新人作家の新・食エッセイ
1月
9日月曜日
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 #48 鐘の音のように

 

 わたしは年越しそばの天麩羅を揚げていた。妻は元旦の雑煮の下ごしらえをしていた。
 冬の日暮れは早い。夕刻を過ぎたばかりというのに、窓の外は深夜のように暗かった。
 わたしたちは除夜の鐘の話をした。
 我が家は高台のてっぺんで、坂をずっと下ったところに寺がある。以前は日付がかわる前から鐘が鳴りだし、その

かすかな音が高台まで

届いた。だが、ここ数年鐘の音が聞こえない。
 音を遮る大きな建物ができたわけではない。町はこの何年も様相を変えていない。聞こえなくなったのは、なにかの理由で寺が鐘突きをやめたからに違いない。
 今夜は聞こえるだろうか、と妻は言った。
 聴きたいものだね、とわたしは答えた。
 年越しと元旦の食卓の準備があらかた整い、キッチンはいつになく華やいだ。ひとまず一年を締めくくる準備ができた。
 しかし、大掃除の最中にキッチンの換気扇の寿命が尽きかけているのに気付いたり、風呂桶に髪の毛一筋ほどのヒビが入っているのが見つかったりして、手を施せないままだった。いますぐ困ることではないけれど、気がかりである。ほかにやり残したことも、いっぱいある。
 きれいさっぱり明日から出直せたら、どんなに気楽だろうと思うが、そんなことはあり得ない。あたりまえのことだが、元旦とはいえ明日はきょうの続きにすぎない。
 だから、「年忘れ」という言葉は、はしゃいだ無責任なもののようで、好きではなかった。「あけましておめでとう」も、子供の頃は別にして、「おはよう」と似たり寄ったりだと思っていた。
 とはいえ、地球が太陽のまわりを一周した区切りをどこかでつけなかったら、どうにもこうにも気詰まりでやっていられないことに、最近ようやく気付いた。
 鐘を突いたり、いつもと違うものを食べたりするのは、とても大切なことなのかもしれない。
 今年こそ除夜の鐘は鳴るだろうか。
 鳴らないような気がしつつも、期待をした。
 年越しそばを食べた。
 やるべきことがなくなった。
 夜の十一時半を回った。
 暇を持てあまし、わたしはぶらりと表に出た。身を切るように冷たい風が吹いていた。
 いつもならこの時刻には寝静まっている家にも、窓に明かりが灯っている。笑い声が聞こえた。塀の前に停められた日頃見掛けないクルマのナンバーを見ると、県外だった。遠くで暮らす家族が帰って来たのだ。
 坂を寺のほうへ下ってみた。
 十年前は堂々と本格的なしめ縄を張っていたのが、年ごとに小さく簡単なものに変わっていく家がある。小さくなるしめ縄に、主が相応に歳をとっていく姿が重なる。
 今年になってリースみたいな洋風の飾りになった家は、若い息子夫婦に代替わりしたのだろうか。
 物干し台に人影がある家では、掃除機の音がした。この家の事情はわからないけれど、大晦日まで忙しく仕事をし、元旦早々から働き、あわただしく年を越すひとも少なくない。
 坂の途中に、プレハブ式のアパートがある。階段や外廊下の蛍光灯が、周囲を別世界のように白く照らしていた。駐車場はからっぽで、部屋の窓は暗い。帰省する家族が多いようだ。
 駐車場の隅に、ウラジロの飾りをつけた三輪車があった。真新しい三輪車には、サドルを高くしていった跡が残っていた。
 わたしは、しばらく物音ひとつしないアパートの前にいた。以前なら、そろそろ除夜の鐘が鳴りはじめる時刻だった。
 しかし、いっこうに鐘が鳴る気配がない。
 その代わり、遠くから風に乗って、

威勢のよい声

がした。
 神社の年越しの祭礼だ。
 暑いくらい焚き火をして、男たちが御輿を担ぐのである。昔からの習わしと聞いたことがある。餅つきもする。ついた餅は汁粉などにして、振る舞われる。さほど広くない神社が年一回、ひとでいっぱいになる。
 出掛けてみようかと思ったが、このまま近所を歩いているほうが似合いのような気がして、ぐるりと町を巡った。
 午前零時を回った。
 結局、除夜の鐘は鳴らなかった。
 坂を引き返した。
「あけましておめでとう」
 わたしは誰に言うともなく、つぶやいた。
 家の前まで戻った。
 街灯に我が家の松飾りが青く映えている。
 家を出たときは気付かなかったが、お隣りが正月飾りもせず、門灯を消し雨戸まで閉めていた。
 町のなかで、飾りがないのはただ一軒だった。
 忘れていた。この家で去年の秋、長年飼い続けた犬が死んだ。喪に服しているのだろう。
 ひっそり年を越す隣家の様子に、吉凶こもごも去っていったわたし自身の一年がよみがえった。
 かすかに除夜の鐘が鳴り響いたような思いがした。

 
 
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