新人作家の新・食エッセイ
4月
3日月曜日
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 #54 男女

 

 駅のホームに二十代半ばと見える男が立っていた。
 立っていただけなら別に目を留めなかったのだが、ものすごく真剣な顔つきで手元を覗き込んでいた。携帯電話だな、と思った。ところが、男が持っているナニカは携帯電話にしては大きかった。
 もう一方の手にペンみたいなものを持っている。とすると、てのひらサイズのコンピューターだろうか。スタイラスペンで手書きができる機種がある。ところが、ペンが男の眉の上を行ったり来たりしだしたではないか。
 ペンに見えたのは眉を描く鉛筆で、彼は

鏡を覗き込んでいた

のだった。
 男が眉を描くのか、と思った。
 驚くほどではなかったけれど、珍しいものを見た気がした。
 男はますます熱心になっていった。
 眉の端っこが気にくわないみたいだ。
 鉛筆で描いては、近眼のひとのように鏡に顔を近づける。そして、描いたところをぼかすつもりか指先で擦る。鏡を遠ざけ、顔全体を写す。この繰り返し。
 男が眉を必死になって描くなんていかがなものか、とわたしは目を逸らした。
 なぜ、目を逸らしたのだろう。どうして、「いかがなものか」と思ったのか。なんとなく理由が気になった。
 男が自意識過剰だから、「いかがなものか」なのか。
 自意識過剰なのは間違いなさそうだが、勝手にやってろとは思わなかった。いかがなものか、には批判の気持ちが混じっている。批判といっても糾弾しようなんて強いものではないけれど。
 では、なぜ批判したのか。
 わたしにとって理解不能なことをしていたから、つい批判したくなったのだ。
 何が理解できなかったのか。
 男が化粧することが理解できなかったのだ。
 わたしも口髭が伸びすぎると鏡とにらめっこして毛先をそろえる。これは身だしなみだ。化粧はしないし、しようと考えたこともない。
 理解不能だから批判したくなる、というのでは理不尽かもしれないが、実際にいかがなものかと思ってしまったのだからしかたがない。
 ふと、男女(おとこおんな)という言葉が記憶の片隅からよみがえった。
 男らしくない男、女らしくない女を、子供の頃、男女と呼んでいた。
 小学校で同級だったU子は、男女だった。
 男子生徒に「おい、てめえ」と言って喧嘩を挑む。男子もU子は男女だと思っているから本気で迎え撃つ。だが、かならず打ち負かされてしまう。
 U子がわたしにしつこく悪態をつき続けるので、「ブス」と言い返してやったことがあった。U子は顔を真っ赤にして暴れだし、わたしの机を横倒しにして、床に拡がった教科書を次から次へまっぷたつに引き裂いていった。
 いくらなんでも、教科書を破るなどただごとではない。担任の女教師が、荒れ狂うU子に平手打ちを放った。そこは大人と子供だ。U子がくらくらと後ずさったものである。
 騒動が鎮まった後、わたしは職員室に呼ばれた。
 明日から教科書をどうするかといった話だったはずだが、記憶に残っているのは「女は怖いものなのよ」という担任のひと言だ。
 U子が女子らしい女子や、普段はおだやかな担任と変わらない「女」だというのか。U子以外の女子や、担任にも、怖いものが潜んでいるというのか。だとしたら、隠されている怖さは計り知れないもののように感じられた。
 担任から平手打ちを食らっても、U子の乱暴狼藉は止まなかった。卒業式の日まで、「おめえ」「馬鹿野郎」とがらがら声で騒ぎ回っていた。
 わたしはU子と学区が違う中学校に入学した。
 U子のその後を知ったのは、高校に進学してからだった。
 U子がわたしの高校の学園祭にやって来たのだ。
 顔かたちはそんなに変わっていなかった。だが、言葉遣いがまるで違う。「はい」「そうですね」などと喋っている。しかも、自分のことを「わたし」と言ったのだ。U子が「わたし」なんて言うのを耳にしたのは、国語の時間に教科書を朗読したとき以来だ。
 しかも、なよなよしているのだ。いや、以前が男女だったから、普通の女子高生並でもとてもなよなよして見えるのだった。
 わたしはぞっとした。
 U子が何かを企んでいるように見えたのだ。本性を隠す芝居を打っているみたいだった。
 男女のU子と、なよなよしたU子。いまから思えば、どちらもほんもののU子なのだろう。きっと、ひと並みに女らしく成長しただけに違いない。
 しかし、ぞっとした直感をわたしは信じたい。すべての女性が猫をかぶっていると言う気は毛頭ない。でも、女らしさ、男らしさは、もともとある女らしくないもの、男らしくないものを覆い隠した上でできあがっている気がする。やせ我慢の成分もかなり含まれているのではないか。
 ホームで見掛けた眉描き男は、やせ我慢のしどころや、男らしさの意味がわたしと違うだけという可能性がある。男が男らしくないものを内に秘めているとわかっているのに、いかがなものかと眉描き男から目を逸らしたわたしは、矛盾しているのかもしれない。
 化粧に熱中する男から目を逸らさせたものは、

男らしくない自分

を見たくない気持ちだったのかな、などと首を捻っていたらひと駅乗り過ごしてしまった。

 
 
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