらけの明朝体一種類だけだった。図や表を書くためには経線(─や┌など)を駆使しなければならない。近頃のように単語の変換が賢くないうえに、コピー&ペーストなど単純な操作もややこしくとても時間がかかった。
それでも画期的な器械だったことは、使用希望者が列をなしていたことでわかる。まず、カナを打てば漢字になる便利さは驚くべきものだった。それ以上に魅力的だったのは、誰が使っても所定のフォントで印刷でき、
書類の見栄えが一変
したことだ。
ワープロ以前は、文字の上手下手で企画書や社内文書の評価がすくなからず左右された。悪筆極まりないわたしは、宿題を解く小学生のように青いマス目が引かれた用紙にゆっくり一文字ずつ文章を書いていたが、仕事が遅いと先輩社員によく叱られた。
ところがワープロ以後は、達筆ゆえにキーボードに触れようとしない社員が、「早く使いこなせるようになれ」と上司からせっつかれるようになった。ワープロでつくる書類は、内容はともかく整然として見え、数人でページを分担して書いても文字に違和感がなく都合がよかったからだ。
ワープロ巧者は、おぼつかない手付きでキーを打つ元手書き派を、時代遅れの象徴のように笑った。青焼きと呼ばれた現像式のコピー機が姿を消し、ファクシミリが最先端の通信機だった時代のことだ。
技術の進歩は日進月歩で、間もなくブラウン管が埋め込まれた高速なワープロが仕事場に配備され、続いてラップトップコンピュータのように液晶付きの機種に取って代わられた。その先はマッキントッシュの時代になって、イラストや写真も自由自在に扱えるようになった。
そしてワープロ専用器はコンピュータに圧倒され製造中止になり、いまやコンピュータと様々なソフトが筆記用具の王者になった感がある。
手紙はおろか伝言さえ、コンピュータや携帯電話のEメールで用を済ます時代である。なにせ履歴書のひな形データまである。キーボードを打ち空欄を埋めるだけになっていて、デジカメで撮った写真をはめ込み、Eメールに添付できる。
Eメールには手紙のあらたまった感じと、喋りかけるように瞬時に送受信できる便利さがある。
いまこの瞬間も世界中を数限りないEメールが飛び交っている。そして文字に見えてじつは0と1で組み合わされたデジタルのデータをディスクやメモリに蓄え、液晶に浮かび上がるフォントを読んでは消している。これで愛しあったり、喧嘩をしたりする。
ふた月ほど前の雨がちな季節、妻は旧友Aさんの七回忌法要に参列した。
法要から戻った妻が言った。
「Aさんの筆跡が頭から離れない」
妻とAさんはワープロなどこの世にない頃からの仲だった。ちょっとした伝言や手紙などで、彼女の字を目にする機会がしばしばあったのだろう。
「Aさんの字を思い出したら、元気だった彼女だけでなく、昔のわたしのことまでよみがえってきて、胸がいっぱいになってしまったわ」
小雨が不規則に窓のガラスを叩いた。
「わたしの字、思い出せる?」
妻とは電話かEメールのやりとりがほとんどだ。
「まあ、なんとなくだが」
「わたし、あなたの字を思い出せないわ」そして妻は言葉を手探りするようにゆっくり言った、「手で書く字は、そのひとだけのもので、うまく言えないけれど……セクシーなものだと思うの」
セクシーのひと言で表現しきれない何かが、もどかしい感覚を残し、胸の奥に沈んでいった。胸の底に姿を消したものを見失い、わたしは黙った。それからふたりの間でAさんが話題にのぼることはなかった。
コンピュータで原稿を書き、些細な用事を携帯電話のEメールで済ます日々が続いた。
傘をさし、妻よりも早く帰宅すると、郵便受けに一通の封書が届いていた。鉄腕アトムの記念切手が貼られた封筒の裏書きに、妻の名があった。
開封すると便箋にペン字で、
「妻の字をちゃんと知らないなんてセクシーポイント1点減点です」
とあった。いつ撮ったのか、彼女が自分を写したポラロイド写真も同封されていた。
返す言葉を探した。思いついたのは「ありがとう」のひと言だった。この五文字をメモ用紙いっぱいにフェルトペンで書いて妻の帰りを待った。
雨続きの湿気のためか、わたしの字は輪郭がにぶく滲んでいった。
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