新人作家の新・食エッセイ
5月
8日月曜日
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 #56 風薫る五月の空

 

 わたしは天気予報が好きで、外出する予定がなくても、テレビの天気予報は見ておこうという気になる。天気予報は番組の間つなぎのような簡単なものも悪くないけれど、なるべくなら天気図とその解説がちゃんと紹介されるものを観たい。今年のゴールデンウィークは家の周りをぶらぶらしただけだったが、毎日一日の終わりを天気予報で締めくくった。
 天気予報が気になりはじめたのは、わたしが小学生のときだ。高校生になったばかりの兄からの影響で、かれこれ三十年も前のことになる。兄は学校で気圧とか前線のはたらきを教わると、家で天気図をつけはじめたのだ。短波ラジオに各地の気圧を逐一告げる番組があり、その通り地図に等圧線を引くだけのなのだが、きょうの気圧配置から明日の天気がなんとなく読み取れることにわたしは驚いた。
 素人の天気予報なんてだいたいのことしかわからないが、当時の気象庁の予報もあまり当たらなかった。当たるも八卦、当たらぬも八卦、

五分五分の確率

だったのではないか。
 晴れの予報が当たったようにみえても、あとから急に降り出すなんてことが少なくなかった。小学生は学校に置き傘をしたりしないから、雨に濡れながら下校することも度々だった。
 急な雨は困りものだったけれど、突然の風花や雪にはこころが躍った。授業を受けていると、窓の外が暗くなる。そして、白いものが舞いはじめる。気持ちが、はっとなる。いつまで続くだろう、と家に帰ってからもしばらく外を眺め続けた。
 当時と比べ、近頃の天気予報はかなり正確になった。
 富士山レーダーが第一線を退き、もっと広範囲を見守る人工衛星が打ち上げられたりアメダスが整備されたおかげだろう。スーパーコンピュータがものすごい速度で大量のデータを計算し、天気の変化を予想しているとも聞いた。
 いまや降水確率が出るのは当然で、もっと凄いのはメッシュ予報だ。いままで県や地方単位だった予報が、いつの間にか街ごとにどんな天気になるかわかるようになった。予報が当たるか外れるか五分五分の時代から、ピンポイントで天気を言い当てる時代になったのだ。
 ことしの連休前からゴールデンウィークにかけての天気予報もぴたりと当たった。
「明日は夏のような陽気になるでしょう」
「明日は一転して気温は平年並みです。雨が降るでしょう」
「明日は絶好の行楽日和です」
 といった具合。
 しかもコンピュータグラフィックスを使った最近の天気予報の説明はわかりやすい。前線がアニメーションで動く。前線の移動にともなって、暖かい空気と冷たい空気が入れ替わる。だからかくかくしかじかと天気が変わる、といったように天気予報士の説明は理路整然として懇切丁寧である。とても説得力がある。
 それでも、現代の予報の的中確率は翌日のもので八十パーセントほどらしい。残り二十パーセントの不確実さがある。長期予報は一週間先までが限度。一週間後は確率が六十パーセントまで落ちるのだとか。また、梅雨入りはどうやっても的確に宣言できないので、とうとう発表するのをやめた。
 しかし、当たっても外れても天気予報は面白い。
 コンピュータグラフィックスを使うずっと以前の、ただの地図に天気マークの札が貼り付けられているだけだったころから、どの番組とも違う雰囲気があった。
 どこが違うのか。
 ニュースは過ぎ去ったできごとを報道する。ドラマには台本がある。でも天気予報はどうなるかわからないことを語る。
 天気予報を観る側は、予報が外れても裏切られたとか騙されたとは思わない。悪天候に見舞われて酷い目にあっても、また天気予報にテレビのチャネルを合わせる。予報は外れるかもしれないという諦めが大前提にあるからだ。諦めといっても、うんざりさせられる暗いものではない。
 天気概況で気圧の話などをし、そこから導きだされた結果で明日の天気が大まじめに予想される。しかし、予報が当たるとは限らない。観測や科学の裏付けはあるが、同時にどれだけ人智を働かせても未来のことは誰にもわからないことを目の当たりにさせられる。手に負えないものを前にしたときの

笑うしかない感じ

がある。
 こんな雰囲気が天気予報をほかの番組と違うものにしている。きっとそうに違いない。
 そして、天気予報を観たり聞いたりするとき、無意識のうちに明日のことを思い描く。
 窓から差し込む陽射し。アスファルトを濡らす雨。服は長袖にしようか半袖にしようか、と。
 天気予報は明日のことを告げるのが役目だから当たり前といえば当たり前だが、明日が来ることをまったく疑わせず、大地震による日本崩壊も核戦争による人類滅亡も想定外になるのは、ちょっと凄い。
 ニュースはひとを悲観的にさせる。わざと視聴者を悲観的にさせようとしているわけではなく、一日のできごとをまとめるとおのずとそうなるのだろう。
 でも天気予報は、かならず「明日は明日の風が吹く」と言う。予報が当たろうと外れようと、日本中北から南まで明日が来ることを確信させてくれる。そのとき、わたしはなぜか日本が好きになっている。

 
 
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