新人作家の新・食エッセイ
9月
5日月曜日
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 #40 暗闇の先へ

 

 毎年八月も終わりに近づくと、バス停ちかくの公園で盆踊りの準備がはじまる。
 隣町の町会のひとたちが、週末ごとに演台を組み立てたり、テントを吊るためのロープを木々や遊具に張り渡していくのだ。
 公園は木立に囲まれた遊歩道につながり、バス停への通り道になっている。バスは都心に向かう私鉄の駅へ向かう。この住宅街に越して来てから十数年、会社の行き帰りに毎日のように歩いた道筋だ。
 ところが、公園に演台の材料が運び込まれた頃から、バス停に近づくごとに

漠然とした恐ろしさ

で足がすくむようになった。やっとの思いで駅まで行き、改札を抜け電車に乗ると脂汗が吹き出す。生きていることが世の中にたいへん申し訳ない、という理屈の通らない気持ちに苛まれる。こんなことを繰り返しているうち、ついに公園を通り向けられなくなってしまった。
 わたしは幼いとき頭部に即死していても不思議ではない大怪我を負った。あらたな後遺症が出たかと疑い、東京の副都心にちかい主治医のもとへ這うようにして出掛けた。
 先生は半日かけて慎重に検査や問診をしてくださった。会社で受けたストレスで、自律神経の働きが正常を保てなくなり、怪我の後遺症を誘発していることがわかった。
「仕事場の環境を変えれば治りますか」
 と先生に尋ねた。
 先生は首を横に振った。ひとそれぞれに天性の感受性がある。わたしのこころは組織の人間関係に過敏で、二十年間続けたサラリーマン暮らしに神経が耐えられなくなっているようだという。
「アメリカのドクターなら、いますぐ第二の人生を見つけろと命じるところです。でも日本の医師には、アメリカ流の診断をくだすことが許されていません」
 勤めを辞めるしかないのか。これ以上の質問は人生相談になる。不安どめの薬を処方してもらい、病院を後にした。
 症状が治まる気配はなく、家に籠る日々が続いた。おまえはサボリ病の嘘つきで能無しだと、どこからか責める声がする。日が暮れて、会社員たちが家路につく時刻になると、やっと苦しみが和らぐ。
 病院に行ってから一週間が経った。とっぷりと暮れてから、発作どめを飲んでタバコを買いに家を出た。
 公園では着々と盆踊りの準備が進んでいた。
 人気のない公園のベンチに腰掛け、おもての空気を胸一杯吸った。カレーを温める匂いがした。親子の会話もかすかに聞こえる。冷房が効いた食卓で、サラリーマンのお父さんがカレーライスをかきこむ姿が目に浮かんだ。誰にだって悩みがあり、のんきに通勤電車に揺られているわけではない。どうして皆にできることが、わたしにできないのか。自虐的な気分に押しつぶされそうになった。
 気詰まりになり家に引き返そうとすると、辺りの様子がいつもと違った。木々を縫うように吊り下げられたちょうちんに、いつの間にか灯りがともっていた。ちょうちんの光は遊歩道からバス停まで続いている。
 灯りが闇に吸い込まれるところまで行ってみたい。でも、引き返せなくなりそうで怖い。わたしは、我が身の行く末を、暗闇に重ねあわせていた。
 ふと父の顔が脳裏をよぎった。
 父は大企業の優秀なサラリーマンだった。わたしと同じ四十歳のとき、会社の理不尽な人事にいじめぬかれて仕事を辞め、家族ともども郷里に戻った。友を得て事業を興した。騙されてお金を奪われ、五十代になるまでの六年間、ほぼ無職の時代が続いた。母はパートタイムの仕事をはじめた。収入は七万円くらいだったと記憶している。
 この間、父は倒産した会社の残務整理や裁判の準備に明け暮れ部屋に籠りがちだった。何者かに父が連れさらわれそうになったり、ヤクザが家に押し掛けて来たこともある。
 蓄えが尽きると、父は東京に稼ぎに出掛けて行った。得意な金融の仕事があると誘われたはずが、それは街金の汚れた仕事で、約束どおりの給料をもらえなかった。しかし、風呂もトイレもない木造アパートで毎日ゾウスイを啜ってしのぎ、三年後なんとかお金をつくって家に戻って来た。
 わたしは家の家計が気がかりで、大学は学費が安い夜間部で学んだ。父と母は猛反対したが、昼はフルタイムの仕事を卒業まで続けた。一家が昔ながらの安定を取り戻したのは、つい最近のことである。
 今年、父は七十三歳になる。髪は白くなり、眉はまぶたまで垂れている。この歳になっても、自宅で経理の仕事をしている。カミソリエリートと畏怖されたこともあるひとが、どんなときも、誰にたいしても、微笑みを絶やさず仙人のように飄々としている。
 この父がわたしに、すべての事情をのみ込んだうえで

「これからは、静かに生きなさい」

とだけ言う。
「はい会社を辞めます」とは素直に答えられない。治療費はどうする。かつて母がした苦労を、妻にさせたくない。お金に困った時代の記憶が、夜ごと夢に甦る。
 この日、わたしはちょうちんの灯りが尽きる場所まで歩き通せず、父が東京から帰って来た日のことを思い浮かべながら来た道を引き返した。
 父はボストンバッグひとつぶら下げ、長い散歩にでも出掛けていたような顔で玄関に立っていた。
 まぶしいくらい陽射しが明るい日のことだった。

 
 
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