新人作家の新・食エッセイ
8月
22日月曜日
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 #39 グランとチコ

 

 メキシコを旅行したとき、のどが渇いて外国人を端から相手にしていな簡素な軽食屋に飛び込んだことがあった。昼には少々早いが歩き回って腹も空いていた。オレンジジュースとパンを注文することにした。
 メニューはスペイン語だけである。しかも手書きで読みにくいうえに、片言の英語も通じない。とりあえず、ジュースらしき欄があり、オレンジジュースだけでも幾種類もあることがわかった。ミカンが違ったり、何かがブレンドされているようだ。
 メキシコは標高が高く、空気が乾燥しているばかりか酸素が薄い。メニューに悪戦苦闘しているうち、頭までぼうっとし、のどの渇きはがまんの限界を超えた。一息に二杯ぐらいジュースを飲まなければ渇きは癒せそうにない。あてずっぽうに「gran(グラン)」と「chico(チコ)」の二種類を頼んだ。
 出てきたのは、ただのオレンジジュースの大サイズと小サイズだった。落ち着いて考えてみれば「gran」はスペイン語で「大きい」を意味する「grande」の略、「chico」は「子供」でお子様用。大小ふたつのグラスを並べ、パンを齧った。
 いまとなっては笑い話である。
 なぜ、こんなことを思い出したかというと、最近流行の外資系カフェの品書きに

「small」「tall」「grande」

と、サイズが載っているからである。
 開店早々から、この表示が気になってしかたない。
 スモールとトールは英語だ。ところが、特大サイズだけグランデとは。
 イタリア語もスペイン語も大きなものは「grande」。このカフェはエスプレッソが売り物なので、イタリア語も入れてみたのか、それともコーヒー豆の名産地南米を意識してスペイン語にしたのか。どうなのだろう。
 しかし、それなら、スモールはメキシコの軽食堂のように「チコ」、トールは直訳し「alt(アルト)」などとして、特大を「グランデ」にすればいい。これなら言語的にすっきりする。
 チコ、アルト、グランデ。これでは本国のアメリカ人に意味が通じないから、特大だけグランデにしたということか。
 さらに、標準サイズを表す「ミディアム」や「レギュラー」がなく、スモールの上がいきなりトールというのも不思議だ。トールは「のっぽ」の意味だから、標準サイズより大きめが連想される。煩いことをいうようだが、「小」の次が「のっぽ」ではおかしい。
 この、チェーン店独特のサイズ分けに、はじめの頃はいつも戸惑った。
(わたしが飲みたい量は、どのカップなんだろう)
 だが外資系のカフェはどの街にもあり、待ち合わせをするには便利。サイズの表示には目をつぶって、納得がいかないまま店を使っている。
 こんな些細なことに首をひねるヘソ曲がりはわたしくらいのものかと思っていたら、ニューヨークタイムズ紙に同様の一件を寄稿しているアメリカ人がいた。彼は頑固に「トール」と呼ばず、「レギュラー」などと言って真ん中のサイズを注文するそうだ。そして「グランデ」という呼び名はぜったい認めない方針だとか。
 わたしもこれからは「普通の大きさ」と言って真ん中のサイズを注文してみようか。
 という話を仕事仲間の某君にしたら、某君は「あのチェーンで普通の大きさはスモールでしょう」と言った。
「いいですか、喫茶店のコーヒーカップ一杯がスモール相当です。トールはアイスコーヒーのロンググラスより多くありませんか」
 某君の観察によれば、外国人を含め大概のお客がスモールを注文する傾向にあるそうだ。しかしトール派も少なくない。トール派は長居してお喋りをするか、持ち帰ってオフィスで仕事をしながらダラダラ飲むようだ。
「普通の大きさなんて言って注文したら、ぜったいスモールかトールか聞き返されますよ。それでなくても、最近の店は注文が面倒なんですから……」
 面倒というのは、聞き慣れない飲み物がいろいろあって、どれも舌を噛みそうな名前ということだ。
 ラテなんとかは、ミルク入り。ソイなんとかは、豆乳入り。モカはコーヒー豆の種類ではなく、クリームとココア入りのコーヒー。こんなのは序の口。イタリア語、フランス語、英語に和製英語と各国語が入り乱れ、カタカナを羅列した

早口言葉のテスト

みたいな飲み物ばかり並んでいる。
「おとなしく、エスプレッソか本日のコーヒーのスモールとでも注文すべきなのです」
 なるほど。
 で、某君がこの注文方法でカフェを使いこなし、そこそこ満足しているかというと違うのだった。
「調理の匂いでコーヒーの香りが台無しになるといって、厨房ではパンさえ温めない方針だそうですよ。だからできあいの冷たい菓子パンしか売ってないでしょう。ホットドッグやホットサンドさえないんなんて、味気ないとは思いませんか」
 そんなにコーヒーの香りにうるさいなら、なぜ「ココア入りでクリームと砂糖たっぷりのコーヒー」をお勧めメニューにするんですかね。コーヒーの香りなんてどこにもありませんよ、と某君は鼻息を荒くした。
 神保町の外資系カフェから一歩入ったところに、ひっそりした店構えの喫茶店がある。昼時は生姜焼きからスパゲッティまで日替わりで定食をやっている。でもコーヒーの香りがかき乱されるほどには、店内に食べ物のの匂いはしない。コーヒーはブレンド、濃いめのストロング、あとブルーマウンテンなど定番が各種。
 外資系カフェとの大きな違いは、首からID証を提げた大会社のひとや、髪を縦巻きにカールさせたいまどきのお嬢さんがいないこと。近場の商店のひとたちが何ものにも煩わされずコーヒーを楽しんでいる。
「コーヒー」
 とひと言いえば、常連でなくともお冷やと一緒においしいブレンドが出て来る。たっぷり飲みたいときは、
「大きめのカップを」
 と言えばいい。
 カップのサイズから売り物の名前まであれこれ頭を悩ますより、気楽でいい。

 
 
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